What kind of America is it?

 コロナ禍で制約を受けるアメリカの日常は、黒人にとっての日常(パックン)2020年05月30日(土)15時30分

 ロブ・ロジャース(風刺漫画家)/パックン(コラムニスト、タレント)

 …風刺画では「自由の国」なのに、経済活動も生活も自由にできないって、どんなアメリカだよ(What kind of America is it?)と、新型コロナウイルス感染拡大中の生活に不満を感じる白人の疑問が挙がっている。そして普段から学校でも、銀行でも、不動産屋でも、会社でも裁判でも平等な扱いを得られず、買い物、デートなど外に出るだけで命の危機を感じる黒人は「俺のアメリカだ(My America)」と答える。切ない限りだ。

 さらに残念なことに、コロナ危機においても黒人が受けるダメージは白人のそれより大きいようだ。職種や貯金額などの違いから自宅待機ができないとか、「疑われると撃たれる」恐れがあるからマスクを着けないとか、さまざまな理由で感染率が高い。そもそも黒人の医療保険の加入率が白人より低い。予防治療を受ける割合も低い。黒人が受ける医療の質も低い。その結果の違いが、いま著しく表れている。全国平均で、黒人のコロナによる死亡率は白人の死亡率より2.4倍も高い。

 ここまで病んでいる国がMy Americaでもあると考えると、僕は実に恥ずかしい。(https://www.newsweekjapan.jp/)<本誌2020年6月2日号掲載>

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 いまアメリカで生じていることは、けっして対岸の火事ではないとぼくには思われます。銃が発射されたり、街頭で火の手が上がるような事態にはめったに遭遇しませんが、事いたったならば、その程度のことは起きても不思議ではないでしょう。要するに「きっかけ」の有無が問題になっているのです。さらにいえば、それだけ日常的に「抑圧」や「強制」、あるいは監視や管理が現下一にまで達しているからこそ、時には暴発するのだというのです。

警察署に火をつけ、集まるデモ参加者。5月28日、ミネアポリスで撮影(2020年 ロイター/Carlos Barria)

 君は「暴力」や「暴動」を認めるのかと問われれば、ぼくは場合によっては、というほかありません。圧倒的な武力(暴力)を一方的に容認されている権力側に対抗する、どんな手段を民衆は持っているのか。むのたけじという人が怒りを以て言われたことがありました。秀吉は「刀狩り」をしましたとかんたんにいうが、それは「刀狩られ」だと。武具や農具をことごとく召し上げられ、以来、武力は権力の占有となったのです。それに対するに、被抑圧者は身命をかけるしか方途はないのです。アメリカとこの島では事情は大いに異なりますが、「差別」とそれを生み出す「偏見」が野放しされているままで、どれだけきれいごとをいっても始まらないというのがぼくの実感です。

 目には目を、歯には歯( lex talionis )をというのはいかなる意味合いだったか。ぼくは詳しくは知りませんが、同じ力関係でない限り、この報復は成り立たないでしょう。暴力を肯定はしませんが、それも条件次第です。ガンジーの非暴力抵抗主義も単純なものではないようです。「暴力(武力)」をだれが使うか、行使するかということを見逃すべきではないとぼくは考えているのです。「自衛」「防衛」は認められなければならないでしょう。そのために力や武器を使うこともある。それを禁じたなら、事態は変わらず、権力はいつでもそれを我が物にするだけです。

 「もしも黒人の暴動がなかったら、アメリカは少しも変わらなかったろう」という意味のことを言ったのはM.Foucaultでした。

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 日本の生活圏に同化埋没し…

「在日」を生きる

(毎日新聞・2019/07/01)

 祖国の置かれている状態を、よんどころなくひっかぶって生きつつも、なお、祖国の実情実態を一つの視野に収めうる立地条件を生きると言うことは、裏を返せば、本国の五千万同胞をね、打って返しうる存在体でもありうるだろうという思いがあるのですね。在日朝鮮人は、立場が違うからとか、思想、信条、政見が違うからといって、〝在日〟という一つのところを変えるわけにはいかない生存基盤を分け合って生きているわけです。いやがおうでも、一つところを同じく生きねばならない実情、実存を生きているという事実、この動かざる現実を積極的な意味と価値に転換しうるだけの意識がたくわえられていくならば…。

