親も子も、遊びをとりもどそう

 (もう四十年以上も昔の出来事になりました)

 受験校として名だかい開成高校の生徒が、父母をなぐりつけるので、父親が思いあまってその子を殺した事件。早大高等学院の生徒が、祖母に見張られていることを苦にして、反撃に出て殺した事件など。戦前にも、この種の事件はあるいはあっただろうから、ゆたかさにもかかわらず、戦後の日本には、この種の家庭内の殺人事件がおこっているというふうに考えるのが、適切だろう。ゆたかさにもかかわらず、この種の家庭内殺人がおこるのは、前の二つの例ではいずれも、家庭の内部にまで大社会の受験競争の気風が入りこんできていることに一つに重大な原因がある。(鶴見俊輔「世代から世代へ」)

   旧聞に属します。以下のような事件が起こりました。それは偶然の出来事だったのかどうか。

 母親の頭部持ち少年自首 17歳高3逮捕 会津若松

 15日午前7時ごろ、福島県会津若松市花春町、県立高校3年の少年(17)が、首から切断された女性の頭部を入れた手提げバッグを携え、「母親を殺した」と会津若松署に自首した。署員が少年の住むアパートを調べると、母親とみられる頭部が切断された遺体が見つかった。同署は殺人容疑で少年を緊急逮捕した。

 同署によると、少年は自首した際、取り乱すなど動揺した様子はなく、調べにも落ち着いて応じた。「自宅アパートで夜中、母親の首を1人で刃物で切って殺した」と供述したという。

Oedipus

 アパートで見つかった遺体には刃物のようなもので切断されたあとが見られ、遺体の近くには刃物があった。遺体の頭部は何かで包んだりはせず、そのままバッグに入れられていた。

 少年は奥会津地方の出身。会津若松市内の県立高校に通うため、高校2年の弟と2人でアパートを借りて住んでいた。母親は実家からアパートを訪ね、被害に遭ったとみられる。

 少年が通っていた高校は午前中、急きょ臨時休校とし、生徒を帰宅させた。校長らが緊急会議を開き、対応を協議した。(以下略)(河北新報・07/05/15)

 時代がどんなに変わろうと、それは人間が生活する環境にあらわれる表面上の変化であって、個々人の心理意識の深部(内面)は変わらないというより、変えられないのだといえるかもしれません。とはいっても、見えないところでどんなことが生じているのか。

著者はソニーの創業者

 親殺しや子殺しの原因、あるいは社会的な背景にはさまざまな要素がからんでおり、いちがいにいうことは適切ではありません。でも、すくなくとも「教育」「学校」「学歴」というものがそれぞれに対して大きな圧力となっていることは否定できないと思われます。

 「学歴尊重」、いや「学歴偏重」という社会現象(問題)がいまだに人心をつかんではなさないということになるのでしょうか。開成や早大付属校の生徒にかかわる事件と新聞記事にある会津若松における事件とは似ているとも似ていないともいえるでしょう。しかし、家族や家庭という「育つ ― 育てる」という場のあり方がそのまま教育(学校)問題に直結しているという点では共通しているのではないか。教育問題が家庭という小さな集団を直撃、爆撃しているのです。

 そして学校においても「たがいに支えあう」という根本の働き(関係)が失われてしまえば、それはひたすら学力や教師の評価を求めるだけの闘争の場とならざるをえない。それもまた、競争や闘争が「教室」を轟沈させているのです。また、そのような競技場になるためにひたすら猛進してきたのも事実ではなかったか。なぜそうなったか。優劣の競い合いが「経済社会」のあらゆる場面で進行しているからです。勝ち負け、それこそが人間の幸せの程度を決めるのだというのですか。コロナ禍にあえいでいる最中にも、どこかで優劣の差を強いる圧力が働いているのです。

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 「テレビが普及して子供の多くはそのまえにへばりついている。親の注意で多少ひかえている子供があるにしても、いま一日のうちで、一番多くの時間を費消しているのは、眠る以外にはテレビを見ることではないかと思っている。

一家で鑑賞

 と同時に街頭や広場で子供を見かけることが少ない。一つは道路に車があふれて、子供たちのあそぶ余地がなくなったことも原因していよう。今から一〇年まえまでは子供たちは街頭であそんでいたものである。街頭でなければお宮の森、寺の境内、空地などがあそび場で、そこで日がくれてくらくなるまであそんだ。(中略)

