教師自身が解放されなければ…

 ここにも、何人もの「教師の影」がありますよ。

 「もしも、意地悪の録音家がいて、先生のコトバを、こっそりと、そっくりそのまま録音したとすれば、どんなことになるのでしょうか。わたくしは、あるとき、こんなことを考えて寒む気をもようしたことがありました。

 ―何なにしてはいけません。

 ―何なにするのはいけないことです。

 ―それはダメです。

 ―しなければなりません。

 ―するものです。

 ―したらいいでしょう。

 ―するように注意しなければなりません。

 ―しなさいよ。

 教師のコトバの語尾というものは、どうして、こうも、禁止や覚悟や命令義務感や道義に関係するもので結ばれるのでしょうかしら…

 あまりにも芸術性に乏しい、概念のコトバのら列とその終結にわれながら驚くということもしばしばありますので、外国映画の画面のすみにかかれる日本語訳のみじかい、気のきいいた文章に、思わず心うたれて、ハッとするというようなこともありました。

 生きた子どもたちと、魂の触れあいをしているところが学校の教室なのですから、どうにかもう少し感動的なコトバのとりかわしを、わたくしたちはできないものでしょうか。このこともまた、わたくしたちの古い型からの解放のために、ぜひ自覚してみたいことだと思われます」(国分一太郎『君ひとの子の師であれば』東洋書館刊、1951年)

 国分さん(1911~85)は山形の出身、もと小学校教師であり児童文学者でもありました。戦前・戦後の「生活綴方」実践の第一人者と自他ともに認めていたひとです。

 国分さんの指摘はけっして教師にだけあてはまるものではなさそうです。親もそうだし、警察官もそうです。たいていの大人は子どもに対して、そのような口をきくのではないでしょうか。まあ、すべてが命令口調なんですね。ホントにいやになるほどです。

 さらに国分さんはつづけます。

 「また、教師のコトバには、よく「だから」とか、「それだから」とか、「そのために」とかいうコトバが出てきます。けれども、よく聞いていると、そのコトバも、どうして「だから」なのか、何のために「そのために」なのか、どうだから「それだから」なのか、よくわからないことが多いようです。

 つまり、教師たちが、ほんとうにわかっていて、事実をつみかさねて、「それ故に」というコトバを使用していないようなことさえ多いことに気がつくのです。そのくせ、子どもたちに対してだけは、「もっとはっきりといいなさい」とか、「正直にいいなさい」とか、「どういうわけで、そうなのか、よく考えていいなさい」とか、勝手な注文をしているときが多いようです」(同上)

 他者とていねいに話をすることは、殊の外、むずかしいようです。たとえ、それが生徒であっても子どもであっても、相手に言いたいことが伝わるというのは簡単なことではありません。決まり文句、それしか言わないのは教師や親で、聞かされるほうはうんざりするほかないのですね。「早くしなさい」「静かにしなさい」と親も教師もそれしか言えないのかとおもわれるほど、この文句を言うのです。

 それを「注意」と勘ちがいしてるんだね。子どもに注意する、生徒を注意するといいながら、ようするに「命令」し「禁止」し、「文句」を垂れるだけなんだ。これを「お為ごかし」といいます。

(お為ごかし=おため‐ごかし【▽御▽為ごかし】 表面は人のためにするように見せかけて、実は自分の利益を図ること。じょうずごかし。「お為ごかしの親切」「お為ごかしを言う」デジタル大辞泉)

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  汽笛               (秋田県金足西小学校4年生)

 あの汽笛          

 たんぼに聞こえただろう

 もう あばが帰るよ

 八重蔵 泣くなよ

 「これが北方教育の叙情だ」といって、たくさんの東北の教師たちの前にこの詩をつきつけたのは山形の国分一太郎さんでした。その国分さんは昭和九年十一月、仲間をさそって「北日本国語教育連盟」を結成。翌年には機関誌「教育・北日本」を創刊することになります。