 ところが、一方で、在日世代の圧倒的多数を占めるようになった在日三世、四世たち、この世代たちのほとんどが、実に八四パーセント近くが日本の学校に行っているのですけれど、十三万八千といわれる就学児童、学生のなかで、十一万あまりが日本の学校で学んでいるのですから、「民族性を失わずに・・・」という期待は、生育の下地のところで崩れていっているのですね。日本への傾斜は加速度を加えて、ここ七、八年前までなら、年四千名前後の帰化者であったものが、いまでは五、六千名になっているほど、〝朝鮮からの脱落〟は年を追ってつよまっているのです。そして、おそるべきことには、これはある日本の朝鮮研究者から聞いた話ですが、法務省のマル秘資料にですね、在日朝鮮人の趨勢を二十五年と踏んでいる数字が出ているというのですね。二十五年たてば、在日朝鮮人はみな日本人に吸収されるものとして、ちゃんと計算がはじかれてあるというんです。(中略)

金 …いつのまにか在日朝鮮人のことを、「在日韓国・朝鮮人」という併称でもって呼びならわされていることも合わせて、在日朝鮮人の存在自体に対する軽視をかい間見る思いですね。

 このこと自体、わたしは在日朝鮮人の存在を侵害するものだと思っていますけど、つまり、こういうふうに言われるようになった直接の契機は、一九六五年韓日会談の締結なんですけどね。韓日条約締結によって、在日朝鮮人の在留条件が永住権申請、取得という条項でもって規制されるようになってしまいますね。永住権を申請するためには、自動的に韓国籍を取得しなくちゃならない。これは在日朝鮮人への、陰険きわまりない国籍条項の強要を秘めていた。それで一夜にして、在日朝鮮人の勢力分布は入れ替わってしまった。いまはもう五分の四が〝韓国〟籍と見られています。朝鮮総連の現役活動家だって、韓国籍を内密に取っている人が少なくない。そういうご時勢なんですね。これ自体が擬態を生きている。〝在日生きる〟とはけっしてそんな従属の生ではない。(中略) 

金 思い起こすだにいまいましいことですが、在日朝鮮人の趨勢をそれほど左右するようになった韓日条約の締結にあたってですね、当の在日朝鮮人の心情とか意思がはかられたことはまったくもってなかった!(中略)

 在日朝鮮人七十万という存在体はね、八十年前もいまも、祖国の恩典も庇護も受けたことのない集団なんですよ。その集団がね、一朝にして韓日条約の規制を受けて、いきおい韓国国民に糾合されちゃって、韓国の法権力の規制を受けるようなことはね、在日朝鮮人七十万の存在をほんとにきびしく見る立場からするならば、これは不当・不合理きわまりないことなんです。なんらの救済も庇護もうけたことのない「本国」の片方から、徐勝兄弟の青春に見るような無残な仕打ちを受けるいわれは、在日のわたしたちにはない!正当な関係からするなら、それはまったくもって逆のことなのだ。わたしたちの悲痛きわまりない思いが祖国にぶつかるべきことであって、祖国の権勢がそのわたしたしたちにかぶさる―法的にね―かぶさることじゃないと思う。(中略)

金 …多少とも在日朝鮮人のありかたに思いをはせるものからしますとね、わたしたち在日朝鮮人にとっていちばん、いま、苦悶に近く大きい問題は、在日世代三世、四世のですね、日本の生活圏に同化埋没していくことなんですよ。(中略)

 これはまあ「風化」という言いかたもありますけど、わたしは「風化」というのはむしろ変わらなくて、原型がこり固まってしまうのが風化なんで、そういう言いかたはしませんけど。むしろ溶解と言うべきじゃないでしょうか、溶解…。(中略)

 そういうことが、いちばんわたしたちの苦悶なんですね。わたしたちはまだ一つに帰一してもないのにね、その道程なかばに至らずして、もしくはなかばを実は超えているのかもしれないけど、人生後半のだな、わがだいじな意識体、存在自体がね、溶解してしまうことがいたたまれないんです。(中略)

 そういった人たちにとってはね、市民的権利というのは、溶解するのにものすごく好都合なわけ。(以下略)

 「在日を生きる」と題された対談の初出は、雑誌『朝鮮人』(一八号、一九八〇年四月)。(左写真は済州島)

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 ぼくが尊敬してやまないのは、金時鐘さんの上に述べられている「生の条件」の一貫性の故でした。氏はいまも奈良に住まわれて、九十一歳の春から夏を送られています。生涯をかけて「在日のはざま」をえぐり続けてこられた、金さんの健康を祈るや切です。

