何人 が感染、というな

 《北海道で6人死亡、12人感染 道内死者62人に

 北海道と札幌市は11日、道内で6人が亡くなり、12人の感染が確認されたと発表した。道内の死者は計62人、感染者は延べ966人(実人数957人)となった。

 札幌市によると、感染者12人はいずれも同市で陽性と確認され、このうち2人は一度回復した後に再び陽性反応が出た。》(産経新聞・2020.5.11)

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東京新聞(20/4/09)

   存在   川崎洋

 「魚」と言うな

 シビレエイと言えブリと言え

 「樹木」と言うな

 樫の木と言え橡の木と言え

 「鳥」と言うな

 百舌鳥と言え頬白と言え

 「花」と言うな

 すずらんと言え鬼ゆりと言え

 さらでだに

 「二人死亡」と言うな

 太郎と花子が死んだ と言え

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 すべての存在を数字に閉じ込めてしまう。この狂暴な風潮には抗しがたいものがあります。ジョージ・オーウェル(1903-1850)は「正気は統計的なものではない」といった。「存在」をもあっさりと消費してしまう、あるいは抹殺してしまうという「暴力」にぼくたちは手もなくひねられている、いや手を貸しているのだろう。権力者の異常事態は、さらに異常の度を深めている。おかしいという間もなく、望まないところに来てしまったようにも見える。気がつけば、あからさまな「全体主義」が出来上がっていたという危険地帯の一歩手前にぼくたちは立たされているのではないか。みてほしい、「自粛」を乱すといって、「要請」を、さらにそれでも足りなければ、「指示」をと、わずかの「例外」も許さない状況が生まれてしまっています。この「全体主義」の風潮は、ぼくたちの中から作られているといわなければならない。他国に強いられたのではないのです。腰を据え地に足をおろして、しかも緩やかに動きたい。

*川崎洋 – [1930~2004]詩人・放送作家。東京の生まれ。詩誌への投稿のかたわら昭和28年(1953)茨木のり子らと「櫂 (かい) 」を創刊。昭和32年(1957)から文筆活動に入る。詩やラジオドラマの執筆のほか、方言の収集にも注力した。詩集「はくちよう」「ビスケットの空カン」、絵本「それからのおにがしま」、随筆「かがやく日本語の悪態」など。(小学館 大辞泉)

 ことばを経験するとは

 憂楽帳:何とかなる、はず

 「あのー、すいません」。駅の券売機前でふいに顔をのぞき込まれた。つけまつ毛をしたおしゃれな学生風。街なかで若い女性に声をかけられることなど無縁の身だけに何事かと思ったら、まじめな表情で尋ねてきた。「自由席と指定席って、どっちが安いんでしたっけ?」

 あまりに堂々としていて、返す言葉に詰まった。妻に話すと「物事を知らない、でも他人に遠慮なく聞ける、それが自分らしさ、なんて妙な自信を持っている子が少なくないよ」と解説された。うーむ、無知も個性というわけか。

 先日、東京大の秋入学移行案が紙面をにぎわせた。国内にある1200近くの大学・短大に在学している学生は約300万人にのぼるが、多くの学校現場で聞くのは、「基礎学力や社会常識の欠如の方がより深刻」という話ばかりだ。

 いや、嘆いても始まらない。そもそも世の中を変えるのは、常識やしがらみに縛られない「よそ者、ばか者、若者」というではないか。座席なんてどこだっていい。でも、この国や社会の行き先だけは間違えないでくれよ。おじさんは、それだけが心配だ。【斉藤貞三郎】(毎日新聞・12/01/21)

 ことばの種をまく

 ことばがあればどんな物事も表現できるというのは正しくない。ことばはたんなる道具ではないからです。たとえば歴史。これが歴史だと指でさすことも手で触れることもできない。「眼鏡」なら、ことばは不要です。現物があるからです。目に見えない(姿形はない)が、まさに存在すると直観する、だが確かめる術もなく、だれにも共通のことばで言い表しがたい事象、それを歴史というなら、それをも表現しようとするもの、それこそことばのもつ力です。

 たいていのひとは「人権」ということばを知っている。読み書きもできる。でもそれが何であるかは語りがたい。それを具体的な像をもって表そうとするのは自分の経験です。経験をことばにし、ことばをも経験する。ひとつのことばと自己の経験が釣り合わねば、ことばはただの符号に堕してしまう。あげくは一合枡には一合すら入らないという不自由をかこつことになる。使い方次第で、一合枡は一升枡にもなるのに。(「ことば」は右に、「経験」が左にあって、天秤は釣り合うんですね)

 経験という根拠をもたぬことば、生活実感の欠如したことば、その種の「偽物ことば」が氾濫する状況を加速させるのは「情報化」と称される時代の趨勢です。暗記や複写にとどまるだけのことばが増えると、自分を確認することばは所在を失う。根のないことばでなにが表せるのか。心身を体して経験された(自前で育てられた)ことばがなければ、暴力が牙をむくのは当然の仕儀となります。(今日よく見る政治家の「偽物ことば」の反乱は、いったい何を物語るのか。とくと考えてみる必要があります。「暴力の時代」にぼくたちはいる)(「偽物ことば」が右に、「暴力」が左にと、釣り合っているのかどうか。)

 現下の状況をして、豊かなのに貧しい時代だといわれる。「豊かと錯覚していて、じつは貧しい」であり、「物は豊かでも、こころは貧しい」であり、「豊かである、それ自体が貧しい」という世態をさすのでしょうか。貧と豊はどこかで奇妙に平衡しているようです。ことばに与する学校教育の状況も、きっとそうなのだと口外すれば顰蹙を買うこと請け合いであっても、身につまされて、そのようにいわざるをえません。

