#うちで治そう #4日間はうちで

 PCR検査の相談目安変更へ 「37.5度」削除も検討

 新型コロナウイルスに感染したかどうかのPCR検査の必要性を判断する相談センターへの相談の目安について、政府の専門家会議は、重症化しやすい人は風邪の症状が「2日程度」続いた場合としていた日数をなくし、すぐ相談しやすくなるよう目安を変更する方針を固めた。「37・5度以上」が4日以上としていた発熱の目安も削除することを検討している。

読売新聞(5/5)

 専門家会議が2月17日にまとめた目安では、軽症者が医療機関に殺到して医療崩壊するのを防ぐといった狙いから、風邪の症状や37・5度以上の発熱が4日以上続いた場合に帰国者・接触者相談センターに相談することとされた。高齢者や基礎疾患がある人ら重症化しやすい人についても、2日程度続いた場合だった。

 しかし、軽症と判断されて自宅で待機していた感染者が亡くなったり、検査を受けられない人が相次いだりして厳しく批判されたことから、見直しを議論。厚生労働省が専門家の意見をまとめ、連休明けにも公表する方針を決めた。

 見直し案によると、重症化しやすい人や妊婦らは発熱があればすぐに相談していいほか、人によって平熱は異なると批判されていた発熱の目安「37・5度」も削ることを検討している。また、息苦しさや強いだるさ(倦怠(けんたい)感)に加え、高熱が出た場合もすぐに相談できると明記する。

 厚労省によると、いまの目安を決めた2月はインフルエンザの流行時期で、症状の区別が付きにくかったが、インフルの流行期を過ぎたこと、新型コロナウイルスは軽症と思われていても急に重症化するといった特性がわかってきたことなどから、見直すことにしたという。(5/5(火) 21:15配信朝日新聞デジタル)

 この程度の「人命尊重」レヴェルですよ。ウイルスの特性がわかってきたから、変更(見直し)することにしたという。嘘だね。見苦しい「自己弁護・弁解」ですね。

 一人一人の症状に応接することをはなから拒否していたし、「具合が悪くなっても医者にクルナ」と、東京都医師会の馬鹿どもも言っていた。「専門家有志」なるものどもも、「#家にいよう」などとかいう虫唾の走る「悪誘導」をしていました。詳しく載せるのは胸糞が悪いのでやめておきます。要するに「いのち」を塵芥のようにしか見ていなかったという明証だ。「犬死」ばかりは断固としてしませんように。(「コロナ専門家有志の会「#うちで治そう」ひっそり撤回に批判の声」 https://news.goo.ne.jp/article/jisin/nation/jisin-https_jisin.jp_p_1855075.html

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 師の教えたこと (コラム「南風」) 

 年をとったせいか、卒業した大学の恩師の一言を最近よく思い出すようになった。恩師は「学者や専門家と称する人たちの言うことは信じてはいけない」と教えてくれた。

 学者が学者を信じるなという率直な発言を今でも鮮明に思い出す。理由として「お金もうけを研究している経済学の教師に金持ちがいないこと」を例としてあげた。恩師は続けて「学者は過去のことについては詳しいが未来のことは知らない」と話していた。つまり、未来のことについては学者もそうでない一般の人もそんなに違いはないということである。

 この見識はなかなか薀蓄(うんちく)があるように思われる。金融のプロたちが犯した最近のリーマンに象徴される国際金融危機。原因については比較的所得の低い人たちに貸し出す住宅向けのサブプライムローンの焦げ付きが危機の発端と説明されているが、危機を事前に予測した人は注目を浴びなかった。

 世界最高のシンクタンクと称される日本の官僚組織が運営する日本国家は、近隣アジアの興隆をよそ目にしながら、長期のスランプに陥っている。これは、官僚が立てた政策が必ずしも適切でなかったことを示していないか。

 また、大学の先生方が登場するテレビ討論を見ていると、個々の論者によって発言が異なり、結論が一致しない場合が多い。つまり、どなたが正しいかは、時間がたってみないと分からないということだ。/ このような論旨を展開すると、行く着く先は他人を信じるなということかと言われそうであるが、決してそうは思わない。学者や専門家は情報の宝庫であり、参考にすべき意見の持ち主である場合が多い。

