死刑廃止とは根源的な選択であり

 ●フランス国民議会、死刑廃止法案の審議における、法務大臣ロベール・バダンテールの演説全文訳(1981年9月17日)原文(フランス語)訳: 村野瀬 玲奈(ここにその一部を紹介しておきます)

 《犠牲者の不幸と苦しみについては、それを引き合いに出す人々よりもずっと、私は自分の人生の中でひんぱんに、その影響の広がりを確かめてまいりました。犯罪が人間の不幸の遭遇点であり地理的場所であるということを、私は誰よりも熟知しております。犠牲者自身の不幸と、それ以上に、犠牲者の親族や近親者の不幸があります。また、犯罪者の親族の不幸もあります。そして、たいへんに多くの場合、殺人者の不幸もあります。そうです。犯罪は不幸であります。そして、感情、理性、責任感ある男女には、まずその不幸と闘おうと望まない者はいないのです。/ しかし、自分自身の心の奥深くで犠牲者の不幸と苦しみを感じ、それでいて暴力と犯罪がこの社会の中で退くようにあらゆる方法で闘うという、この気持ちとこの闘いは、有罪者を必ず死刑にすることを意味することはできないでしょう。犠牲者の親族や近親者が罪人の死を望むことは傷ついた人間の自然な反応であり、私はそれを理解いたしますし、それを考えもいたします。しかし、それは人間の自然な反応なのです。一方、司法のあらゆる歴史的進歩は、個人的報復を乗り越えることでありました。まず同等報復刑法を拒否するのでなければ、どうして個人的報復を乗り越えられるでありましょうか。

 死刑にこだわる動機の奥底には、しばしば告白されないままの、排除への誘惑があるものだというのが真実です。多くの人にとって耐えられないように思われるのは、刑務所に入った犯罪者の生命よりも、犯罪者がいつの日か再び罪を犯すという恐れなのです。そして、この点に関しての唯一の保証は用心のために犯罪者を死刑に処することだと多くの人が考えているのです》

 《…結局、死刑廃止とは一つの根源的な選択であり、人間と司法についてのある一つの構想なのです。人を殺す司法を望む人々は、二重の信念に動かされています。一つは、完全に有罪の人間、つまり自分の行為に完全に責任のある人間が存在するという信念。もう一つは、こいつは生きてよい、こいつは死ななければならないと言いうるほどにその無過誤を確信した司法が存在する可能性があるという信念です。/ 私はこの歳になって、この二つの断言はどちらも等しく間違っていると思います。彼らの行為がどれだけ恐ろしくどれだけ憎むべきものであろうとも、完全な有罪性を持っていて永遠に完全な絶望の対象にならなければならない人間はこの地上にはおりません。司法がどれだけ慎重なものであっても、また、判断をくだす陪審員男女がどれだけ節度がありどれだけ不安にさいなまれていようとも、司法はずっと人間の行いでありますから、誤りの可能性をなくすことはできません》

 《したがって、みなさんの良心にゆだねられている選択ははっきりしています。一つの選択肢は、人をあやめる司法を私たちの社会が拒んで、基本的な価値観の名のもとに、つまりすべての価値のうちで司法を偉大で尊敬できるものにした価値観の名のもとに、恐怖をもたらす者、つまり心神喪失者あるいは犯罪者、あるいはその両方の命を引き受けることを受け入れることです。つまり、それは死刑廃止という選択です。もう一つの選択肢は、何世紀もの経験にもかかわらず、この社会が犯罪者を抹殺することで犯罪をなくせると信じることです。つまり、それは死刑という選択です。/ この排除の司法、つまりこの不安と死の司法が決められるとき、偶然の誤差が伴います。しかし、私たちはこの排除の司法を拒否します。私たちがこれを拒否するのは、それは私たちにとって反司法であるからであり、それは理性と人間性を圧倒する激情であり恐怖であるからです》

 《実は、死刑の問題は、明晰な精神で分析しようとする者にとっては単純なことであります。犯罪抑止効果についても、抑圧手段についても、死刑の問いは提起されようがないのです。政治的選択についてか、あるいは道徳的選択についてしか、死刑の問いは提起されないのです。/ すでに申しあげたことでありますが、以前の深い沈黙も見ましたから、すすんで繰り返し何度でも申しあげます。犯罪学者が行なってきたあらゆる研究が示してきた唯一の結果は、死刑と凶悪犯罪率の変遷の間には関係がないという事実が確認されたということです。この点について改めて次のような研究を指摘いたします。1962年の欧州評議会の研究。イギリスが死刑を廃止することを決定し、それ以降2度にわたって死刑復活を拒否する前に死刑廃止国すべてについて行なわれた慎重な研究であるイギリスの白書。同じ方法にしたがって行なわれたカナダの白書。国連によって作られた犯罪予防委員会によって行なわれた研究。その最後の文章はカラカスで昨年練り上げられておりました。最後に、欧州議会によって行なわれた研究。その研究には私たちの友人であるルディさんもかかわっております。そして、それらの研究はこの重要な採決にまでたどりついたのです。その採決を通して本国会では、本国会が代表するヨーロッパ、もちろん西ヨーロッパという意味ですが、そのヨーロッパの名において、欧州から死刑がなくなるようにとの圧倒的多数の意思表明がなされたわけです。すべての人が、私が申しあげた結論に賛成しております。