 自力で育てなければことばは豊かにならない。ことばの種を自分で播き、それを育てる。教育(学習)というのは言語に対する感受性を練磨する機会でもあります。生徒にとって教師はまずことばの種を播くひとであり、その種を豊かに育てるのは生徒自身です。教師も自分でことばの種を育てるひとであるのはいうまでもない。種から育てられたことば、それこそが「経験に根付いた」「生活実感のある」ことばであるのです。

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 ことばのちからを取り戻すことができるか

 「…ことばを私たちがうばわれるのではなく、私たちがことばに見はなされるのです。ことばの主体がすでにむなしいから、ことばの方で耐えきれずに、主体である私たちを見はなすのです。/ いまは、人間の声はどこにもとどかない時代です。自分の声はどこへもとどかないのに、ひとの声ばかりきこえる時代です。/ 日本がもっとも暗黒な時代にあってさえ、ひとすじの声は、厳として一人にとどいたと私は思っています。いまはどうか。とどくまえに、はやくも拡散している。民主主義は、おそらく私たちのことばを無限に拡散していくだろうと思います」(石原吉郎(1915-1977)・1972年)

 人をして語らしむ

〇深代惇郎(ふかしろ じゅんろう)1929-1975 昭和時代後期の新聞記者。昭和4年4月19日生まれ。昭和28年朝日新聞社にはいり,社会部次長をへて46年ヨーロッパ総局長。48年論説委員となり,「天声人語」を執筆した。没後「深代惇郎エッセイ集」などが出版された。昭和50年12月17日死去。46歳。東京出身。東大卒。(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)(http://info.asahi.com/guide/tenseijingo/fukashiro.html

 

 「天声人語」二題、上の記事は1974年1月5日、下は同年10月15日のものです。執筆者は深代惇郎さん。彼は朝日のスターのような存在でした。ぼくは「天声人語」をともかく読みだしたのは深代さんの最晩年のもので、わずかに数年分でした。その後は荒垣秀雄氏や入江徳郎氏などが書かれたものを読み続けたことになります。世には「朝日党」ともいうべき人がたくさんいるのでしょう。ぼくの友人にもいます、なにがなんでも「アサヒ」だと。ぼくは面白ければ読む、そうでなければよす。実に単純でした。このコラムは字数が603字だとか。文章を書く際に、字数に制約があるのはとても大切で、一度「考えたもの」をさらに再考する、三考するのには欠かせない条件だと、ぼくごときものにもわかりました。

 「朝日」がよくしていた宣伝でしたが、大学入試に「天声人語」の出題頻度が一番だというのがよく出ていました。「一番病」に取りつかれていたんですね。物事に順番をつけて、優劣を誇るというのは、新聞人のすることかと、いつでもイヤな気分になったのを、今でも思い起こすことがあります。「一番病」にかかるとなかなか回復しませんね。宿痾になることもしばしばです。「朝日」の低迷が続くというのか、「新聞紙」の値打ちが低落し続けているというべきか。どちらにしても、社会にとってはきわめて不健全な状況であるといわざるを得ません。

 なぜ深代か。理由は定かではありません。たぶん、今よりもよほど新聞が元気であった頃に、筆法も鮮やかに世相や人事を一刀両断したかのような記事に魅せられた多くの人々の心情や感情に、荒廃しきった世相にまみれているこの時期だからこそ、ぼくも思いを重ねてみようという、殊勝な気持ちになったからかもしれません。ぼくはもう何年も新聞は読んでいない。もちろんテレビも観ません。なぜか。理由は明白です。面白くないことおびただしいからです。読み物・見物としてはとるに足りないとまでは言いませんが、これで金(新聞は)をとるのかよ、という思いに駆られるからです。

 加えて、「新聞」というけれど、紙面の半分は「広告」ではないですか。「広告新聞」と名前を変えたらどうか。購読するのは記事であって、商品広告ではないという、それだけのことです。それだけでも、たくさんの事を語っているのではないですか。その他のあれこれをいえば、カタルに落ちた話になるのでやめておきます。(でも、ちょっとだけ言いたい、現在の本社所在地は東京銀座そばの筑地、もとは国有地でした。それを格安の「払下げ」で膨大な敷地を手に入れた)新聞社は亭主持ちなんですが、それが一人や二人ではない。何人にも囲われている身だから、あちこちに忖度しなければならない。一番無視される(貧乏くじを引かされる)女房や亭主が読者ときたら、貢ぐのをやめるほかありませんね。(これも蛇足か 筑地市場から魚屋さんたちを追い払い、その跡地に入り込もうとしたのが右上のロゴ球団だったそうです)とにかく、正義面してみんなの共有財産を食い潰し競争に明け暮れているんだな。劣島中に「森友」ケース(case・症例)があるんですね。

 「新聞はまず何よりも、正確な情報を伝え」るべし。それが紙面のいのちです。そんな新聞があれば(どこかにできれば)、ぼくはいつでも「新聞」の側に身を寄せます。それでなければ、あいかわらず「旧聞」を再読し三読する姿勢を保ちます。まず隗より始めよ。了解です。

● 隗より始めよ=《中国の戦国時代、郭隗が燕の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたという「戦国策」燕策の故事から》大事業をするには、まず身近なことから始めよ。また、物事は言い出した者から始めよということ。(デジタル大辞泉)