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 人にも植物にも芒種の候あり

1979年、非行とその克服の記録『ブリキの勲章』が話題となり、1981年に映画化された(中山節夫監督、中村嘉葎雄主演)ぼくは一度だけでしたが、中山監督と親しく話をしたことがありました。中山さんは社会派というか深い問題となっている事象をテーマにして映画を作っておられます。1970年のデビュー作は「あつい壁」、とても考えさせられるものでした。熊本菊池出身の監督の郷里で生じた事件の映画化でした。

 自分の「芯」になるものあった=非行克服支援センター理事長・能重真作さん

 戦時中小学生時代には配給のたばこを吸ったりして「ワル」でした。両親ともに教師で、いつも「先生の子」として見られていました。私が来ると周りの子がピタリと話をやめたりすることもあった。だから「おれだって人の子だ」と行動で示すしかなかった。

 教師は「なぜやるのか」の説明がなく、何も言わない。そのころの子どもは理由を聞かずに従っていればよかった。しっかり意識していたわけではないが、感覚的に「おかしい」と思った。

 小学6年の時に終戦を迎えました。それまで「きさまら」「日本男児」と言っていた人たちがガラッと変わり、「君たちは」と言い始めた。毎日教科書を墨塗りしました。

 勉強は嫌いでしたが、読書と演劇はずっと好きでした。中学生のころから浅草に映画や演劇を見に行ったりしていた。いつも本を持ち、読んでいました。私にはそういう自分らしくあるための「『芯(しん)』になるもの」がありました。(毎日・07/01/08)

   ■人物略歴:のうじゅう・しんさく=1933年生まれ。東京学芸大卒業後、中学教師に。非行少年などの問題に取り組み、実践記録「ブリキの勲章」は映画化された。現在も非行や不登校に悩む親と子を支えている。(同記事より)

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 勉強と遊び

 勉強が嫌いだったが、読書と演劇は好きだったと能重さんはいわれています。その理由らしきものはなんだったのでしょうか。おそらく「勉強」は強いられたのに対して、「読書・演劇」はじぶんでやったからということだったのではないでしょうか。

 だから、強いられる「勉強」ではなく、遊ぶような「勉強」が求められるんじゃないですか。遊びの面白いところは「工夫する」余地がたくさんあるというところです。その余地がなければ、つまりじぶんでためしてみる部分が少なければ、あるいはまったくなければ、好きだったものでさえ「嫌い」になるのです。

  どんなに学校の成績がよくても、遊びの部分・余地がなければ、なんというか、とてもつまらない生活を送ることになるんじゃないですか。能重さんは「芯」ということばをつかっておられますけど、この「芯」はじぶんで育てるのであって、そとから植えつけることはできそうにありません。だから「芯」は勉強からではなく、遊びから育つといいたい気がするのです。「遊びをせんとや生まれけん」

〇「芯」=(多く「芯」と書く)もののなか。中央。中心。㋐内部の奥深いところ。「からだの心まで冷える」㋑中央にあって、重要な役割をになう部分。「鉛筆の心」「蝋燭 (ろうそく) の心」「一家の心となって働く」㋒火が通っていない飯粒や麺の、中央の硬い部分。「心のある御飯」㋓物の形状を保つために、その内部に入れるもの。「襟に心を入れる」(デジタル大辞泉)

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  上の記事のつづきを読んでください。

 《私は大学に入り、東京の下町の学校へ教育実習に行きました。その学校には、下校時間が来ても言うことをきかずに校舎に残る子どもたちがいた。

 会って接してみると、その子どもたちは、自分の子どもの時代の子どもと違っていたんです。自分が常に持っていた「『芯』になるもの」がなかった。その子どもたちは、家に帰っても親の仕事が忙しくて誰もいないから帰らないという事情もありました。

 「この子たちこそ教師を必要としている」と思いました。そして教師になろうと思ったんです。私に「生きる道」を与えてくれたのは子どもたちでした。

 昔の子どもも今の子どもも本質的には何も変わっていないと思います。発達過程も思春期を迎える時期も変わらない。そしていつの時代も子どもたちは常に自分の存在を認めてほしいと思っています。

 今も私自身は「子どもから学んでいかなくてはならない」と思っています。

 そしていつも教師や大人は、子どもに対して謙虚な姿勢を持たなくてはならないと思います》<聞き手・吉永磨美>

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   評価されたいという衝動

 「昔の子どもも今の子どもも本質的には何も変わっていないと思います。発達過程も思春期を迎える時期も変わらない。そしていつの時代も子どもたちは常に自分の存在を認めてほしいと思っています」と能重さんはいわれます。それもひとつの子ども観でしょう。でも、どうでしょうか。放牧された牛と牛舎に閉じこめられた牛では、牛であることは変わらないけど、その質(肉質もふくめて)ずいぶんとちがうんじゃないですか。