 それに、誠実に問いを発しようとする者にとっては、なぜ死刑と凶悪犯罪の発生率の変遷の間に犯罪抑止的関係がないのか理解することはむずかしくありません。これだけひんぱんに探求に専念しているのに他のところではその根拠を見つけることができない犯罪抑止的関係のことにはあとで立ち戻ります。そのことについて単純に考えるなら、最も恐ろしい犯罪、大衆の気持ちを最も強くとらえるということが理解できる恐ろしい犯罪、すなわち凶悪犯罪と呼ばれる罪は、しばしば、理性の防御までなくしてしまう暴力と死の衝動に我を忘れた人間によって犯されるものだということなのです。この狂気の瞬間、この殺人の激情の瞬間に、死刑であれ終身刑であれ刑罰を想起することは、殺人者にはありえないことなのです》

《明日、みなさんのおかげで、フランスの司法はもはや人を殺める司法ではなくなるのです。明日、みなさんのおかげで、夜明け方のフランスの刑務所の黒い天蓋の下で人目をしのんでこっそり執行される、私たちの共通の恥である死刑が無くなるのです。明日、私たちの司法の血塗られたページがめくられるのです》

*http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-250.html

 場合によっては死刑も

 基本的法制度に関する世論調査 内閣府大臣官房政府広報室 (世論調査報告書 平成21年12月調査)

(1) 死刑制度の存廃

 死刑制度に関して,「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」,「場合によっては死刑もやむを得ない」という意見があるが,どちらの意見に賛成か聞いたところ,「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」と答えた者の割合が5.7%,「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えた者の割合が85.6%となっている。/ 前回の調査結果と比較してみると,「場合によっては死刑もやむを得ない」(81.4%→85.6%)と答えた者の割合が上昇している。/都市規模別に見ると,大きな差異は見られない。

 ア 死刑制度を廃止する理由

 死刑制度に関して,「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」と答えた者(111人)に,その理由を聞いたところ,「生かしておいて罪の償いをさせた方がよい」を挙げた者の割合が55.9%,「裁判に誤りがあったとき,死刑にしてしまうと取り返しがつかない」を挙げた者の割合が43.2%,「国家であっても人を殺すことは許されない」を挙げた者の割合が42.3%,「人を殺すことは刑罰であっても人道に反し,野蛮である」を挙げた者の割合が30.6%,「死刑を廃止しても,そのために凶悪な犯罪が増加するとは思わない」を挙げた者の割合が29.7%,「凶悪な犯罪を犯した者でも,更生の可能性がある」を挙げた者の割合が18.9%などの順となっている。

 イ 即時死刑廃止か,いずれ死刑廃止か

 死刑制度に関して,「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」と答えた者(111人)に,死刑を廃止する場合には,すぐに全面的に廃止するのがよいと思うか,それともだんだんに死刑を減らしていって,いずれ全面的に廃止する方がよいと思うか聞いたところ,「すぐに,全面的に廃止する」と答えた者の割合が35.1%,「だんだん死刑を減らしていき,いずれ全面的に廃止する」と答えた者の割合が63.1%となっている。

 ウ 死刑制度を存置する理由

 死刑制度に関して,「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えた者(1,665人)に,その理由を聞いたところ,「死刑を廃止すれば,被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」を挙げた者の割合が54.1%,「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」を挙げた者の割合が53.2%,「死刑を廃止すれば,凶悪な犯罪が増える」を挙げた者の割合が51.5%と高く,以下,「凶悪な犯罪を犯す人は生かしておくと,また同じような犯罪を犯す危険がある」(41.7%)などの順となっている。(複数回答)/前回の調査結果と比較してみると,「死刑を廃止すれば,被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」(50.7%→54.1%)を挙げた者の割合が上昇している。/都市規模別に見ると,「死刑を廃止すれば,被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」,「死刑を廃止すれば,凶悪な犯罪が増える」を挙げた者の割合は小都市で高くなっている。/性別に見ると,大きな差異は見られない。/年齢別に見ると,「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」を挙げた者の割合は70歳以上で高くなっている。

