教育は「商品名」だということ

 《…教育はほんの最近になって今日の意義を獲得したのだということを、私たちは忘れがちだ。子豚やあひるや人間に必要なはじめのしつけという部分を別にすれば、教育は宗教改革以前には知られていなかった。それは若者に必要な訓練や、あるものが生涯でその後たずさわり、そのために教師が必要とされるような学問とははっきり区別されていた。ヴォルテールさえまだ、それを見栄っ張りな教師たちだけが使うあつかましい新造語と呼んでいる。

 すべての人々に啓発の継起的な段階を通過させようとする営みは、中世末期の「偉大なる技芸」であった錬金術に深い源をもっている。十七世紀のモラヴィア派の僧正で、自称百科全書的博識家であり教育学者であったヨハン・アモス・コメニウスは、正当に現代の学校の創始者の一人と見なされている。彼は七ないし十二学年の義務的学習を提案した最初の一人であった。『大教授学』のなかで、彼は学校を「あらゆる人にあらゆることを教える」仕組みとして記述し、知識の流れ作業的生産のための青写真の大要を示した。彼の方法によれば、知識の流れ作業的生産は教育をより安価ですぐれたものにし、すべての人にとって可能な十全な人間性へと成長させるはずであった》(イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』)

(*コメニウス(1592‐1670)チェコスロバキアの教育思想家。チェコ名はコメンスキー。フス派の社会改革思想を継承するボヘミア兄弟団の牧師。三十年戦争の渦中に国外へ追放され,生涯亡命生活を送り,祖国解放を念願とした。人類愛的平和主義の立場から学校教育の改革をめざし,すべての国の男女が,同一の言語によって,階級差別のない単線型の学校体系において,普遍的知識の体系を学ぶ必要を説き,その教授方法を提唱した。近代教育学とくに教授学の祖といわれる。主著《大教授学》《世界図絵》。後者は近代的教科書の先駆とされる。)(マイペディア)

 イリイチは「教育の大量生産装置」(学校)の理論家としてコメニウスをあげ、「すべての人にすべてのことを」教授できるとしたという点で、近代学校教育の創始者の一人に数えました。くわえて、コメニウスの「学校教育」論を支えた理論こそが「錬金術」だったというのです。どのような意味で、そういわれるのでしょうか。

(*錬金術(れんきんじゅつ)卑金属を貴金属(特に黄金)に変成させる技術,また不老長寿の薬や万能薬を製造する技術の称。英語 alchemy などはアラビア語起源。古代エジプトの冶金術や染色術を背景に,ヘレニズム期にギリシアの思弁が付加されて成立したと想定され,伝説上の始祖はヘルメス・トリスメギストス。イスラム世界で高度な発展をみたほか,ヨーロッパでもニュートン,ゲーテに至るまでの長い伝統がある。〔以下略〕)(マイペディア)

 《この錬金術師は、十二の連続的啓蒙の段階を通じてその精神を濃縮する(graduate)ことによって、劣位の要素(base elements)(子ども)を精錬しようとしたのである。その目的は劣位要素自身と全世界の利益のために、劣位要素が金に変わることであった。もちろん錬金術師たちは、何度試みようとも失敗した。しかし彼らの失敗の理由を案出するたびに、彼らはふたたび試みたのである》(同上)

 この国では「中学卒」を「金の卵」と言い表してきました。彼・彼女らが「劣位要素」であり、それが現実の会社や工場において「金」に変換させられたのかどうか。学校も工場(企業)も錬金術師の働き場だということをイリイチはいっているのです。さすれば、高校や大学も一面では「錬金術」工場といえるでしょう。「金の卵」を使いものにならない劣位要素(メッキの未熟卵)へと変えてしまうから、といえば非難されるでしょうか。

 《産業主義的生産様式は〝教育〟と呼ばれる目に見えない新商品を製造することによって、はじめて十分に合理的根拠を与えられた。教育学は〝偉大な技芸〟(アルス・マグナ)の歴史で新しい一章を開いた。教育は、科学という魔術によってつくりだされた環境に適応する新しいタイプの人間を生みだす錬金術的過程の探求となった。しかし、各世代がどんなに多くの金額を学校に費やそうとも、大多数の人々はより高い段階の啓発にはふむきだと認定され、人工的環境で恵まれた生活をすごす準備ができていないものとして見捨てられねばならないことが、つねに明らかになった》(同上)とえげつないことを言っています。