 だから、大切なのは、この子は放牧派か牛舎派かを見きわめることです。教師の仕事の値打ちも腕の見せ所も、ここのあるともいえるのです。そして「そしていつの時代も子どもたちは常に自分の存在を認めてほしいと思っています」というのはそのとおりだといえますね。これは大人だって変わらないのではないですか。そうはいっても、だれからも認められたいのではないのです。犬でも猫でも、認めてもらいたいというのではない。

 評価を求めるのは、わたしたちの一種の衝動です。この衝動は曲者だといわなければならない。強力かつ執拗ですから。いやな勉強でも、それによって評価されるなら我慢してやろうとします。いやだけれど、しかたがないけどしなければならない。唯一、そんないやな勉強でも、成績が高ければ評価されるからです。その証拠に、いくらやったところで、だれも見向きもしてくれなければ、やらなければならないことでもしようとはしないのではないですか。

 学校は評価されたいという子ども(人間)の衝動をてっていして利用しているのです。

ススキの紋所

  これはけっして教師にかぎられることではなく大人にも当てはまるのですが、「子どもから学んでいかなくてはならない」という姿勢をもつのは簡単じゃないですね。子どもに学ぶというのは、はたしてどのようなことをさしているのでしょうか。赤子からも幼児からも学ぶことができるひと、それは稀有な存在だといえそうです。

(本日で五月は終わり。なにか感慨があるのではありませんが、春の香りも酣(たけなわ)と思いきや、もう梅雨が近くまで来ています。「芒種(ぼうしゅ)」の候となりました。「芒」は「のぎ」です。稲や麦の先端のとがった部分。またはススキを指す。(右はススキの紋所)

〇 芒=稲や麦などイネ科植物で、花の外側の穎 (えい) の先端にある針状の突起。分類上重要。または、芒(すすき)とも=イネ科の多年草。山野に群生し、高さ約1.5メートル。秋、茎の頂に十数本の枝を出し、黄褐色から紫褐色の大きい花穂をつける。これを俗に尾花といい、秋の七草の一。(デジタル大辞泉)

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 略奪が始まれば、銃撃が始まる

 テイラー・スウィフトさん、黒人男性死亡めぐりトランプ氏を批判2020年5月30日(AFP)

【5月30日 AFP】米北部ミネソタ州ミネアポリス(Minneapolis)で警察に身柄を拘束された黒人男性のジョージ・フロイド(George Floyd)さん(46)が死亡した事件をめぐり、米人気ポップ歌手のテイラー・スウィフト(Taylor Swift)さんが29日、抗議のデモ参加者への発砲を示唆したドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領を批判した。

 スウィフトさんはツイッター(Twitter)で、「就任してからずっと白人優位主義と人種差別の火をたきつけてきた。厚かましくも道徳的優越感を装った後に暴力で脅すのか」と述べた。スウィフトさんはツイッターで8600万人のフォロワーを持つ。

 トランプ氏は「略奪が始まれば、銃撃が始まる」とツイッターに投稿し、物議を醸している。この発言に対してスウィフトさんは「私たちは11月に投票によってあなたを退陣させる」と明言した。

 トランプ氏は、ミネアポリスで発生している警察に対する暴力的な抗議デモについて、デモ参加者を「略奪者」と呼び、軍隊を送ると警告していた。

 この投稿に対してツイッターは、「暴力の賛美」に当たり、自社の規則に違反するとして非表示にするという前例のない措置を取った。

 アフリカ系米国人に対する警察の暴行に抗議する暴動は29日、3日目の夜を迎え、ミネアポリスとセントポール(St. Paul)に数百人の兵士が配備された。

 抗議活動の起点となった事件が起きたのは25日。手錠をかけられ地面に横たわったジョージ・フロイドさんが、警官から5分以上も首を膝で押さえつけられて死亡した。この時の様子が動画に撮影されていた。 

 若くして大きな名声を獲得したスウィフトさんは、数年前から政治的発言をするようになり、過去にもトランプ氏を批判。2018年の中間選挙ではテネシー州の民主党候補への支持を表明した。(c)AFP