 エ 将来も死刑存置か

 死刑制度に関して,「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えた者(1,665人)に,将来も死刑を廃止しない方がよいと思うか,それとも,状況が変われば,将来的には,死刑を廃止してもよいと思うか聞いたところ,「将来も死刑を廃止しない」と答えた者の割合が60.8%,「状況が変われば,将来的には,死刑を廃止してもよい」と答えた者の割合が34.2%となっている。/前回の調査結果と比較してみると,大きな変化は見られない。/都市規模別に見ると,大きな差異は見られない。/性別に見ると,「将来も死刑を廃止しない」と答えた者の割合は男性で,「状況が変われば,将来的には,死刑を廃止してもよい」と答えた者の割合は女性で,それぞれ高くなっている。/年齢別に見ると,「状況が変われば,将来的には,死刑を廃止してもよい」と答えた者の割合は30歳代,40歳代で高くなっている。

(2) 死刑の犯罪抑止力

 死刑がなくなった場合,凶悪な犯罪が増えるという意見と増えないという意見があるが,どのように考えるか聞いたところ,「増える」と答えた者の割合が62.3%,「増えない」と答えた者の割合が9.6%,「わからない・一概には言えない」と答えた者の割合が28.0%となっている。/性別に見ると,「増える」と答えた者の割合は男性で,「わからない・一概には言えない」と答えた者の割合は女性で,それぞれ高くなっている。(詳細は内閣府のHPを参照)

(古いデータですが、「死刑」問題に関してはこの島の政府の基本姿勢は変化がないと考えています。詳細な「調査結果」を掲載しようと考えたのですが、あまりにもお粗末なのでやめました。「死刑」を弄んでいるのではないかといいたくなるのです。「内閣府」は今日の政治状況の中でどんな役割をしているのか、想像しただけで虫唾が走ります。調査は「中立」「公平」だとぼくにはとても思われません。他国を持ち出すまでもなく、この島社会の「犯罪」「刑罰」に対する姿勢はきわめて恣意的であり、刹那的であると、ぼくはずっと考えてきました)

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 ●2012年の死刑判決と死刑執行(2013年4月10日現在)(amunesty International 報告)

 2012年の死刑をめぐる状況は、数カ国で多少の後退はあったものの、世界的には死刑廃止の潮流が継続していることをアムネスティは確認した。/アムネスティの調べでは、死刑を執行した国は21カ国、件数は682件であった。これは2011年とほぼ同数である(それぞれ21カ国、680件)。この682件には、他の国々の総数を優に上回って数千にのぼるとされる、中国の死刑執行は含まれていない。確認されている死刑執行数では、イラン、イラク、サウジアラビアの3カ国で、世界総数の4分の3に達している。/死刑廃止に向けた前進は、世界の全地域で見られた。米国は、南北アメリカで唯一の死刑執行国だが、州単位で見ると2011年に13州が執行したのに対して、2012年は9州に減少した。コネチカット州は4月、死刑を廃止する17番目の州となった。また、全米で下された新たな死刑判決は、12件であった。

 南アジアでは、数カ国で死刑の再開など退行的な動きがあったが、これは、アジア太平洋全体の死刑廃止の潮流に逆行するものである。ベトナムは死刑判決を下さず、シンガポールも死刑の法律の改正を検討しているため、執行停止を順守している。/サハラ以南のアフリカでは、死刑廃止へのさらなる進展があった。ベナンでは、死刑関連の条項を撤廃する立法的措置を取った。また、ガーナは、新憲法で死刑を廃止する計画だ。シエラレオネでは、ついに死刑囚がいなくなった。/そしてラトビアが、特定の犯罪にのみ適用していた死刑を廃止する法律を1月1日に発効させ、世界で97番目の全廃国となった。

 死刑廃止へ向かう世界の動向

•G8国で死刑を執行したのは、日本と米国のみ

•国連加盟国193カ国のうち174カ国で死刑執行なし

•米国は、南北アメリカで唯一の死刑執行国

•ベラルーシは、ヨーロッパと中央アジア唯一の死刑執行国

•アフリカ連合54カ国中、死刑執行は5カ国のみ。37カ国は、法律上または事実上、死刑を廃止

フランスで死刑制度を廃止した時の法務大臣(バダンテー)。上の本は彼が書いたもの

•アラブ連盟21加盟国のうち7カ国が死刑を執行

•ASEANでは10加盟国のいずれでも、死刑執行なし

•英連邦54カ国で死刑執行は、5カ国のみ

(最近のデータ等については次回のブログにでも載せることにします)

(「死刑制度」などに関する問題は、ぼくには重いテーマですが、これまでもふらふらしながら考えてきましたので、その愚論をゆっくりと述べていきたいと考えているのです)