 恩師は「うのみにしないで、自身で考えろ」と言いたかったのだろうと解釈している。(照屋健吉、沖縄テレビ開発社長)(琉球新報・2009年10月15日)

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 「天声人語」を愛読していたころの「痕跡」(あるいは「前科」)として

 亡くなった多田富雄さんが読売新聞に連載していた「落葉隻語」は、ライバル紙ながら楽しみだった。今度一冊にまとまったのを読み(青土社刊)、また色々と教わった。近ごろの日本人の「過剰な無菌志向」を案じて、こう書いている▼「子供がたまに発熱したり下痢したりするのは、黴菌(ばいきん)との戦い方を習得しているからである。…成長の時期にここで戦い方を学習しないと、雑菌に対する抵抗力が弱くなり、逆にアレルギーを起こしやすい体質になる」と。そして「免疫学者の私が言うのだ。信じていい」

 しかし、無菌志向はますます高じているようだ。たとえば子の遊ぶ砂場も、砂には抗菌加工をし、抗菌用の備長炭を敷いたのが人気だと小紙の記事にあった。ショッピングセンターの有料施設だが、犬猫のふんもなく安心なのだという。

 東京の声欄では高校生がそれを嘆いていた。「過剰に気にすると、鳥のふんも不潔と気になるだろう」という、その感覚に一票を投じたい。生きとし生けるもの、「汚さ」なしに命をつなぐことはできないのだから▼ある元大学教授は小紙に、「そのうち犬や猫にも触れなくなってしまうのではないか」と感想を寄せていた。加えて「危ない」やら「騒がしい」やらで近年、遊ぶ場所はとみにインドア化していると聞く。幼い日常がやせ細ってはいないか心配になる。

 五感を働かせてのびのび遊ぶ経験は将来、親が思う以上に生きる力を生むそうだ。過保護で芽を摘むことなかれ。多田さんの一節を、子育て全般への貴重な教訓と読む。(朝日新聞・10/06/11)

 疫学の碩学だった多田さん。ご存命でおられたなら、現下の万般の事態・状況をなんと見たでしょうか。何度かお声を聴いたことがありました。ホントに「寡黙の巨人」であったと感じられたことでした。

*多田富雄(1943-2010)=免疫学者・文筆家。茨城県出身。千葉大学医学部卒業。同大学医学部教授,東京大学医学部教授,国際免疫学会連合会長などを務めた。東京大学名誉教授。1971年にリンパ球の一種で免疫反応を調整するサプレッサー(suppressorは〈抑制するもの〉の意)T細胞を発見した。文筆家としても知られ,著書の《免疫の意味論》で大仏次郎賞,《独酌余滴(どくしゃくよてき)》で日本エッセイスト・クラブ賞,《寡黙なる巨人》で小林秀雄賞を受賞している。能の創作も手掛けている。1984年に文化功労者。(百科事典マイペディアの解説)

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 専門家にもさまざまな分野の人士があります。泥棒の専門家、詐欺の専門家、悪質商法の専門家、藪医の専門家、稀に見る医療の専門家、(絶滅種になった)政治の専門家などなど。「その道の専門家」はいまでは「絶滅危惧種」となったのでしょうか。一面では残念なことでもあるし、他面では「素人の時代」到来と歓迎される向きもあります。

 「玄人はだし」という世間語もありました。《玄人もはだしで逃げだすほどである意》素人が技芸や学問などに専門家が驚くほどすぐれていること。「玄人跣の腕前」》(デジタル大辞泉)(ほんとにそんな意味ですか)かかる人間蔑視の藪以下医者連中の蔓延状況にあっても、ぼくたちは安易に「専門家」に身も心もあずけますか。(志の高い医者もきっといることをぼくは疑わない。まだぼくが出会っていないだけです)若いころは、一端(いっぱし)によく聞かれました。「専門は何ですか」と。いつでも答えは決まっていました。「ナンニモセンモン」なんだと。ぼくは、アマチュア、好事家、ディレッタント(dilettante)で十分すぎるほど。この道一筋は、生き方の流儀には副わないね。

