モノを言い続ける

 (以下は東京新聞の連載記事(2015年1月)、「戦後の地層 覆う空気 『ムラ社会の少女』」からのものです)

+++++

 戦後間もない一九五二年、高校二年の石川皐月(さつき)が新聞社に出した一枚のはがきで、村の名は全国に知られることになった。記されていたのは、国政選挙での替え玉投票の疑惑。地域のまとめ役が入場券をおおっぴらに集めて回っていた。村では多くの逮捕者が出た。憎悪の的となった石川一家は追われるように村を出た。

 ◆投書で村を追われ

 六十年余たった今も、旧村民は口を閉ざす。事件について尋ねると、農作業中の年老いた男性は「蒸し返すのか」と鍬(くわ)をぎゅっと握った。別の古老は「村の恥をさらした家だ」とすごんだ。

 皐月と幼なじみという小林要(78)だけが重い口を開いた。「妻も亡くなり子どもも独立した。この際正直に話そうか」

 小林の父も逮捕された。釈放された時に自宅に集まった村人のひそひそ声を忘れたことはない。「石川家は村の敵。村八分にしよう」。胸中は揺れた。子どもとしては「ここまでやらなくても」。一方で「皐月の度胸はすごい」と思った。

 今なら言える。「皐月を憎いと思ったことは一度もない。民主主義ってこういうことなんだって」。自分たちで未来をつくっていく選挙は、小林にとっても「戦後」そのものだった。

 結婚して二人の子どもを育てた皐月は、自衛隊イラク派兵違憲訴訟の原告の一人として法廷に立っていた。「イラク派兵が強行され、このままでは憲法は死滅してしまう」。軍国主義の教科書を墨塗りにする衝撃から始まった戦後。ムラ社会の少女の心の空白に「まっすぐ」入ってきた民主主義は半世紀たっても、色あせていなかった。

 戦争体験者が多くを占めた十五人の原告団に一人、親子ほど年の離れた仲野佳子(45)=東京都三鷹市=が名を連ねていた。

 〇一年、夫の転勤で暮らした米ニューヨークで中枢同時テロ事件に遭った。悲しみと恐怖が、星条旗のもとでの戦意へと結実していくのを肌で感じた。「攻撃する側にもされる側にも家族がいる。流れを止めるため、声をあげないと」。帰国後にアルバイトしていた弁護士事務所の誘いで原告に加わった。

 「ノー」「反」「脱」。強者に抵抗する言葉をどこか言いにくい今の日本は「9・11後の米国に似ている」と思う。「国が禁止したわけじゃなくて、民の側からも空気をつくり上げていっちゃう」

◆「日本、後退している」

 皐月の胸には失望感が広がっている。「努力すれば日本は良くなるって思ってきたけど後退してるんじゃ」。七十九歳の自分が出る幕ではないが、「後輩」たちには伝えたい。

 「民主主義は努力し続けないと手に入らないもの。モノを言い続けるしかないのよ」(文中敬称略、木原育子)(2015年1月9日 朝刊)

*映画「村八分」は1953年制作。中原早苗・音羽信子・藤原鎌足・山村聰ら出演。今泉善珠監督 新藤兼人脚本。(DVDあり)

++++++

 「民主主義」とはぼくにとってみても、掴みえない見果てぬ夢です。「民主主義は努力し続けないと手に入らないもの」と石川(加瀬)さんのいう通りです。よく努力して、果たして手に入るものなのかどうか。おそらく「山田の案山子」のようでもあり、「暖簾に腕押し」のようでもあり、さらには「陽炎(かげろう)」のようでも、「逃げ水」のようでもあります。ひたすら「立ち尽くす」「押し続ける」ばかりです。掴んだと思ったとたんに、逃げる。

〇 丈六にかげろふ高し石の上(芭蕉)

 一丈六尺もあるという大仏なら、手ごたえも確かで、押しても引いてもビクともしないでしょうが、デモクラシーは「大仏」じゃないんですね。ぼくには「陽炎」のようなものというのがぴったりです。あると思えばないし、ないとみればある、いや、やっぱりない。手でも目でも確認できないのですから。ある種の空気でしょうか。石川さつきさんが乱したのは「村の空気」でした。それは波乱ではなく、反乱ともいうべきものでしたろう。さては、彼女は「KY」だったのか。

 この際、言葉のいかんは問わないのです。一人称で語る権利を否定しないこと、それがデモクラシーを確かめるメモリ、尺度ではないでしょうか。「お前は黙れ」と沈黙を強いる、それは暴力です。

  だれでも<自分の意見を語る力>はもっている。でも、その力はすべての人に権利として与えられてはいないのであって、自分で獲得しなければならないんです。でなければ、いつでも奪われてしまう。自分が何を考え、どう思っているかをはっきり表現することは、<人権>そのものなんです。一人称で語る権利を行使すること、それがもっとも大切な事柄に属すると、ぼくは考えてきました。

 われわれが所属するいかなる集団も、可能なかぎりで民主主義の原理で貫かれてほしいと考えていますが、そのためには「わたしはこのようの思う」「ぼくはあなたはとこの点でちがう考えをもっている」と相手にたいして明確に語る必要があります。

 同じことの繰り返しです。 だれでも語る(話す)能力をもっていますが、それを実際に行使しなければ権利とはいえない。能力があるというだけでは、それが権利であるとはいえない。なぜなら、いつでも能力は奪われる危険にさらされているからです。

 一人称で語ることができる能力を権利として行使する、それこそが、人権というものではないでしょうか。

 ひとりの「石川さつき」は生涯をかけて、モノを言い続けておられた。「おかしいことはおかしいという」ために。「一人称で語る」、それを権利として行使するために、です。

投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)