峰火 三月に連なり

 天声人語 高千穂製作所の誕生は約90年前、大正半ばである。八百万(やおよろず)の神々が宿る高千穂の峰。海外に通じる製品を作らんと、商標は世界の高天原(たかまがはら)、ギリシャ神話の聖地から拝借した。オリンパスの名は、こうして生まれる▼高貴な社名と、先人の理想を裏切る失態である。企業買収に絡む不自然な散財。巨額を動かした目的は、バブル期から引きずる含み損の穴埋めだった。粉飾決算は上場廃止に値する不名誉だ▼真相に迫る英国人社長を切った前会長兼社長、副社長、常勤監査役らこそ、不正に手を染めた面々だとか。自浄能力のない日本の経営陣と、独り乗り込んで悪を暴く外国人。単純明快な筋立てが悲しい▼内視鏡のトップメーカーである。それが財テクの古傷を見過ごし、いや、見て見ぬふりで20年も放置し、切るに切れぬ病巣にした。手術には外国製のメスを要したが、それは一本で十分だった。この情けない展開、ことは企業統治の緩さに関わり、日本の企業や市場全体が疑われかねない▼大王製紙の前会長が子会社の金を使い込んだ件では、同族経営の甘さが言われた。オリンパスで問われるべきは、サラリーマン役員の無責任と保身だろう。不正を抱えたまま出世できる気楽な稼業である▼顕微鏡と体温計に始まる同社は、戦後間もなく世界初の胃カメラを世に出した。内視鏡の先駆として、数えきれぬ人命を救ってきた開発陣が気の毒でならない。誇り高き光学企業が、技術ではなく不正経理でつまずく不条理を何としよう。(朝日・11/11/09)

 「高貴な社名」と「腐敗した幹部」というのは悪い冗談か。(あるいは「自社・あさひ」のことを指していうのか)ぼくもこれまでになんどかカメラを飲まされましたが、飲み心地はけっしてよくありませんでした。ここでも公私を弁えない「公器の私物化」がまかり通っていたのです。なぜこうなるのか。理由は単純です。仕事力ではなく、下卑た政治力を命綱に出世の階段をよじ登ることが使命(名誉・権力)だと悲しい錯覚をのさばらせた結果です。(ぼくは大枚をはたいて、「OM-1」を購った、その瞬間をよく覚えています。こんな醜態を見せつけられて、なんだかそのカメラが汚れているような、レンズにカビが生えているような、なんともいいようのない味気なさ、口惜しさを覚えました)

 社会に生きてあるというのは、わが身一個のよくするところではないという当然の摂理を忘れれば、あとは怖いモノはないというだけの話です。こんな会社は市場から退場をと行かないらしいのは、どうしてだろうか。どんなものにも、お手本があるんですね。いい見本だけではなく、悪い見本こそ、「お手本」になって、鏡の役割を果たしています。「ああすりゃ、いいんだな」原発を爆発させた会社もまだ生き延びている、でかい顔して。いや、生き延びさせる政治が存在しているだけのことです。その時、政治は「延命装置」になっており、政治自体が「生き延びる」ために「原発」を嘘でも稼働させているにすぎない。「カネヅル」は死んでも話さないぞ。

 人よりも豊かな暮らし、人よりも大きな権力、人よりも多いゼニカネをという、卑しすぎる「独尊」懇望がこの時代に蔓延しているのを悲観するのではない。悲観する必要もない。ぼくにはだれにも邪魔されたくない「私」があり、それは絶対的な「他者」なしでは成りたたないという厳粛な日常を壊されたくないだけです。唯我独尊という姿勢は「傍若無人」と紙一重でもなければ、兄弟でもない。ここにも都合のよい「はきちがえ」が横行している。

 自己本位の、勝手な振る舞いを正当化するのは、いかんともしがたい「罪咎」であるぞ。

 「この世で、自分ほど偉いものはいないとうぬぼれること。釈迦が生まれたときに七歩歩き、一方で天を指し、他方で地を指して唱えたという言葉と伝えられる」(デジタル大辞泉)このように「うぬぼれ」をもったり、「他人を貶める」のはまちいであるということです。並み居る辞書群の、なんという軽薄な「解説」「説明」か。新聞やテレビに盛る「知識人並み」だね。これで「仏教」が語れるのかな。お釈迦さんが「うぬぼれ」たっていうの。ご冗談を。

