人をして語らしむ

〇深代惇郎(ふかしろ じゅんろう)1929-1975 昭和時代後期の新聞記者。昭和4年4月19日生まれ。昭和28年朝日新聞社にはいり,社会部次長をへて46年ヨーロッパ総局長。48年論説委員となり,「天声人語」を執筆した。没後「深代惇郎エッセイ集」などが出版された。昭和50年12月17日死去。46歳。東京出身。東大卒。(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)(http://info.asahi.com/guide/tenseijingo/fukashiro.html

 

 「天声人語」二題、上の記事は1974年1月5日、下は同年10月15日のものです。執筆者は深代惇郎さん。彼は朝日のスターのような存在でした。ぼくは「天声人語」をともかく読みだしたのは深代さんの最晩年のもので、わずかに数年分でした。その後は荒垣秀雄氏や入江徳郎氏などが書かれたものを読み続けたことになります。世には「朝日党」ともいうべき人がたくさんいるのでしょう。ぼくの友人にもいます、なにがなんでも「アサヒ」だと。ぼくは面白ければ読む、そうでなければよす。実に単純でした。このコラムは字数が603字だとか。文章を書く際に、字数に制約があるのはとても大切で、一度「考えたもの」をさらに再考する、三考するのには欠かせない条件だと、ぼくごときものにもわかりました。

 「朝日」がよくしていた宣伝でしたが、大学入試に「天声人語」の出題頻度が一番だというのがよく出ていました。「一番病」に取りつかれていたんですね。物事に順番をつけて、優劣を誇るというのは、新聞人のすることかと、いつでもイヤな気分になったのを、今でも思い起こすことがあります。「一番病」にかかるとなかなか回復しませんね。宿痾になることもしばしばです。「朝日」の低迷が続くというのか、「新聞紙」の値打ちが低落し続けているというべきか。どちらにしても、社会にとってはきわめて不健全な状況であるといわざるを得ません。

 なぜ深代か。理由は定かではありません。たぶん、今よりもよほど新聞が元気であった頃に、筆法も鮮やかに世相や人事を一刀両断したかのような記事に魅せられた多くの人々の心情や感情に、荒廃しきった世相にまみれているこの時期だからこそ、ぼくも思いを重ねてみようという、殊勝な気持ちになったからかもしれません。ぼくはもう何年も新聞は読んでいない。もちろんテレビも観ません。なぜか。理由は明白です。面白くないことおびただしいからです。読み物・見物としてはとるに足りないとまでは言いませんが、これで金(新聞は)をとるのかよ、という思いに駆られるからです。

 加えて、「新聞」というけれど、紙面の半分は「広告」ではないですか。「広告新聞」と名前を変えたらどうか。購読するのは記事であって、商品広告ではないという、それだけのことです。それだけでも、たくさんの事を語っているのではないですか。その他のあれこれをいえば、カタルに落ちた話になるのでやめておきます。(でも、ちょっとだけ言いたい、現在の本社所在地は東京銀座そばの筑地、もとは国有地でした。それを格安の「払下げ」で膨大な敷地を手に入れた)新聞社は亭主持ちなんですが、それが一人や二人ではない。何人にも囲われている身だから、あちこちに忖度しなければならない。一番無視される(貧乏くじを引かされる)女房や亭主が読者ときたら、貢ぐのをやめるほかありませんね。(これも蛇足か 筑地市場から魚屋さんたちを追い払い、その跡地に入り込もうとしたのが右上のロゴ球団だったそうです)とにかく、正義面してみんなの共有財産を食い潰し競争に明け暮れているんだな。劣島中に「森友」ケース(case・症例)があるんですね。

 「新聞はまず何よりも、正確な情報を伝え」るべし。それが紙面のいのちです。そんな新聞があれば(どこかにできれば)、ぼくはいつでも「新聞」の側に身を寄せます。それでなければ、あいかわらず「旧聞」を再読し三読する姿勢を保ちます。まず隗より始めよ。了解です。

● 隗より始めよ=《中国の戦国時代、郭隗が燕の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたという「戦国策」燕策の故事から》大事業をするには、まず身近なことから始めよ。また、物事は言い出した者から始めよということ。(デジタル大辞泉)

 

投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)