 さてさて、自分の足で歩こう。自分によく注意を払おう。

 不器用な人間ほど一流に…

 ちょうど十年前の事でした。「十年一昔」というか「十年一日」といいますか。「ショック」は地球規模で発生していました。(ぼくがまだ新聞を少しはていねいに読んでいた時期の記録でもあります。まるで「十年一昔」ですね)そして、今日。苦難は地球規模です。出口は見えません。

 21世紀の徒弟制度は

 世界のトヨタの大規模リコールは、一自動車メーカーを超えて日本の製造業全体が直面する問題と映ります。日本のものづくりは盤石なのでしょうか。

 トヨタ自動車の世界への貢献には計り知れないものがあります。

 一九〇八年、フォードが開始したベルトコンベヤーによる分業と流れ作業の大量生産方式は、二十世紀の車社会を出現させました。続くGM(ゼネラル・モーターズ)のモデルチェンジと大型高級化販売戦略は車を誰もが欲しがる憧(あこが)れの商品に躍進させました。

 ◆ものづくりは日本の命

 これに対して、トヨタの編み出したカンバン方式は部品在庫一掃の革新的な生産方式でした。ジャスト・イン・タイムとも呼ばれるこの究極のコスト削減策は自動車の生産現場ばかりか、あらゆる企業に導入されていくことになり、グローバル時代をけん引する方式となったともいえます。

 もちろんその徹底したコスト削減と効率化が意味をもち輝くのは高品質に支えられることが絶対条件です。ものづくりへの信用と信頼があってのコスト削減です。

 トヨタのリコール問題は品質問題だけに還元できない側面をもつようですが、一企業だけの問題として見過ごせないのは、市場原理に染まった日本の社会そのものが、ものづくりの心や働くことの問いかけを忘れてしまったのではないかとの疑問がよぎるからです。 

 そんな時代への反省からでしょう。社員教育に徒弟制度を取り入れている横浜市都筑区の小さな木工会社が全国的な話題と注目を集めています。

 注文家具をつくる有限会社「秋山木工」で、家具職人の秋山利輝さん(66)が代表。「技能五輪全国大会」の金メダリストなどの一流の職人が次々と育っています。

◆不器用人間が一流になる

 徒弟制度は江戸時代から二百五十年の歴史と伝統をもちますが、秋山木工の制度は、秋山代表の体験から生み出された独自のシステムです。さまざまな工夫のなかの最大の特長は面接の徹底でしょう。入社希望の若者本人ばかりか、秋山代表の、若者の実家を訪ねての両親への長時間面談が加わります。(右は秋山代表)

 厳しいスパルタ教育に耐えるには本人の決意と覚悟のほかに両親の見守りと励ましが絶対に必要だからです。修業が生半可でないことはやがてわかってきます。

 毎年三月、二~十人の新入社員が採用されます。倍率は十倍前後、北海道から沖縄まで、高卒に一流国立大学の卒業生も交じります。丁稚(でっち)としての四年の研修と職人としての四年の修業の計八年が職人養成の全行程です。

 入社時は男も女も丸刈り。最初の四年は寮生活で、休みは盆と正月の十日間。この間、親の面会も恋愛も許されません。毎朝五時前の起床、近所の掃除とマラソン、平均睡眠時間三~四時間のハードな日々とあっては脱落者が出ても不思議ではありません。むしろ耐え抜く若者が多いことの方に、頼もしさとこの国の未来への希望を感じさせます。

 奈良県明日香村の最も貧しい家に生まれ、中学二年まで名前も書けなかった秋山代表を積極人間に変えたのは徒弟制度下での必死の修業でした。下積み時代の苦労は、将来、壁を乗り越えるための投資が信念ともなりました。

 著書の「丁稚のすすめ」(幻冬舎)には体験から得た数々の持論が披露されています。

 「職人は技術より人間性」「不器用な人間ほど一流になれる」「褒めるよりも叱(しか)って伸ばす」

 器用な人間は謙虚な心を忘れ傲慢(ごうまん)になり、結局は謙虚にひたむきにやり続ける不器用人間が大成することになったりするからです。

 秋山木工からはこの三十年で五十人の職人が巣立ちました。一人前にした職人を八年で退職させるのは企業経営の点からは損失ですが、世界に通用する職人を一人でも多く世に送り出すとのこれまでの人生への恩返しの実践です。

