《あらゆる課題に対して、チームの全員がまったく意見を戦わせることなく賛同する。これは果たして「完璧な和」を成していると、あなたは思いますか。/ 恐らくちがうでしょう。そのような状況は問題をはらんでいる可能性があります。メンバーに多様性がないか、異論を唱えるのを恐れているのか。(中略)

重要なのは、多様性です。50代男性のみのチームに、若い女性の要望を理解するのが難しいように、日本人のみのチームがブラジルや中国など、海外の顧客のニーズを把握するのは無理です。多様性豊かな市場に対しては、異なる経歴の人からなるさまざまな視点が、実効性のある解決策を生むのです》
じつに正当な見識を示されていますね。どなたでしょうか。お見事、というばかりです。
十数年後の運命を彼は夢想だにしていませんでした。だれあろう、カルロス・ゴーンさん。日産自動車・ルノーCEOです(当時)。彼は「日本人のみのチーム」の怖さや排除専一の行動様式を知らなかったのでしょう。

この会社の島人(ヤマトンチュウ)たちが「異なる経歴の人」を認めたくなかったのは、なぜか、巷間伝えられるような「犯罪」をすでに侵していたからだったのか。ゴーンさんがしていたことを「異なる経歴」の人たちもよく知っていたと、ぼくには思われます。だれにも知られないで、容疑(背任など)内容のようなことができるとは考えられないからです。

(ぼくはカルロスを信じているのではないし、カルロスが「無罪あるいは無実」であるというのでもないのです。せこい話ですが、ぼくが運転免許を取ったのが半世紀前で、それ以来ほとんど日産車にしか乗らなかった。ときには浮気して「TYT」に何台(何年)か乗りかえていましたが、やはりまた日産車に戻りました。(後で知ったのですが、あろうことか)ぼくが今も乗っている03年製の車はカルロスの命令で生産中止になっていた。十万キロを超えて、なお快調ですよ。一か月前に車検も済ませたばかりです。右横の写真は、はじめて所有したものと同年式の車。スピード違反で反則金をたくさん払いました。若気いやバカ気のいたり)
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(ここで、ガラリと場面が展開します。十余年前のぼくのつまらない経験談の一端です)
こんにちは 山埜郷司(ヤマノ・サトシ)です。この高校には何度目になるでしょうか。
早い段階から校長先生の命令を受けていました。「暇だろうから、話に来いよ」と。どんな話になるのか、実際に口を開いてからでなければ明らかになりません。いつでも脱線します。どこかの列車みたいで、それはぼくの悪いところの一つです。目的地に何時何分に着かなければという旅行は好きではない。途中下車あり、道草結構。無事に終点にたどり着けるかどうか、そもそも、そんなことに関心がないんです。

さて、テーマは「国際化と人権問題」となっています。これは校長さんの指示でした。校長とはお友達です。
つい最近の✖✖新聞(06年3月4日)に出ていたのが、上に紹介したゴーンさんの発言です。ブラジル生まれで、フランスや日本で、あるいは中国でも活動されている方。(この時期には彼の「後年の逮捕・逃走の物語」はもちろん想像すらしておりませんでした)ゴーンさんは、文字どおり、国際化時代の申し子のような存在です。一言で言えば、国際化とは対話(コミュニケーション、あるいはインターロケーション)を意味します。それはけっして外国籍の人と話すことではない。自分にとって他者といわれる存在(たとえば、ゴリラやチンパンジー、犬や猫なども)と、心と言葉をつくして語り合い、おたがいの意見の違いを確かめあうことです。
国際化と人権。そこにはなにか関係があるのですか、と質問されそうです。詳しいことは雑談のなかで考えるとして、ある事柄について「私はこう思う」、あるいは「あなたとは意見が違う」ということが言えなければ、国際化もなにも始まらないのです。