 しかも、子供たちの間に、それほど多くのあそびの持たれたのは、親たちがいそがしすぎて、子供のことにかまけている間がなかったからである。親は朝くらいうちから、夜くらくなるまで働いた。子供たちはその間自分らの仲間であそばねばならぬ。ごく小さいときは子守りの背で、一人あるきができるようになれば、子供たちで仲間をつくってあそんだ。そしてそこにはおのずから子供たちのささやかな自治も存在した。「子供のけんかに親が出る」ということは大人社会でもいちばん軽蔑せられたもので、子供世界は子供のものであり、眼にあまるようないたずらをしいている場合はともかくとして、子供同士がつかみあいをしていても大人は笑って見ていることが多かった。(宮本常一「こどものあそびの行方」宮本常一著作集第13巻所収。未来社刊、1973年)

街頭テレビ

 宮本さんがこれを書いたのは一九六八年でした。この当時の状況は、一面においては今日の街の姿、子どもの生活を先取りしていたと考えられます。子どもの遊びが少なくなり、それにとって代わって、テレビやゲームが一人一人の子どもの遊び相手となった経過はそのとおりですが、子どもの遊びが少なくなったというよりは、子どもの遊びに親が干渉するようになったことがもっとも大きな時代の風潮となったのです。

 これを宮本さんは次のように指摘されています。

 「しかし小学校から中学校へ、さらに高校へのルートがひらけて、自分の前途に広い世界のあることがみえてくると、人はその方の道をえらび、親はまた子をそうしたルートに向わせようとする。親が子供のあそびに干渉しはじめたのは一般民衆に進学ルートがひらけてきてからのことである。少しまえまで子供は自由にあそんだ。そのとき鍵っ子は問題ではなかった。あそぶ子がいなくなると鍵っ子が問題になってくる。道路に自動車がふえただけで街頭から子供の姿がへったのではない」(同上)

紙芝居をただちに実演

 学校が子どもの生活を独占した、あるいは支配するようになったのです。朝から夕方まで、さらには帰宅してからの時間の使い方まで学校(教師)、それにつられて親までがあれこれと口出しするようになったというのが、子どもの遊びが街中から消えた大きな理由だったというのです。

 「今まで人間は人間であるとともに自然児であった。青空のもと太陽のもとで育った。それがくったくのない性格をつくり出した。しかしいま子供たちは家の中に釘づけにされ、親にしばられて太陽の子ではなくなってきたという感をふかくする」(同上)

紙芝居(要見物料)

 子どもの遊びが消えたということは親の生活にもゆとり(遊び)がなくなったことを意味します。大人も子どもも、ゆとりもあそびもない乾燥しきった、あるいは湿気でいっぱいになった生活を余儀なくされるようになった時代と社会、それが今日まで延々とつづいてきたのではなかったでしょうか。

「これらの事実を通して今実に大きな人間の革命がおこりつつあると思うのは私一人で あろうか。これから、二〇年、今の子供たちが大人になってゆく時代の変化は、想像をこえるものがあるのではないかと思っている」(同上)

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 子どもの遊び、それを児戯に類するなどといって揶揄するような雰囲気がありますが、子どもの遊びこそは、大人の過去の姿であり、未来の像でもあったのです。「勉強と遊び」ではなく、「勉強の中に遊びを」「遊びの中に勉強を」、これこそがとりもどされるべき、ぼくたちの日常生活の姿ではないですか。(ただ今現在も、ささやかな遊び(パチ)を奪うことに躍起になっている行政官僚の美しくない感情があらわです。それに乗せられて「住民」までもがその列に連なっている)

 「自粛」でどれほどの効果があるのか。感染防止のための自粛なら、ぼくたちはいつまでも「巣ごもり」を続けなければならない。そして自粛を継続しているうちに、感染者が減じてくるなら、それはいったいどういうことだったのか、政治的ではなく医学的に説明しなければならないはずです。「マスクと消毒・手洗い」でまず防衛です。「自粛強要」の蔓延という、この風潮(感染性横一線症)には「虫唾」が走ります。自粛は自分でするもの、要請はお願い・依頼です。「罰則」を伴う自粛も要請もあるものかよ。大小にかかわらず「権力」は「罰(✖)」を振りまわすんだ。

 ぼくは本日も「竹取の翁」です。採るのも大変、食材にするのも大変、食するのも大変、大変✖3=しばらくは「翁」を自粛。でも長く自粛すると、庭が竹藪になる。生活の場に「遊び」があり、それがぼくの精神の「自主トレ」になるような、そんな日常があれば何も望まない。右へ行け、左に曲がれとあらぬ命令を下されることは肯んじないのです。自分のことは自分で。DIYですよ。

(じ‐しゅく【自粛】 の解説[名](スル)自分から進んで、行いや態度を慎むこと)(よう‐せい〔エウ‐〕【要請】 の解説[名](スル)1 必要だとして、強く願い求めること)(デジタル大辞泉)

  しずけさ、竹の子みんな竹になつた(山頭火)