 それに弟子たちが他社や海外で腕を磨き、自分と同じように職人を育ててくれることを期待しています。そうすれば職人魂が次々に引き継がれ、日本のすばらしい技術と文化が伝えられ生き残っていくことにもなるからです。/若者たちに愛され尊敬される献身的な親方の存在。そこに徒弟制度が二十一世紀に生き残れるかどうかのカギがあるようです。

 ◆仕事や幸福を見つめる

 マネーゲームにも似た倫理なき資本主義には空(むな)しさが漂います。かつての西洋が資本主義発展のなかにプロテスタンティズムの倫理を見たように日本にもそれぞれがその仕事に励むことによって救いが得られるとの教えや考えがありました。仕事や幸福についてあらためて見つめ直す時期です。(東京新聞・10/02/14)

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 教える、育てる。この営みはさまざまな方法がありました。その典型例が「徒弟」という制度でありました。ある時期までは学校教育の教えの方法と並行して存在していましたが、いつの頃からか、徒弟制は捨てられてしまいました。あまりにも古くさいという理由だったでしょうか。それとも、そのような時間がかかりムダが多い方法は、効率や経済性を追求する時代の精神(風潮)とは相容れないということだったか。

 そのような古色蒼然とした教え、育てる方法が復権しているというよりは、必要とされるところでは営々と維持されてきたのです。人が育つ、それもみずからの生き方を的にすえて育つためには、けっして捨ててはならない人生の流儀だったと思われるのです。

 上の記事に紹介されている秋山さんの著書から。

 《「仕事が早い」という言葉があります。/ 多くの場合、これは賞め言葉として使われています。いろいろなことを短時間に、起用にこなす人間は、企業にとっては使いやすく、貴重な人材なのかもしれません。即戦力を求める企業が増えたいまの時代では、重宝されるでしょう。/私の会社にも、仕事の早い、〝器用な〟丁稚がいます。/ しかし、私の会社では、〝器用な〟ことは評価されません。/ 仕事が早くできることは大切なことです。お客様から注文を受けたら、納期は必ず守らなければいけませんから、時間感覚があることは重要です。/ ですが、仕事が早い、器用、というだけでは、将来通用しなくなります。(中略)

 器用な人間は、何でもすぐにできてしまうので、「何かを学びたい」「教えてもらいたい」という謙虚な心を忘れがちです。また、「できる」ことが当たり前なので、何かを達成したときの感動も少ないことが多いようです。その結果、伸びしろに限界が出てきます。/ また、器用な子は、小さい頃から賞められた経験が多いので、失敗して怒られることに慣れていません。打たれ弱いので、根を上げて早い段階であきらめてしまいます。(中略)/ ですから、私は器用な人間は徹底的に訓練します。

 「自分が器用だからと言って、威張るな!傲慢になるな!」「謙虚な心を忘れるな!」》(https://www.akiyamamokkou.net/

 これでも器用に生きる方を選びますか。きっと、器用なひとは不器用な人間を嫌い抜きますね。「ドジ」「間抜け」「のろま」などと口を極めて罵る。これは一面では「不器用」だったぼくの実感でもあります。

 その理由はなんですか。きっと、相手の気持ちを読みすぎる自分の卑しさを嫌悪するのを、まったく隠そうとしない、不器用な人間をうらやましく思うからではないでしょうか。「あいつは、卑屈じゃないなあ」という裏返しの羨望の念からだと思いますね。

 器用な人は「隣が見える」「隣を見てしまう」から、気が移るんですね。「なんで、こんなしんどいことをせなあかんねん」と理屈に走ります。と、これは他面では「器用人間」だったぼくの告白です。でも、不器用者をまったく悪者扱いするのが世間なんですね。どうしてなんですか。

●ぶ‐きよう【不器用/無器用】 の解説1 手先が器用でないこと。また、そのさま。ぶきっちょ。「―な手つき」2 物事の処理のへたなこと。また、そのさま。「―でお世辞一3 道理にはずれていること。卑劣なこと。また、そのさま。「女の道をそむいた―な魂ここにある」〈浄・国性爺後日〉(デジタル大辞泉)

*https://president.jp/articles/-/34031