進化は偶然と必然の混在である

 「新進化論」への招待

 《われわれは迷信的な無知の状態から出発して、事実を次々に蓄積することによって窮極的な真理に向かって進む、というのが、従来の科学の「進歩」のモデルである。このひとりよがりの視点からすれば、科学史は単なる発見物語でしかない。とうのは、それはただ過去のあやまちを記録し、煉瓦積みの職人に窮極の真理を垣間見た功績を帰することしかできないからである。それは古くさいメロドラマと同じくらい見えすいている。つまり、われわれが今日知覚するところの真理が唯一の裁決者であり、過去の科学者の世界は善玉と悪玉に二分されてしまう。

 科学史家たちはこうしたモデルを、過去十年の間に完全に捨ててしまった。科学とは客観的情報の冷酷無情な追求ではない。それは人間の創造的な活動であって、科学の天才は情報の処理装置などとしてではなく、むしろ芸術家として活動しているのである。理論が変更されるのは、新しい発見から生ずる単なる派生的な結果としてでなく、その時代の社会的・政治的な力に影響を受けた創造的な想像力の働きの結果としてである。われわれは過去を判断する場合に、われわれ自身のもつ確信という、時代を無視した先入観によるべきではない。つまり、過去の科学者たちを彼ら自身の関心とは無関係な基準によって正しいと判断して、英雄あつかいすることは避けるべきなのである》(S. J. Gould『ダーウィン以来 進化論への招待』ハヤカワ文庫版)

 スティーヴン・ジェイ・グールド(1941~2002)。ニューヨーク生まれ。古生物学・進化生物学・科学史専攻。科学のエッセイストとしても大活躍しました。また、『ダーウィン以来』(1977)はグールド進化論の原点となった著作です。そこには刺激的な考察や過激な指摘などが満ちあふれています。

 「自然淘汰説」「進化論」はすでに定説が幅を利かせているが、はたしてそれでいいのか。グールドはのっけから科学史の常識に果敢に挑戦します。

 自然淘汰説の基本原理とはなにか。

 1生物には変異があり、すくなくとも部分的にその変異は子に受けつがれる。

 2生物は生き残れる以上にたくさんの子や卵を産(生)む。

 3ある環境に好ましいとされる方向にもっとも強く変異している子孫が生き残る。好ま しい変異は自然淘汰によって個体群に蓄積される。

 たしかにこれが基本となるが、それだけでは足りないとグールドはいいます。

 「ダーウィン理論の本質は、自然淘汰は進化にとって創造的な力であって、単に不適者の死刑執行人にすぎないのではない、という主張にある。自然淘汰は適者を構築するものでなければならない」と。

そこからさきの基本原理に加えてつぎの観点が必要となるとする。

 1変異は無方向である。「進化は偶然と必然の混在である。偶然というのは変異のレベルにおいてのことであり、必然というのは淘汰の働きにおいてのことである」

  2変異の規模は、新しい手がたった一回の進化上の変化にくらべて、小さい。

 「進化」には目的はないというのがダーウィンの主張の確信です。だんだんに進化していって、ついに世界は調和するというのは幻想に他ならないということ。

「進化」の方向は定まっていない(無方向)というのも彼の説の重要部分です。進化論は進歩論ではないというのです。したがって、もろもろの生物はみずからが棲息する局地環境に適応するだけだというのです。

  機会を見つけて一読されることをすすめます。 

 *ビーグル号の博物学者はだれだったか。ダーウィンではなかった

 *どうしてダーウィンは ‘evolution’ という語を使わなかったか。

 *みずからの説を公表するのにどうして二十一年もかかったのか。

 このような謎かけからはじまって、問題はだんだんと「進化」していきます。

〇自然淘汰説(しぜんとうたせつ)=自然選択説とも。進化の要因論として,C. ダーウィンと A. R. ウォーレスが同時平行的に到達した説。生物は原則として多産性で,そのために起こる生存競争の結果,環境により適応した変異個体が生存し,その変異を子孫に伝える。このため生物は次第に環境に適応した方向に向かって進化するという考え。ダーウィンはこの説を《種の起原》において本格的に論じ,それによって進化論は広く認知された。その後20世紀に入り,遺伝学や分子生物学の裏づけを得て,現代の進化論の中でも中心的な位置を占めている。(マイペディア)

〇進化論(しんかろん)=生物の進化が事実として承認されるまでは,生物進化の説を進化論と呼んでいたが,現在では主として進化の要因論をいう。体系的な進化要因論を最初に提唱したのはラマルクで,彼は動物の器官および機能は用・不用によって発達の程度が決まり,この後天的な変異が遺伝し,累積して進化の原因となるという用不用説を唱えた。ラマルクの進化要因論はネオ・ラマルキズム,定向進化説などに受け継がれている。次いで C. ダーウィンは,変異個体間の競争に基づく自然淘汰説を提唱。ダーウィンの進化論は18世紀の社会進歩観を背景にして生まれたもので,社会進化論と密接なかかわりをもっていた。現在では,自然淘汰説に,突然変異,遺伝子の機会的浮動,隔離などの要因を加えた〈総合説〉が主流である。しかし,さまざまな異説もあり,キリスト教原理主義者の〈創造説〉のように,進化の事実そのものを否定する主張もある。(同上)

  進化論とはどのような思想か。古いもの、劣ったものはどんどんと新しい優れたものに乗りこえられていくというのなら、それは明らかにまちがい。人間世界の日々の行状を眺めれば、そんなに暢気な話ではないということが分かろうというもの。それはかぎりなく、あらゆるものを含みながら、時間の果てにえんえんと伸びていくプロセスであり、ひとりの人間においても地球上の全生物についても、それは妥当するでしょう。(つづく)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです