不器用な人間ほど一流に…

 ちょうど十年前の事でした。「十年一昔」というか「十年一日」といいますか。「ショック」は地球規模で発生していました。(ぼくがまだ新聞を少しはていねいに読んでいた時期の記録でもあります。まるで「十年一昔」ですね)そして、今日。苦難は地球規模です。出口は見えません。

 21世紀の徒弟制度は

 世界のトヨタの大規模リコールは、一自動車メーカーを超えて日本の製造業全体が直面する問題と映ります。日本のものづくりは盤石なのでしょうか。

 トヨタ自動車の世界への貢献には計り知れないものがあります。

 一九〇八年、フォードが開始したベルトコンベヤーによる分業と流れ作業の大量生産方式は、二十世紀の車社会を出現させました。続くGM(ゼネラル・モーターズ)のモデルチェンジと大型高級化販売戦略は車を誰もが欲しがる憧(あこが)れの商品に躍進させました。

 ◆ものづくりは日本の命

 これに対して、トヨタの編み出したカンバン方式は部品在庫一掃の革新的な生産方式でした。ジャスト・イン・タイムとも呼ばれるこの究極のコスト削減策は自動車の生産現場ばかりか、あらゆる企業に導入されていくことになり、グローバル時代をけん引する方式となったともいえます。

 もちろんその徹底したコスト削減と効率化が意味をもち輝くのは高品質に支えられることが絶対条件です。ものづくりへの信用と信頼があってのコスト削減です。

 トヨタのリコール問題は品質問題だけに還元できない側面をもつようですが、一企業だけの問題として見過ごせないのは、市場原理に染まった日本の社会そのものが、ものづくりの心や働くことの問いかけを忘れてしまったのではないかとの疑問がよぎるからです。 

 そんな時代への反省からでしょう。社員教育に徒弟制度を取り入れている横浜市都筑区の小さな木工会社が全国的な話題と注目を集めています。

 注文家具をつくる有限会社「秋山木工」で、家具職人の秋山利輝さん(66)が代表。「技能五輪全国大会」の金メダリストなどの一流の職人が次々と育っています。

◆不器用人間が一流になる

 徒弟制度は江戸時代から二百五十年の歴史と伝統をもちますが、秋山木工の制度は、秋山代表の体験から生み出された独自のシステムです。さまざまな工夫のなかの最大の特長は面接の徹底でしょう。入社希望の若者本人ばかりか、秋山代表の、若者の実家を訪ねての両親への長時間面談が加わります。(右は秋山代表)

 厳しいスパルタ教育に耐えるには本人の決意と覚悟のほかに両親の見守りと励ましが絶対に必要だからです。修業が生半可でないことはやがてわかってきます。

 毎年三月、二~十人の新入社員が採用されます。倍率は十倍前後、北海道から沖縄まで、高卒に一流国立大学の卒業生も交じります。丁稚(でっち)としての四年の研修と職人としての四年の修業の計八年が職人養成の全行程です。

 入社時は男も女も丸刈り。最初の四年は寮生活で、休みは盆と正月の十日間。この間、親の面会も恋愛も許されません。毎朝五時前の起床、近所の掃除とマラソン、平均睡眠時間三~四時間のハードな日々とあっては脱落者が出ても不思議ではありません。むしろ耐え抜く若者が多いことの方に、頼もしさとこの国の未来への希望を感じさせます。

 奈良県明日香村の最も貧しい家に生まれ、中学二年まで名前も書けなかった秋山代表を積極人間に変えたのは徒弟制度下での必死の修業でした。下積み時代の苦労は、将来、壁を乗り越えるための投資が信念ともなりました。

 著書の「丁稚のすすめ」(幻冬舎)には体験から得た数々の持論が披露されています。

 「職人は技術より人間性」「不器用な人間ほど一流になれる」「褒めるよりも叱(しか)って伸ばす」

 器用な人間は謙虚な心を忘れ傲慢(ごうまん)になり、結局は謙虚にひたむきにやり続ける不器用人間が大成することになったりするからです。

 秋山木工からはこの三十年で五十人の職人が巣立ちました。一人前にした職人を八年で退職させるのは企業経営の点からは損失ですが、世界に通用する職人を一人でも多く世に送り出すとのこれまでの人生への恩返しの実践です。

 それに弟子たちが他社や海外で腕を磨き、自分と同じように職人を育ててくれることを期待しています。そうすれば職人魂が次々に引き継がれ、日本のすばらしい技術と文化が伝えられ生き残っていくことにもなるからです。/若者たちに愛され尊敬される献身的な親方の存在。そこに徒弟制度が二十一世紀に生き残れるかどうかのカギがあるようです。

 ◆仕事や幸福を見つめる

 マネーゲームにも似た倫理なき資本主義には空(むな)しさが漂います。かつての西洋が資本主義発展のなかにプロテスタンティズムの倫理を見たように日本にもそれぞれがその仕事に励むことによって救いが得られるとの教えや考えがありました。仕事や幸福についてあらためて見つめ直す時期です。(東京新聞・10/02/14)

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 教える、育てる。この営みはさまざまな方法がありました。その典型例が「徒弟」という制度でありました。ある時期までは学校教育の教えの方法と並行して存在していましたが、いつの頃からか、徒弟制は捨てられてしまいました。あまりにも古くさいという理由だったでしょうか。それとも、そのような時間がかかりムダが多い方法は、効率や経済性を追求する時代の精神(風潮)とは相容れないということだったか。

 そのような古色蒼然とした教え、育てる方法が復権しているというよりは、必要とされるところでは営々と維持されてきたのです。人が育つ、それもみずからの生き方を的にすえて育つためには、けっして捨ててはならない人生の流儀だったと思われるのです。

 上の記事に紹介されている秋山さんの著書から。

 《「仕事が早い」という言葉があります。/ 多くの場合、これは賞め言葉として使われています。いろいろなことを短時間に、起用にこなす人間は、企業にとっては使いやすく、貴重な人材なのかもしれません。即戦力を求める企業が増えたいまの時代では、重宝されるでしょう。/私の会社にも、仕事の早い、〝器用な〟丁稚がいます。/ しかし、私の会社では、〝器用な〟ことは評価されません。/ 仕事が早くできることは大切なことです。お客様から注文を受けたら、納期は必ず守らなければいけませんから、時間感覚があることは重要です。/ ですが、仕事が早い、器用、というだけでは、将来通用しなくなります。(中略)

 器用な人間は、何でもすぐにできてしまうので、「何かを学びたい」「教えてもらいたい」という謙虚な心を忘れがちです。また、「できる」ことが当たり前なので、何かを達成したときの感動も少ないことが多いようです。その結果、伸びしろに限界が出てきます。/ また、器用な子は、小さい頃から賞められた経験が多いので、失敗して怒られることに慣れていません。打たれ弱いので、根を上げて早い段階であきらめてしまいます。(中略)/ ですから、私は器用な人間は徹底的に訓練します。

 「自分が器用だからと言って、威張るな!傲慢になるな!」「謙虚な心を忘れるな!」》(https://www.akiyamamokkou.net/

 これでも器用に生きる方を選びますか。きっと、器用なひとは不器用な人間を嫌い抜きますね。「ドジ」「間抜け」「のろま」などと口を極めて罵る。これは一面では「不器用」だったぼくの実感でもあります。

 その理由はなんですか。きっと、相手の気持ちを読みすぎる自分の卑しさを嫌悪するのを、まったく隠そうとしない、不器用な人間をうらやましく思うからではないでしょうか。「あいつは、卑屈じゃないなあ」という裏返しの羨望の念からだと思いますね。

 器用な人は「隣が見える」「隣を見てしまう」から、気が移るんですね。「なんで、こんなしんどいことをせなあかんねん」と理屈に走ります。と、これは他面では「器用人間」だったぼくの告白です。でも、不器用者をまったく悪者扱いするのが世間なんですね。どうしてなんですか。

●ぶ‐きよう【不器用/無器用】 の解説1 手先が器用でないこと。また、そのさま。ぶきっちょ。「―な手つき」2 物事の処理のへたなこと。また、そのさま。「―でお世辞一3 道理にはずれていること。卑劣なこと。また、そのさま。「女の道をそむいた―な魂ここにある」〈浄・国性爺後日〉(デジタル大辞泉)

*https://president.jp/articles/-/34031

投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。