ナショナリズムを考える(1) 

 B・アンダーソンさんに聞く(ナショナリズム研究の第一人者)

 急に燃え上がったり、刺激し合ったり、ときに暴走して好戦的になったり。扱いを誤るとたいへんなことになるのがナショナリズムだと思っていた。国民とは「想像の共同体」であると唱えて世に衝撃を与えた、米コーネル大名誉教授のベネディクト・アンダーソンさんに聞いた。私たちは、これをどう扱えばいいのでしょうか。

■本来は社会つなぐ欠かせない接着剤 差別的思想とは別

――日本で、いや中国でも韓国でも近頃、国家の誇りやナショナリズムを強調する言葉が目立ちます。

「確かに、みんな大声を張り上げていますね。日本では例えば、石原慎太郎さんですか。都知事を辞職して、きっとさらに大声になるのでしょう。安倍晋三さんも再び、自民党の総裁になりましたし」

「彼らは、もっと強硬な外交政策を採るべきだと主張しています。しかし、これは本来のナショナリズムとは違うものです。彼らのような主張が受け入れられるようになったのは、この15年ほどの間、自民党にしろ民主党にしろ、政治が機能しなかったことに原因がある。不安や自信喪失といった感情が、こういった現象を呼び起こしています。日本はもはや大国ではないという思いが、人々に大きな声を上げさせるのです」

――石原前知事の言うようなことは、本来のナショナリズムではないということでしょうか。

「ええ、違います。自分の国がどうもうまくいっていないように感じる。でも、それを自分たちのせいだとは思いたくない。そんな時、人々は外国や移民が悪いんだと考えがちです。中国、韓国や在日外国人への敵対心はこうして生まれる。これはナショナリズムというよりは、民族主義的、人種差別的な考え方です」

「米国でも同じことが起きています。国民の多くが、米国の優位性が弱まり、下り坂になったと感じているからこそ、新しい敵は中国だというプロパガンダが横行するのです。過去には、この役回りをネーティブアメリカンやファシスト、共産主義者、イスラム教徒がしましたが」

――国民は、近代になって「創作」されたものだと主張されていますね。では、ナショナリズムとは、いったい何なのでしょうか。

「通常のナショナリズムは、日常生活の一部であり、習慣やイメージであり、空気のようなものなのです。例えば、テレビで天気予報を見るとします。その際、どうして日本各地の天気しか予報していないのか、などとは誰も疑問を抱きません。テレビのコマーシャルが、すべて日本人を対象にしていることについても、誰も注意を向けない。誰もが、『日本人』であることを当たり前に受け入れています」

「ですが、日本が国民国家としてスタートしたのはほんの百数十年前、明治時代です。それまでは、自分は『日本人』だとは誰も思っていなかったはずです。象徴的なのはアイヌ民族と沖縄の人々です。日本政府は明治時代になって初めて、彼らを『日本人』に組み入れた。江戸時代より前は、自分たちとは違う民族だと区別していたのに」

――日本では、ナショナリズムは鬼門です。明治以降、国家の名の下に植民地政策を推し進め、最後に破局が訪れました。

「ナショナリズムそのものが悪なのではありません。それは、いわば社会の接着剤であり、人々に『自分は日本人だ』と感じさせるものです。決して石原さんの威勢のいい演説が示しているようなものではない。そして、この当たり前の感覚が崩れるとしたら、それは社会の危機を意味します。まるで人がマラリアなどの病気にかかったときのように、すべての悪い症状が一気に噴き出てくるでしょう」

「『上からのナショナリズム』と『下からのナショナリズム』を考えてみましょう。戦前の日本や、領土欲を隠そうとしない今の中国は、上からのナショナリズムに分類されるでしょう。一方で、過去に東南アジアなどにおいて起きたナショナリズムの勃興は、植民地支配からの独立を促し、抑圧された人々を解放する役割を果たした」

「中国を例にすると、共産主義が事実上、過去のものとなり、中国共産党はいま、国家を統治し続ける根拠を問われています。経済成長は、その理由のひとつでしたが、右肩上がりも続かない。今まで、政府はうまくナショナリズムをはけ口にすることに成功してきましたが、いずれ袋小路に陥ります」

「他の国と同様、中国でも人々は自分と子どもの未来を考え、どう生きて行くべきかを考えます。一党独裁で言論の自由もないような政治体制でいいのか。私たちは何をすべきなのか。こんな問いを抱かせないために、国家が民衆に暴動を起こすことを認めているのだと思います」

「そんな人々は容易に抵抗者へと変わりうるでしょう。だから政府はすぐに抑圧します。下からのナショナリズムは、体制をひっくり返すことがある。ベネズエラのチャベス大統領の行動や、イランのイスラム革命にも、そんな側面がありました」(つづく)

*******

■取材を終えて

「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」。アンダーソンさんの名著「想像の共同体」の一節だ。国民は創作物なのかと驚いたのを覚えている。だからこそ、国家を維持するためにナショナリズムが不可欠だという。日本では負の印象がつきまとう存在だが、問題はどう飼いならすか、なのだろう。(真鍋弘樹、中井大助)

〇 Benedict Anderson 1936年、中国・昆明生まれ。コーネル大名誉教授。専門は東南アジア。(Asahi digital・12/11/13(2015年12月13日、インドネシアにて亡くなられました。)

+++++++

「…ぼくに言わせれば、ナショナリズムは、デモクラシー、民権の方から出てきている。民権的ナショナリズムが近代国家を形成している。だから、ぼくは国家形成までのナショナリズムはいい運動だ、という考えです。国家が形成されて、だれがその権力を握るかという分裂から、ナショナリズムは民権と国権が離れてくる。」(久野収「ナショナリズムを考える」)

 時として、大きな怒声にまみれて「国家主義」もどきの叫び声が耳に飛び込んできます。いまもまた、島社会のあちこちから怒声を含んだ音声が喧(かまびす)しい。ネット時代だからなおさらに、という感がします。それらが「国家主義」なのかどうか、ぼくは大いに疑っています。あるいは「民族主義」か、それとも単なる「排外主義」なのか。すこしばかり愚考を重ねます。切り抜き帳の埃を払って、材料を持ち出してきました。あるいは「権と国権」、これが一つのテーマになりえますね。(つづく)

*******

投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。