 「ものを学ぶ(学習する)」とは「学校に行く」ことと同義となれば、学校に行かないものはどんなに能力があろうとも、無教育で無教養であるとされるのは避けられない。その反対もしかり。無能でも、学校に行けば教養があるといわれる?いわれはしないけれど、行ったことは評価されるのです。ありゃあ、大学出だぞって。だから、目的なしに行きたがるのです。これこそが学歴売買市場(ミル)の深層(真相)ですね。

 教育とは、スマホやテレビというのと同じように、あるものを示す「商品」名であり、学校はその商品を生産する制度(工場)です。この両者は自らが存在するためには互いに依存しあっているのです。工場(factory)とは「画一的なもの[人]を生み出す所(◇学校など)」(プログレッシブ英和中辞典 第5版)とあります。画一商品なら、「汚れマスク」より「汚れないマスク」のほうが値打ちがあります。「マスク」を配布するなんざ、なかなか常人には出来かねます。仕掛け人は「金の卵」になったのか「メッキの卵」に格落ちしたのだったか。(しかし、こんな破廉恥きわまる不始末をしておいて、しかも数百億円の税金をぶち込んで、「恬(てん)として恥じない」という不埒をどうします。このバカは本物に過ぎます。「空恐ろしい、背筋が寒くなる」といまになってしみじみ感じいるのだから、ぼくは、目出たいくらいにお粗末です。やっぱり、その張本人もまた、大学出だそうな。

 工場と商品、いかにも今風の資本主義経済社会の主要な部分を言い当てています。「商品の質」こそが、市場で取引されるのです。アメリカではdiploma millという商売が成り立っています。日本も、その一歩手前まで来ています。いや通り越したか。学校名がブランドになるのかどうか、ぼくにはわからないが、小さな経験からみて、同級生たちが「社会」に出て「会社」に入る(ややこしい)のを見てきたものとして、はたして、大学出に取り立てて値打ちがあるのかと疑問をいだくのです。そもそも「大学」の実態たるや、おどろくほど停滞というより、退廃、堕落、際限のない惨状でしたね。昭和初期には、あまりにも不景気で「大学は出たけれど」と、映画の主題にまでなるような事態にいたりました。大学を出れば何とかなるという期待ではなく、それは空想でしたね、さて、今日は…「令和恐慌」という。

●はたらく(働く)1 仕事をする。労働する。特に、職業として、あるいは生計を維持するために、一定の職に就く。「朝から晩までよく―・く」「工場で―・く」「―・きながら資格を取る」2 機能する。また、作用して結果が現れる。「薬が―・いて熱が下がる」「引力が―・く」「機械がうまく―・かない」3 精神などが活動する。「知恵が―・く」「勘が―・く」4 悪事をする。「盗みを―・く」「不正を―・く」5 文法で、用言や助動詞の語尾が変化する。活用する。「五段に―・く動詞」6 動く。体を動かす。「死にて六日といふ日の未(ひつじ)の時ばかりに、にはかにこの棺―・く」〈宇治拾遺・三〉7 出撃して戦う。「オノレワ戦場ニ出テ楯矛(たてほこ)ヲ取ッテワ―・カネドモ」〈天草本伊曽保・陣頭の貝吹き〉(デジタル大辞泉の解説)

●ディプロマ‐ミル【diploma mill】 の解説《卒業証書製造工場の意》大学などの教育機関を自称し、学位や称号を売る団体。このような行為を学位商法という。ディグリーミル。(goo辞書)

 そして誰もいなくなった?

 (福島原発事故の一年後の)五月五日(子どもの日)の深夜、列島でたった一基だけ稼働していた北電泊原発三号機が止まりました。五日の東京新聞(朝刊)に、佐藤正明さんのマンガ(「そして誰もいなくなった」)が一面に出ていた。この佐藤さんのマンガを読むためだけにボクは東京新聞を購読しているといってもいいほどに、いつも抜群に面白いというか、秀逸です。風刺なんて野暮なものじゃない、確かな批判精神が横溢していると思われます。GNPは「ゲンパツ」、そのGNP54の最後のメンバーは泊原子(とまりはらこ)さん。寺山修司は「身捨つるほどの祖国はありや」と問いましたが、いまなお、爆発事故の被害に身も心もすり切らせて、数知れない無辜の民が苦悩している。再稼働云々というのは寝言であり戯言であるとボクはいいたい。泊原子さん、これまでの活動、まことにお疲れ様でした。そして、ただ今休業中、あるいは引退されたGNP54のメンバーの方々、(まだ残務処理は残されていますが)どうか、ゆっくりと休養(引退)してください。「また表舞台に出よう」「スポットライトを浴びたいな」などという悪い冗談は金輪際いわないことです。活動歴が四十年を超えた方(心身をすり減らしたはず)もいれば、泊さんはまだ三年そこそこ。これまで(事務所が)投資した資金を回収できないのは残念で気の毒ですが(それも税金なんだよね)、なにも核分裂(臨界)だけが人生ではないと気づいたなら、きっと新しい光が指すと思います。「皆様のご理解をいただきながら、泊発電所の1日も早い発電再開を目指してまいります」と北電事務所は脳天気な期待や魂胆を語(騙)っていますが、その手に乗ってはいけない、騙されてはダメと、多くのファンは見守っています。GNP54時代は終わったんだ。(この駄文は「原発事故」の一年後に書いた)