 《その(生活の困窮・疲弊)ため、子どもたちは生活の危機にさらされ、かつかつの生存権の確保のため、学習の権利をすら奪われがちである。このような状態から子どもたちを救い、彼らの将来の幸福を保障するためには、子どもたちの教育の上でも、現実におし流されてしまう子どもをつくるのではなく、どんな状態のなかでも生き抜いていく意欲の旺盛な子どもを作らねばならないし、この現実を変革していく方法を追求する知性をもった子どもに育てなければならない》(国分一太郎「北方性教育」『生活綴方事典』所収)

 国分さんについてもこの後(ブログ)で、「北方(性」教育」の実践家の一人として、その活動を概観していきたいと考えています。まぎれもない「生活綴り方」教育の展開をさらに進めた功績者でした。東北地域(方)における学校教育の一側面を「北方(性)教育」という名で呼ぶとすれば、さしずめ上田庄三郎さんや小砂丘忠義さんたちの教育実践を「南方(性」教育」を称することもできます。だとすれば、「中央(性」教育」というものもあっていいんでしょうね。はたして、それはどんな教育実践だったか。

 作文または綴り方(閑話)

〇小学校に教科目として綴方(作文)が設けられたのは明治二十四年(文部省令)

小学校教則大綱(抄)(明治二十四年十一月十七日文部省令第十一号)   

*「第三条 読書及作文ハ普通ノ言語並日常須知ノ文字、文句、文章ノ読ミ方、綴リ方及意義ヲ知ラシメ適当ナル言語及字句ヲ用ヒテ正確ニ思想ヲ表彰スルノ能ヲ養ヒ兼ネテ智徳ヲ啓発スルヲ以テ要旨トス/ 尋常小学校ニ於テハ近易適切ナル事物ニ就キ平易ニ談話シ其言語ヲ練習シテ仮名ノ読ミ方、書キ方、綴リ方ヲ知ラシメ次ニ仮名ノ短文及近易ナル漢字交リノ短文ヲ授ケ漸ク進ミテハ読書作文ノ教授時間ヲ別チ読書ハ仮名文及近易ナル漢字交リ文ヲ授ケ作文ハ仮名文、近易ナル漢字交リ文、日用書類等ヲ授クヘシ」

小学校教則

 明治三十四年冬に書かれた尋常小学校四年生の綴方を以下に掲げます。題して「擬戦の記」とあります。

 明治三十有一年十二月九日、当校の四年級一同、白赤の隊となり、列を組み、午前八時十五分過に門を出て、整々堂々雉子橋を渡り、竹橋を入り、気象台の橋前を出で、麹町より四ッ谷門を過ぎ、内藤新宿に着き、それより分かれて、甲州街道を進み、玉川上水の架橋を渡り、暫くして左に曲がり、林に添える道にて軍歌を唱えて進み行きしに、其声天地に震いて、実に勇ましかりき。それより田畝に出でて見渡したるに、はや洗浄見えたれば、白隊は八幡山に陣を取り、赤隊は赤旗山に陣を布きて控えたり。折柄回線の用意を告げければ、伊藤君分隊を率いて前進す。時に敵陣のうち、高浜君一隊を引きつれ来るを見、此にあたり、ふんぷんとして戦い居たるに、敵兵林中より雲霞の如くああらわれければ、我が隊田畑の中を進み、適の左翼を打たんとせしに、之を知られければ、其こにて暫く血戦したるが、遂に破られて打死す。此時白軍勢鋭くしてて、赤悉く死して陣を取られたり。(以下略)

 次は大正三年のものです。同じく尋常小学校四年生が作者。

 まちにまったぎせんの日が来た。こんどは四年生だから、しっかりやろうと、腕に力こぶをいれて、学校を出た。初夏の風にふかれて、ヶ敷のよい道をあるいていったのは、こころもちがよかった。すこしくたびれたと思った時は、もう目の前になつかしい落合の原が見えた。