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 河北抄 詩人の故中桐雅夫さんに『会社の人事』という詩がある。<「絶対、次期支店次長ですよ、あなたは」/顔色をうかがいながらおべっかを使う/いわれた方は相好をくずして/「まあ、一杯やりたまえ」と杯をさす>▼一般企業の多くは異動の季節まで間があるが、プロ野球は来季の人事をめぐるストーブリーグの真っ最中だ。とりわけ話題をさらっているのが、巨人軍のお家騒動である。▼清武英利球団代表(61)が上司である渡辺恒雄球団会長(85)を批判。コーチ人事を一方的にひっくり返したとして「不当な鶴の一声で、巨人軍を私物化するような行為は許せない」と訴えた。▼清武さんに同情的な声が多いが、しょせんはコップの中の争い。プロ野球の印象が悪くなっただけ、と冷ややかな見方もある。▼詩の後段が悲しい。(略) (河北新報・11/11/15)

 「震災」発生の年に露出・顕現した、この島社会の、もっとちいさな島(コップ)に生じた「内輪もめ」と「我が物顔」事件、いや事件ですらない。日常一般の「平凡な」一齣だ。(情けないこと、この上ない)書類を書いたり電話を掛ける、あるいはメールのやり取り、昼飯を食う、それと少しもかわらない「日常茶飯事」です。それを、これ(このざま)を見よと、鼻先に突きつけられるのはたまらない。今も進行している劣島「政治劣化過程」も、まるで毎日の「歯磨き」習慣や「通勤」風景と同日の談で、そんな劣化政治に「一喜一憂」じゃない、「喜怒哀楽」でもない、そう「あるがまま」と受け流し、「バカにつける薬はない」と留飲を下げるのでもない。ぼくは自分の足で歩く、多くの人に助けられながら。ぼくも君も「唯我」であると認め合う、そんな世(天上天下)に生きたいですね。

 中桐雅夫さん(1913~1983)の詩を。ある時期までサラリーマン(新聞社)でした。これは没落した「寸志」か「小志」の挽歌ですね。

「絶対、次期支店次長ですよ、あなたは」/ 顔色をうかがいながらおべっかを使う、

いわれた方は相好をくずして、/ 「まあ、一杯やりたまえ」と杯をさす。

「あの課長、人の使い方を知らんな」/「部長昇進はむりだという話だよ」

日本中、会社ばかりだから、/ 飲み屋の話も人事のことばかり。

やがて別れてみんなひとりになる、/ 早春の夜風がみんなの頬をなでていく、

酔いがさめてきて寂しくなる、/ 煙草の空箱や小石をけとばしてみる。

子供のころには見る夢があったのに/ 会社にはいるまでは小さい理想もあったのに。

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 ぼくも会社勤めのころには、似たような「日常」「茶飯事」をくりかえしていました。「支店次長」や「部長」になろうと思ったことは一度もないし(プライバシーが奪われたくなかった)、「不正を抱えたまま出世できる気楽な稼業である」と感じたこともありませんでした。ぼくには飯のタネでしたが、それはなかなかしんどいことでした。「君は部長になりたくないのか」と何度か(部長に)言われたことがありましたが、「ぼくはそんなにバカに見えますか」というのが常でした。(部長どもには悪いことを言ったと思う)ぼくのモットー(そんな大層なものではないのですが)は単純でした、「そこにいて、そこにいない」「一員でありながら、一員であることを拒否」するような見過ぎ世過ぎであり、明け暮れでした。まあ、クロコ(黒子・黒衣)(ホクロでもワニでも、なくはないか)みたいな存在にあこがれていましたね。「私的」「私物」「私事」「私権」を大切にしたいだけでした。

 「クニ」を私物化し、「含み損の穴埋め」「粉飾決算」のやりたい放題、島のあちこちに横並び、なんとも末期(末法)症状であり、「薬石効なし」の島のただ今です。「君はソーリになりたくないのか」「ぼくはそんにバカに見えますか」という問答が、どこかでやられているのでしょうか。「クニ」なんかいらないね、「郷里」があれば。(おい、そんなこと言っていいのか)まずは、町内会からですよ。

 「あさひ」もしずみましたな。のぼるのだろうか。「まいにち」のまいにちはどうなっているか。「まいにち」が「あさひ」とは、厚かましいものだ。

 「国破れて 山河あり」もまた、一抹の寂しさと、ここからだよ、という風情もありますね。「草木深し」がことのほかいいね。このささやかな島波の「安禄山」では、これからも無益な戦いは続くのでしょうね。ぼくは傍観じゃなく、懐手でもなく、自分の足で歩く。衆生は「トホ」に限るねえ。

 五月五日だ。「柱のキズだ」「鯉のぼりだ」ぞ。「粽(ちまき)」を食べな。そして聞いてくれ。「子どもたちよ、学校に頼るな」「教師を当てにしてはだめですよ」「教師を友とせよ」いいですか。どこまでも「トホ」に限りますよ。「徒歩」であり、「杜甫」でもあります。(でも、これを読む「子ども」は一人もいない。なに構うものか。要は「こころざし」ですよ、「意気」」なんだ)

投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。どこまでも、躓き通しのままに生きている。(2023/05/24)