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【5月30日 AFP】(更新)米北部ミネソタ州ミネアポリス(Minneapolis)で、黒人男性のジョージ・フロイド(George Floyd)さん(46)が警察の拘束下で死亡した問題で、地元当局は29日、フロイドさんを死に至らしめたとされる元警察官の男を逮捕し、第3級殺人などの罪で訴追した。

 逮捕されたデレク・ショービン(Derek Chauvin)容疑者は25日、フロイドさんの首を少なくとも5分間にわたり膝で押さえつける様子が動画に撮影され、免職処分を受けた。ミネアポリスでは事件を受け、3晩連続で暴動が発生。店舗数百軒が損壊し、警察署が炎上する事態となっていた。(以下略)

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 先ごろ、この島でも多くの人のツイッター上の政治的発言が話題になりました。米国でも事態はより深刻だと思います。「大統領」の特異性というだけでは終わらない問題で、なぜこのような人物が「大統領」に選ばれたのか。民主主義のもっともも危ういところの一つでしょう。分断と断絶によって、選挙民は二分される。「いい人間」と「悪い人間」とでもいうのか。「上等」と「下等」とでもいうのか。分断や対立を起こさないようにするのが「政治」だといえば、失笑どころか、嘲笑を買うばかりなのかもしれない。

 民主主義のお手本だと「米国」を持ち上げてきたのがこの島社会の大半でした。実は表面からは見えにくいが、その足元には「差別と暴力」が蔓延していたのです。(状況はこの島においても変わらない)選挙民が賢明でなければならないとは思うけれども、選択を間違えない保証はどこにもないのです。失敗をし、また出直す。致命的な過ちを犯す(たえばた戦争行為など)、にもかかわらず、また出直す。全く同じ地点からの出直しなのか、一ミリでも進んだ地点からの出直しなのか。あるいは、…。(100対0から、99対1へ。気の遠くなるような道のりだけれども、バーバラ・リーさんのようにあきらめないこと、誠実を貫くこと、この地点を確保する、そこからまた、歩き出す。

 「おかしいことは、おかしい」という。「まちがいは、まちがいだ」と指摘する。一歩進んで二歩下がる状況が彼我の地に生じていますが、責任を放擲するわけにはいかないのです。

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 「へうへうとして」水か 

 《「わけいっても わけいっても 文書の山」。俳人、種田山頭火の代表句のパロディーだ。教師がパソコンに向かう手を休め、一句したためているイラストに添えられている。教師の顔には、疲れがありありとうかがえる。そして、やはり山頭火のもじりの「しごとすがたの しぐれていくか」となる。

 この“作品”を宮崎県の小林市スクールサポートセンター発行パンフレットで見つけたとき、笑ってしまった。諧謔(かいぎゃく)がある。教師に対する客観的な視点がある。作者を探して電話した。

 同市立東方小学校事務職員、甲斐暢夫さん(42)。「夜遅くまで書類と格闘している先生を見て、お坊さんの苦行に近い、と思った。それで、僧侶だった山頭火になぞらえて……」と語ってくれた。(略)

 激しい学力論争を経て、社会は今、学校の役割の大きさを認める教育観に転換してきている。転換を実現する基盤整備が必要ではないか。》 (讀賣新聞・07/11/24)

《 山頭火が一笠一鉢に生を托する旅人になりきってから、もう何年経つであらう。彼は味取の観音堂に暫く足を停めていたが、其処をも遂に捨て、今又、歩きつゞけてゐる。彼の歩むのは、或る処へ行く事を目的として歩いてゐるのではない、歩く事その事の為に歩いてゐるのだ。彼にあっては生きるといふ事と歩くといふ事が同一語になってゐる。雲がただに歩み動き、水がただに歩み流れるが如く、彼も亦、歩まずにゐられずして歩いてゐるのだ。雲水といふ言葉の語源的の意味に於て、彼は雲水になりきってゐるのだ》(荻原井泉水「同人山頭火」昭和五年)

 「働き方改革」などいうしゃれたセリフがもてはやされていますが、人が人に交わる、そこからしか「学びあう」という心持は生まれてこないのです。どんなに理由や事情があるとはいえ、テレワークやリモート授業などとお気軽に言うけれども、いったいそこから何が生まれるんですか。子どもは学校の道具ではなく、学校こそが子どもの遊び場なんだ。遊びのなかに学ぶことが山ほどある。「分け入っても学びの山」だよ。ぼくは山頭火はよく調べました。なんでこんな「すねた坊主まがい」になったのか、わかったような気になったこともあります。人間の生涯とはわからないものという、当たりまえの感慨を学んだに過ぎなかったのですが。いずれ、彼の曲折ある「明け暮れ」を後追いしてみたい。(ところで、「青い山」、それはなんだと思いますか)