「人権」というのは、一言でいえば、他人に話しかける権利のことです。それを他人から認めてもらえなければ、あるいは他人にそれを認めさせなければ、その人にとって「人権」は存在しないも同然。たとえば、なにかの折りに発言しようとして「お前は黙れ」といわれたら、どうしますか。共同体(集団)のなかで発言権を奪われるというのは、共同体(社会)から排除されるのと同じでしょ。口を封じられた人は、存在しないのと同じなんです。
ある人に罪(濡れ衣)を着せて、共同体から閉め出してしまう(隔離してしまう)、やがて隔離された人のことを、だれもが忘れてしまう。これは日常的にあらゆる場所で生じている「人権侵害」の方法です。「囚人」とはとらわれ人であり、なかでも「冤罪(False accusation)」で「口を封じられた人」(拘束された人)は今もこの世界にたくさんいるはずです。
忘れ去られた人、それはギリシア語でいう「アムネストス」です。関係者以外、だれもいなくなった(追放・隔離された)人のことなど覚えていないという状況に置かれた存在を指しています。アムネスティ・インターナショナルというグローバルな組織がありますね。四十五年ほど前にノーベル平和賞を受けています。その主要な活動は、政治的な理由、宗教的信条などを理由にして社会的に存在することを抹殺された人々の権利を回復することにあります。(ぼくも、しばらく前までは「日本支部」のメンバーでしたが、今は脱退しています。「追放」されたのではない)

人権はだれもが生まれながらに与えられているんじゃありません。ていねいにしっかりと育てようとしなければ、それはいつでも奪われてしまう。(ゴーンさんを見てください。彼は日本社会という「共同体」、あるいは「日産という会社」から追放された。それを嫌って、彼はどこかに逃れてしまいましたが)
本日は「人間であるとは」という問題から、「国際化と人権」にいたる問題の、ほんのさわり?を話して、多くの問題をみなさんに引き渡したいと思います。答があるのかないのか、あるとするなら、自分で考えなければみつからない、そんな問題なんですね。
ぼくの仕事は「ただ尋ねるばかり」、といっても体重やなんかの重さを測定する「あれ(はかり)」ではありません。ご面倒でしょうが、ダジャレにもおつきあいください。それでは、はじめましょう。(「話」の方は動画になっているようですが、とても恥ずかしいので未公開です)
(ぼくは「幼・小・中・高・大」などで無駄話をよくしてきました。三十年以上もの無駄話人生です。すべて頼まれたからです。大人相手の「講演」のまねごともたくさんしましたね。人見知りをする人間だったのですが。バカ話なら、何時間でも平気でした。今はとても寡黙な人間になりました、というより、近所に人が済んでいない山中の住人で、ただの孤独な年寄りになっただけなんですね)
はたして、多くの人にとってカルロスさんは「忘れられた人」になったのでしょうか。
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●カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn、1954年3月9日 – )は、ブラジル出身の実業家。2004年に藍綬褒章を受章。ルノー、日産自動車、三菱自動車工業の株式の相互保有を含む戦略的パートナーシップを統括する「ルノー・日産・三菱アライアンス」の社長兼最高経営責任者(CEO)を務めていたが、2018年11月に東京地検特捜部に金融商品取引法違反の容疑で逮捕され、その後解任された。保釈中の2019年12月に日本から密出国によりレバノンに逃亡し、2020年1月2日に国際刑事警察機構により国際手配書(赤手配書)にて国際手配されている逃亡中の刑事被告人。(註 東京六大学のうちの、H大学とW大学から名誉博士号を受けています。いまは取り消したんですかね)
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●Amnesty International について 「自由と尊厳が平等に守られる世界をめざして/ 肌の色が違うから、宗教が違うから、よその国から来たから、女性だから・・・ いろんな理由で差別や暴力に苦しむ人が、世界には大勢います。政策を批判しただけで捕まってしまう人、ひどい条件で働かされる子どもたちもいます。/ アムネスティ・インターナショナルは、こうした人たちの自由と尊厳が平等に守られる世界となるよう、活動を続けています。

アムネスティ・インターナショナルは、1961年に発足した世界最大の国際人権NGOです。人権侵害のない世の中を願う市民の輪は年々広がり、今や世界200カ国で700万人以上がアムネスティの運動に参加しています。/ 国境を超えた自発的な市民運動が「自由、正義、そして平和の礎をもたらした」として、1977年にはノーベル平和賞を受賞、翌年には国連人権賞を受賞しました。(右写真は「組織」の生みの親となったピーター・ベネンソン弁護士。この組織についても、どこかで触れたいですね)
アムネスティ・インターナショナル日本は、その日本支部として1970年に設立されました。世界中のさまざまな場所で起こっている人権侵害の存在を、国内に広く伝えるとともに、日本における人権の状況を、国内、そして世界に伝えています。(ttps://www.amnesty.or.jp/about_us/who_we_are/)