作文または綴り方(閑話)

〇小学校に教科目として綴方(作文)が設けられたのは明治二十四年(文部省令)

小学校教則大綱(抄)(明治二十四年十一月十七日文部省令第十一号)   

*「第三条 読書及作文ハ普通ノ言語並日常須知ノ文字、文句、文章ノ読ミ方、綴リ方及意義ヲ知ラシメ適当ナル言語及字句ヲ用ヒテ正確ニ思想ヲ表彰スルノ能ヲ養ヒ兼ネテ智徳ヲ啓発スルヲ以テ要旨トス/ 尋常小学校ニ於テハ近易適切ナル事物ニ就キ平易ニ談話シ其言語ヲ練習シテ仮名ノ読ミ方、書キ方、綴リ方ヲ知ラシメ次ニ仮名ノ短文及近易ナル漢字交リノ短文ヲ授ケ漸ク進ミテハ読書作文ノ教授時間ヲ別チ読書ハ仮名文及近易ナル漢字交リ文ヲ授ケ作文ハ仮名文、近易ナル漢字交リ文、日用書類等ヲ授クヘシ」

小学校教則

 明治三十四年冬に書かれた尋常小学校四年生の綴方を以下に掲げます。題して「擬戦の記」とあります。

 明治三十有一年十二月九日、当校の四年級一同、白赤の隊となり、列を組み、午前八時十五分過に門を出て、整々堂々雉子橋を渡り、竹橋を入り、気象台の橋前を出で、麹町より四ッ谷門を過ぎ、内藤新宿に着き、それより分かれて、甲州街道を進み、玉川上水の架橋を渡り、暫くして左に曲がり、林に添える道にて軍歌を唱えて進み行きしに、其声天地に震いて、実に勇ましかりき。それより田畝に出でて見渡したるに、はや洗浄見えたれば、白隊は八幡山に陣を取り、赤隊は赤旗山に陣を布きて控えたり。折柄回線の用意を告げければ、伊藤君分隊を率いて前進す。時に敵陣のうち、高浜君一隊を引きつれ来るを見、此にあたり、ふんぷんとして戦い居たるに、敵兵林中より雲霞の如くああらわれければ、我が隊田畑の中を進み、適の左翼を打たんとせしに、之を知られければ、其こにて暫く血戦したるが、遂に破られて打死す。此時白軍勢鋭くしてて、赤悉く死して陣を取られたり。(以下略)

 次は大正三年のものです。同じく尋常小学校四年生が作者。

 まちにまったぎせんの日が来た。こんどは四年生だから、しっかりやろうと、腕に力こぶをいれて、学校を出た。初夏の風にふかれて、ヶ敷のよい道をあるいていったのは、こころもちがよかった。すこしくたびれたと思った時は、もう目の前になつかしい落合の原が見えた。

 よろこんで三分隊にはいると、やくわりがきまって、かいせんのラッパが野山にこだましてひびいた。

 それと同時にたまがぴゅうぴゅうととびかいはじめた。

 あっちが破れ、こっちがやぶれして、出るけっしたいのこゑもいさましい。そのうちに白がおしよせていって、赤の軍旗をぬいてもどって来たら、そばまでむかいにいった。第二回はかち、第三回はまけた。それからべんとうになった。べんとうをあけてほうばった時は、実にうまかった。すんでから一度あり、さいごの合戦となると、大さわぎmわいわいといってたたかった。そのうちにおわりのラッパがなって、白のかちとなった。白のよろこびのこえは、耳をやぶって、わあっと天地にひびいた。(「擬戦」大正三年春尋四)

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  おやのおん                               尋常二年男 ○ ○ ○ ○   

 私のきものは、お母さんがこしらへてくださったのです。学校へくるのは、お父さんやお母さんのおかげです。うちでは私をかはいがってくださいます。このおんをわすれてはなりません。おんをかへすのにはお父さんやおかさんのいひつけをよくきいておやにしんぱいをかけないやうにして、学校ではせんせいのおしへをまもるのです。それでおんはかいせるのです。(明治四十三年度各学年綴方優作集 白金尋常小学校) 

 およそ百年前の尋常小学校二年生の綴方です。「いひつけをよくきいておやにしんぱいをかけないやうにして、学校ではせんせいのおしへをまもるのです。それでおんはかいせるのです。」この部分には傍点(二重丸)が付されています。親の恩を忘れないどころか、それをかえすための処方を求めた課題であったと思われます。

 じつに紋切り型ですね。この「作文」の筆者はだれでしょうか。こんな見え透いた文章を書いていたのか、詰まらない。ぼくはがっかりした記憶があります。(あるいは作者は、作文の課題をよく呑み込んでいたので、「模範文」を書いたかも、と考えたりもしたのですが)それにしても「親孝行」というのはこんな陳腐なものであったのかね。教師はこれを書かせるために腐心していたのですね。書いた人は、文芸評論の領域を開いたとされる小林秀雄(1902-1983)さんでした。

 まさしく「閑話()」でした。(閑話= むだばなし。 心静かにする話。もの静かな会話)

投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)