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 《 へうへうとして水を味ふ   山頭火

 彼はかつて此句を寄せて来た。これが彼の全体的の姿である。

  しぐるるや死なないでゐる  山頭火

 彼はこう詠う。則ち生かされている事に合掌する心である。彼はその淋しさをしんそこまで味はつてゐながら、猶その底をぬいて味はずにはゐられないやうな、その処に彼の酒といふものがある。彼は酒によって自分を忘れようとするよりも、酒によって一層はっきりと自分を掴まうとしてゐるやうである。

  ほろほろ酔うて木の葉散る  山頭火

 ほろほろ酔うたのは木の葉か、ほろほろと散るのは山頭火か―。》(荻原井泉水・同上)

 山頭火のもっとも深い理解者であった師、それが井泉水(写真左)でした。(後掲の放哉の師でもありました)

〇1882-1940 大正-昭和時代前期の俳人。明治15年12月3日生まれ。山口県の大地主の長男。荻原井泉水(せいせんすい)に師事し,「層雲」に投句。大正14年熊本の報恩寺で出家,放浪の托鉢生活のなかで独特な自由律の俳句をつくる。のち山口県小郡(おごおり)に其中庵(ごちゅうあん)をむすぶが,遍歴をやめず昭和15年10月11日松山市一草庵で死去。59歳。早大中退。本名は正一。別号に田螺公。法名は耕畝。句集に「草木塔(そうもくとう)」など。(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)

 もう一人の「うしろすがたの」

 放浪の詩人、尾崎放哉(おさきほうさい)(1885~1926)はついにわが身一個の宇宙に自らを閉じこめてしまいました。鳥や虫と語り、月にことばをかける、それはいかにも風流ですが、あるいはまるで風狂というものであったかもしれない。孤独という以上に、孤絶の深淵にはまり込んだ、その生涯は、いうにことばもない悲しさに溢れていたのではなかったか。放哉は、やりきれない、悲しさに襲われている。

 だからこそ、ひとと交わる、ていねいに交わる、それが人の世に住む人間のまっとうな生活なのだと、放哉居士は教えてくれている。(右小豆島 尾崎放哉記念館)

 その方哉の悲しみと孤独がにじむような、いくつかの句を。

こんなよい月を一人で見て寝る

咳をしても一人

たった一人になりきって夕日

花火があがる空の方が町だよ

〇1885-1926 明治-大正時代の俳人。明治18年1月20日生まれ。大正4年荻原井泉水の「層雲」に参加。東洋生命保険をへて,11年朝鮮火災海上保険の支配人となるが,酒がもとで退職。妻とわかれ,一灯園や各地の寺で生活。14年小豆島の西光寺奥ノ院南郷庵にはいり,独居無言の生活から口語調の自由律俳句を生んだ。大正15年4月7日同庵で死去。42歳。鳥取県出身。東京帝大卒。本名は秀雄。句集に「大空」。(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)

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 ぼくは京都の友人に「一灯園」を紹介したことがありました。彼はそこまで出かけて、感じることがあり、でも入園はしなかった。すがる思い、というポーズだったかもしれない。「出家」だか「家出」だか、まあぼくにしてみれば、当てつけのような擬態に見えただけと、いう感触がありました。いまでもこの「園」の奉仕活動は続いています。(京都市山科に本部を置く)

 一代の怪人・西田天香の開設による。同園での起居顛末を題材に書かれたのが倉田百三の『出家とその弟子』でした。時世進んで、ますます盛んに、か。(https://www.ittoen.or.jp/

 放哉も一時期、一灯園に法衣・草鞋を脱いだことがありました。いまでも若い雲水や雲水亡者(失礼)が引きも切らないようです。(付属の学校もあります)どうしてか、というのは野暮天の能天気が吐くセリフであり、人それぞれが深く難儀な課題を抱えているからこその「修行」なんだと、ぼくは思うことにしている。「溺れる者は 藁をもつかむ」から、溺れるんだけどね。(右横とその上、二枚の写真は「一灯園」)