 人民の人民による人民のための政治と、誰かがいいましたが、それがいかに困難な課題であるか。現下の(というより、この何十年もの)わが劣島の政治の為体(ていたらく)をみせつけられるにつけ、つくづく思い知らされています。規則をつくる、規則を破る、これを同じ人間どもがするのだから、なにをか言わんや。記録を残す、記録を改竄する。贅言を垂れ流す、それを平気で糊塗する。もう、破棄レベルだね、この島の永田町議員は。

 手に負えない代物を作り、その破天荒な暴走に戦きながら異様な経験をした(させられた)にもかかわらず、いままた、あえてその代物に手を掛けるというのだから、もはや手に負えない暴力だというばかりです。無辜の民がどれだけ犠牲になろうと、金儲けのためには委細かまわずに突っ走ろうというのです。この恐怖のシナリオを書いているのはだれか。盗電派か、それとも「美しい国を」派を自認にする悪輩か。「火事場泥棒」が「緊急事態」下に大量に発生しています。度し難い盗人たちだ。事故後十年を前にして、泊さんたちは「堂々と復活」したのか。こそこそと「舞い戻った」のか。それとも、「引退」していなかったのか。「GNP」メンバーは空恐ろしい鉄面皮であり、鉄仮面だ。

 「そして誰もいなくなった」」と引退を惜しんで(喜んで)いたら、知らぬ間に「メンバー復活」という悪夢が現実になっていた。「稼働自粛」を求め、「稼働停止要請」を促す。なんで「自粛」なんだ、補償・保証・保障しろと、散々ごねて、しこたま懐に入れたじゃないですか。「関西電力」はどうです。立地派の「偉いさん」から賄賂を懐に。ぼくは元関電派(京都)でしたから、情けないことかぎりなし。「感電」しそうになっています。

 半世紀以上も前に「核の平和利用」という悪魔のささやきが吐かれたときから、原子炉の技術はまったく進歩していない。「出口がない」建物しか作れないのだから。「トイレのないマンション」といったのは武谷三男さんだった。それ以上に人智の頽廃は著しい。無知蒙昧と国民を侮り、理屈をひねり出して、莫大な税を投入し、気の遠くなるようなカネをばらまき、立地地域をそれなしでは立ちいかなくしてしまった。福島「東電」の事故以来、電力会社、国家政府、官僚たちの振る舞いをつぶさに見ていて、この連中はおのれのことしか眼中にないし、みずからの利害のためには白昼堂々と嘘八百を言い募るという、空恐ろしい悪行を見てきました。(この島の官邸を牛耳るのは「原発第一」派なんですな。野郎どもは「原発」の輸出を目論んでいました)

 まだまだ、この愚連隊の悪戯・悪態は序の口なのかも知れない。大儀もなく、勝算もない無謀な戦争を仕掛けたのはだれであったか。そして国家を破滅に導いたのはだれであったか。その後裔たちが同じ轍を踏んでいる。それをぼくたちは指をくわえてみているだけか。現下の「コロナ禍」でも同じことで、「不義と不正」を、白昼堂々と侵している、厚顔を臆面もなく晒しながら。ある「痴方官僚」たちは、まるで災厄に遭遇したのに「嬉々としている」と思われるようなはしゃぎかただ。その尻馬に乗りたがる下々の輩も輩出(排出したいね)しています。「同調過剰」に「自粛強制」に「自粛警察」??

 政治・行政の「私物化」が横行しています。政治も行政も「公物」だということを知らないんだ。「公物」とは人民(住人)のものであるという意味です。したがって、政治や行政に携わる人間は「全体への奉仕者(servant)」なんです。こんなことをいっても盗人に追い銭ですなあ。マジで言いますが、これは「国家・国民(正確には「人民」)」が拉致されているのだ、と。これこそが「緊急で異常な事態」そのものです。

 「瓢箪から駒っていうのは、どういう駒か。嘘から出たまこととは、どんなまことか」