専門家から素人の時代へ

 二十世紀は「専門家の時代」でした。科学や技術や芸術はもちろん、戦争や強盗、商売や政治の世界まで、専門家たちがさかんに覇を競っていたのが前世紀だったと思います。もちろんいまでも「専門家」がいっぱしのことをいってはいますが、医者が患者を死に至らしめ、教師が生徒を無能にし、科学者は商売人と結託して環境を破壊してしまい、政治家は金の亡者みたいに成り下がってしまったのも事実のような気がします。(あらゆる「専門家」がそうであるというのではないこと、もちろんです)

 専門家になるにはどうすればいいか。一点を除いて他のことがらにはすべて無関心になることです。大学では七科目入試や五科目入試がありましたが、それもだんだん「専門性」が求められたのか、「三科目」入試は「一科目」試験に凌駕されてしまいました。その結果どうなったか。いわなくてもいいでしょ。一点(一科目)を除いて、まったく空っぽ。

 それに輪をかけるように、大学ではありもしない(とはいわないが)「専門性」を高めるという理屈で、どんどん「教養にかかわる授業」を削減しました。その反動で起こってきたのが、まるで文科省の「ゆとり教育」みたいなものでしたね。内容の三割削減や週休何日制などの導入だった。

 どんなものにも反動はあります。いまはまた「教養教育」の花盛り。法学教養や教職教養はいうまでもなく、商売教養や政治教養まで叫ばれたりします。挙げ句の果てに、よくわからないけど「国際教養」などという新手の「教養」まで売りにだされました。これはいったいどんな教養なんだろう。知らないのはボクだけで、ホントは立派な「国際教養」があるにちがいない。たとえば、…。ホントは「国際強要」だったりして。グローバルとか何とかいってさ。

 民俗学者であった宮本常一さんに『日本を思う』という文章がある。そこに次のようなことが書かれていました。単細胞のぼくは、なるほどと納得した次第です。

 《年功序列とは本来能力主義のことだったのである。過去の日本社会で年功序列がいちばんはっきりしていたのは漁撈社会だが、それは農業などとは違って、個人の能力が収穫にじかに反映するからである。そしてその体験によって認定された。漁撈社会ではこれは合理的な考え方であったに相違ないが、それが現在の会社組織にまで持ちこまれると、往々にして逆の意味に取られるというのは皮肉である》

 《少なくとも学校教育はその住んでいる場をよくするためにあるのではなく、その場をぬけ出してゆき、また自分の属している階層からぬけ出して、より高い階層に入るために存在していると言っていい。学校出という肩書が物をいうのはそのためである。

 しかし肩書が物を言わなくてすみ、学ぶことによってその住む社会全体が高まってゆくような考え方なり生き方なり、政治がほしいものであるということを歩いていてしきりに感ずる。が世の中はそれとはまるで違った歩みをつづけていきつつある》

 この文章が書かれたのは70年代の直前です。「高度経済成長」などという大津波が発生して、教育も政治も文化もすべてが経済の「配下」に完全に置かれた時代のことでした。経済が優位に立つ社会は「福笑い」(規格外)を締め出し、「教養」を虚仮(こけ)にし、年寄りを邪魔者にする体制であったことはまちがいなさそうです。ようするに、金にならなければ、教育も教養もあったのもか、ということになったんだと思われます。

 まだまだ元気であったころ、画家の岡本太郎さんは「肩書は?」と聞かれて、「人間」などとしゃれたことを言っていました。「肩書」がものをいうのかね、と訝りながら、ぼくは、平凡に徹しようと、何十年も生きてきたのです。世間でいう「いいこと」の何十倍も「よくないこと」をしてきたぼくには、だから幸いにして語るべき、誇るべき「肩書」は皆無。だが、ものをいう「肩書」は微塵ももち合わせないけれど、人の何倍も「社会全体が高まってゆくような」生き方を懇望してきたように思います。まだまだ、足りませんが。歩みの鈍(のろ)いにも程があると、自分でも思いますが。慌てず騒がず。 

 「高度経済成長」という呪文を必死に唱えながら、いまもまだ、その描かれた軌跡の延長線上を、翔ぶがごとく、歩くがごとく、転ぶがごとく。一夜の迷妄ならぬ、積年の白昼夢ですね。世の中に「不幸」「不善」が充満しているにもかかわらず、要路に立つ人々は「経済」、いや「金儲け」から抜け出せないで足掻いています。「国難」と叫ぶしりから、「万事が金」かね。他人の十倍の収入があっても、十人前のメシは食えないんだなあ。

 二十一世紀も二十年経過。はたして普段着の「素人」は歩きだしているのか。もちろん専門家(玄人)はいなくならない。歴史は地層だから、なくなりはしないのです。だからといって、これまでのように専門家風を吹かしてもらっては困るんだ。素人を侮ってもらっては、なお困るんだね。だれだって、根も端も「しろうと」だったんですから。(そこらにある辞書の解説には要注意ですね。以下を参照。狭いし、低いよ、程度が)ぼくの生き方は素人のものです。人生の素人。

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*しろ‐うと【素人】 の解説 《「しろひと(白人)」の音変化》

1 その事に経験が浅く、未熟な人。その道で必要な技能や知識をもっていない人。また、その事を職業・専門としていない人。「素人とは思えぬみごとな芸」「素人考え」⇔玄人 (くろうと) 。

2 芸者・娼妓などの商売で客の相手をする女性に対して、一般の女性。堅気の女性。⇔玄人 (くろうと) 。

「浮利を追わず」だって、住商は

3 近世、上方で、私娼のこと。「かくとはいかで―の、田舎の客に揚げられて」〈浄・油地獄〉

*くろ‐うと【玄人】 の解説

1 技芸などに熟達した人。ある一つの事を職業、専門としている人。専門家。くろと。「玄人と思わせる包丁さばき」⇔素人 (しろうと) 。

2 芸者・ホステスなど、水商売の女性。くろと。⇔素人 (しろうと) 。(デジタル大辞泉)

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白だ黒だと喧嘩はおよし、白と言う字も墨で書く

投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。