 今は朝の六時半。ぼくの起床はいつでも「日の出前」で、今頃なら四時過ぎです。(かみさんはいまだ熟睡中か、あるいは覚醒しかかっているか)たったいま家庭ごみを集積所までもっていった。家から少し坂を下ったところにある。ほぼ三百メートルほど。その坂道を上り下りしながら、「この時代にも無数の種田や放哉」がいるだろうな、人が生きていくには、あまりにも忙(せわ)しいし、孤独をかこつほかないような「世の姿(地獄相)」だから、などど意味のなさそうなことを愚考していました。 二人の「偽雲水」「雲水オタク」をつぶさに追いかけてきて、以来、自身もまた「世俗の雲水もどき」だと、自己評定したのでした。(この項はダラダラとつづくはず)(吉村昭さんに『海も暮れきる』という放哉を描いた作品があります。ご一読を)

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 日本人ってなんだろう

 ひとことで言って、学校の道徳教育は「主体性のある日本人を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする」というのです。文字面だけをみると、そういうことまもかという印象をもちます。「主体性のある日本人」の基盤となる「道徳性」の育成、だともいうのです。さらに「日本人としての自覚を身に付けるようにする」とも。(現行「中学校学習指導要領 道徳編」など)(上掲写真は、本文とは関係ありません)

 まずもって、「日本人とはなんだろう」と問わなければなりません。いったい、日本人とはだれのことか、あるいはなにをもって日本人というのだろうか。自明のように思われますが、そう単純ではなさそうです。笑うべきことでしたが「美しい国へ」と大声で唱えて、見事にクニを売ってしまったPMがいました。彼は「教育基本法」の変質を計ったのが、そもそもの始まりだった。十数年前のことです。ぼくはいつでも感じていたのですが、この人は「教育基本法」を読んだこともなければ、そもそもそんなものに興味を持っていたとは思えないのです。なんでもいいから「やりたいだけ」というばかばかしい話でした。「勲章オタク」とかいうのでしょうね。

 どのような観点から「日本人」、あるいはそれを推定させる「日本の文化」というものをとらえたらいいのか、この点に関してはさまざまな見方や考え方ができます。これしかないというかたよった立場を取らないようにして、すこしばかり「日本人」および「日本文化」の風土・背景(歴史)を考えてみてもいいのではないでしょうか。(いきなり「古事記」「日本書紀」に飛び乗るという芸当は「お笑いの人」の持ち場。だからか、いつだったか、「吉本にいった御仁」がいました。お笑いですね。

「強い日本」はどこにあったんですか。左の本の副題は「美しい日本へ 完全版」とあります。いままでのは「不完全版」。近年は彼の吐く嘘が取り上げられますが、先生の国「アメリカ」では<Alternative Fact>がことさらに主張されてきました。「事実は一つじゃない。お前のも事実かもしれないが、おれのも事実なんだぞ」というわけです。島のPMがあまりにも見え透いた嘘を垂れ流すのも「師匠譲り」です。証拠も根拠もなしに、発言し、誹謗中傷そのものが日常茶飯事となっている。このPMは幼いころから「嘘から出た実」に味を占め続けてきたのです。祖父母が「堕落」させたんでしょうか。「道徳」はわけがわからん、と現役の教師から「愚痴」を聴かされます。自分の外になんか、あるものか、というばかりです。(別の稿で愚論を述べています。ご笑読ください)

 いつの時代であれ、いきなり「日本文化」を身につけた「日本人」が出現したはずはありません。また、後に日本列島と呼ばれるようになるいくつもの島々(数百数千あり)にはおよそ十万年以前に人類が住んでいたといわれています。その後、少しの間隔をおいて徐々に列島に人々が集まって住みだした。もちろん、それが「日本列島」と呼ばれていたわけでもなければ、「日本人」として存在していたということもできません。

 おそらく国号「日本」が作られた(使われた)のは七世紀以降のことですが、そのときただちに「日本人」が生みだされたのでもないのです。その当時は外国(随・唐など)から「大和」(倭・ヤマト)などと呼ばれていましたが、日本以外の国が存在してはじめて国名が必要となるのです。近隣の諸国が「倭」と呼びならわしていたのが、ずいぶん後に「日本」となったのです。「日の本」(太陽の出るところ)と、自分自身のことを言いあらわしました。

 「日本列島」に住んでいるわたしたちは日本語を話し、日本の学校に通い、日本の文化を身につけている、だから「日本人」ということになっていますが、もともと「日本国」があり「日本人」がいたわけではなく、したがって「日本文化」というものがあったわけではないのです。もとろん、学校なんか、ほんの「昨日」できたようなもの。

 「日本」というのは7世紀以降、《 小帝国を志向し、東北・南九州をふくむ周囲の地域に対して侵略によって版図(はんと)をひろげることにつとめた、いわゆる「律令国家」の確立したとき、その王の称号「天皇」とセットで定められた国号 》(網野善彦)なんです。

 あなたは何人、何民族?

 網野 このままでは日本人は大変なことになるという感じは、私も同感なんです。たとえば、もし私がアイヌ民族から「お前は何民族だ」と聞かれたときに、私はなんと答えるかですね。私は何人かにその問いを発してみたんです。みんな困ってしまうんです。たいていは「大和民族」と言うんです。いま「大和民族」という言葉を、戦争中のいやな経験から歴史家はほとんど使わなくなっています。が、沖縄にいったとき、私は「ヤマト」の人といわれました。しかし私には「ヤマト」人という意識はないし、これは大変、違和感がありました。だから「私は甲州人でヤマト人ではない」といってきたのですが、沖縄の人も笑ってそうだなといっておられましたよ。

  実際、これは大和中心、つまり律令国家中心の考え方からきた言葉ですからね。この国家が七世紀末につけた国号が「日本」なのですが、それは「ヤマト」とはじめのうちは読まれていたわけです。だから「ヤマト」は「日本」と同じなのですがこの問題一つ取り上げてみても、いまの日本人の自己認識は、きわめて中身が曖昧なものだと言わざるを得ない。


 鶴見 通用している言葉で、「日本と外国」といいますね。「日本と世界」ともいいますね。このように区分するのは大変なことなんです。われわれの思想がそうなんです。もっと突き詰めていくと、「日本人と人間」ということになるんです。
 網野 そうですね。

 鶴見 それを突き詰めていくと、日本人は人間から叩かれて、滅ぼされるかもしれません。人間の外にいる日本人なんだから。「俺は人間だ」とそのとき言ってもダメですよ。「お前は日本人だろう」って言われてポカポカ殴られて殺されてしまう(笑う)。(鶴見俊輔・網野善彦『歴史の話』朝日新聞社刊。2004

 「日本民族、日本語、日本国家、この三つに属しているのが日本人」だという感覚をほとんどの人がもっているでしょう。でも、そうでない人もいるんですね。日本国籍をもっているけど、日本人じゃないという感覚(感受性・皮膚感覚)を無視したくない。男か女か、白でなければ黒、といった議論がみられますが、狭い、狭すぎるなあと思います。男みたいな女の人やその反対もいる、いてもかまわないどころかいなければまずいとさえ、ぼくは考えていますよ。

 「日本人」でなければ夜も日も明けないといった時代はずいぶん昔にあったのかもしれないけど、今はいろいろな「日本人(にほんじんのような人も)」がいる時代です。まさに多様多彩です。アジア系日本人だったり、アメリカ系日本人、ブラジル系日本人…、といった具合に、です。群馬系日本人、静岡系日本人…こんなカテゴリーも作られてもかまわないでしょう。
 この列島に人類が定住しだしてからまだ2万年もたっていません。その段階からつづいて、さまざまな人びと(人種、のちには民族と呼ばれるようになる人びとも)が方々からやってきたにちがいないんです。どんな集団も、その意味では、多民族・多言語です。もちろん「多文化」でもあります。(単一言語・単一民族とは嘘の極致)

 日本列島の住人にかぎっても、仮にそれを「縄文人」といってみたり「弥生人」といってみたり、さらには「縄文系弥生人」と呼んでみたり「渡来系」と呼んでみたまでのこと。実態(ルーツ)はよくわからないというほうがいいんですね。それでかまわない。
 たしかだと思えるのは、私たちの現在にまで連綿とつながる「生き方の流儀」(生活・文化)をリレーしてきた無数の人々(庶民)がいるということです。

 「(日本人とは)日本の国籍をもつ者。日本国民」(大辞林)

 ①国家単位による分類=日本の国籍を有する者。日本国民。

 ②人類学の分類=モモンゴロイド。皮膚は黄色、虹彩は黒褐色、黒色直毛。言語は日本語。

 ③民族(学)的分類=「日本民族」という意味で、文化・言語を共有する。

   《 日本国家の形がきまり、国定の日本語の型(国語学者・亀井孝の言う「天皇の国語」)がきまり、日本民族とはこういうものだという(学問的根拠にとぼしい)公式説明(イデオロギー)でつくられた日本人 》(鶴見俊輔)

 民族や人種の問題は「はじめ」も「終わり」も判然としないのがあたりまえのようで、それを無理にでも筋を通そうとすると、排他的になり自己中心的になるのが避けられないんですね。(さらにこのテーマについては考えてみることにします)

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