 よろこんで三分隊にはいると、やくわりがきまって、かいせんのラッパが野山にこだましてひびいた。

 それと同時にたまがぴゅうぴゅうととびかいはじめた。

 あっちが破れ、こっちがやぶれして、出るけっしたいのこゑもいさましい。そのうちに白がおしよせていって、赤の軍旗をぬいてもどって来たら、そばまでむかいにいった。第二回はかち、第三回はまけた。それからべんとうになった。べんとうをあけてほうばった時は、実にうまかった。すんでから一度あり、さいごの合戦となると、大さわぎmわいわいといってたたかった。そのうちにおわりのラッパがなって、白のかちとなった。白のよろこびのこえは、耳をやぶって、わあっと天地にひびいた。(「擬戦」大正三年春尋四)

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  おやのおん                               尋常二年男 ○ ○ ○ ○   

 私のきものは、お母さんがこしらへてくださったのです。学校へくるのは、お父さんやお母さんのおかげです。うちでは私をかはいがってくださいます。このおんをわすれてはなりません。おんをかへすのにはお父さんやおかさんのいひつけをよくきいておやにしんぱいをかけないやうにして、学校ではせんせいのおしへをまもるのです。それでおんはかいせるのです。(明治四十三年度各学年綴方優作集 白金尋常小学校) 

 およそ百年前の尋常小学校二年生の綴方です。「いひつけをよくきいておやにしんぱいをかけないやうにして、学校ではせんせいのおしへをまもるのです。それでおんはかいせるのです。」この部分には傍点(二重丸)が付されています。親の恩を忘れないどころか、それをかえすための処方を求めた課題であったと思われます。

 じつに紋切り型ですね。この「作文」の筆者はだれでしょうか。こんな見え透いた文章を書いていたのか、詰まらない。ぼくはがっかりした記憶があります。(あるいは作者は、作文の課題をよく呑み込んでいたので、「模範文」を書いたかも、と考えたりもしたのですが)それにしても「親孝行」というのはこんな陳腐なものであったのかね。教師はこれを書かせるために腐心していたのですね。書いた人は、文芸評論の領域を開いたとされる小林秀雄(1902-1983)さんでした。

 まさしく「閑話()」でした。(閑話= むだばなし。 心静かにする話。もの静かな会話)

 学歴は洋服みたいなもんだ

【学歴】●academic background●academic qualifications●academic record●educational background●history of schooling

【学歴社会】●society in which one’s schooling counts●society which places excessive emphasis on academic records●society which places undue emphasis on academic records●society which sets a greater value on the academic career of an individual than on his real ability

【学歴偏重】●education-obsessed●excessive valuing of academic background●putting undue emphasis on educational background

【学歴偏重社会】●academic background-oriented society●education-obsessed society●society where undue respect is paid to academic background●society which places excessive emphasis on academic records●society which places undue emphasis on academic records(英辞郎)

【学歴】学業についての経歴。どういう学校を卒業したかという経歴。「―がものを言う」

【学歴社会】人の社会的地位や評価などが、学歴によって決められたり、判断されたりする学歴偏重の社会。(大辞林)

 学歴とか学歴社会という言葉は、社会学的には「ニュートラル」なものですが、けっしてそのようなとらえ方がされないのはどうしてなのか。大学進学率が何年度は40%で、三年後には45%にあがったというのは事実です。その事実をどのように解釈するか、人によってさまざまです。事実を社会問題として理解しようとするなら、その方法があるはずです。

 「学歴」に過度の意味や価値を含ませるのはどうしてか。学歴が高いか低いかというより、履歴書に記される「学校名」に関心があるからです。大学を出たという、単なる事実以上に、何大学卒かが物を言う(物を言わない場合もある)社会の現実があるからです。いまでも、かな。ぼくはいつでも「学(校)歴」は洋服見たいなもの、着脱可能で、それ自体に好みや流行はあるけれど、それを着けている中身(身体や脳体には無関係)だと考えています。 

(厚労省調査)

 何を学んだ(学ばなかった)かという経験や実績より、どの大学を卒業したかに比重がかかるのは、大学や当事者にとってはいいことなのかね。受験、入学、在学、卒業という単語が重視されることはあっても、それぞれの名詞を構成する動詞(経験)がほとんど問われないのは、いかにも不自然だし、その不自然さを意識しない(させない)社会の風潮こそが、学校教育を空洞化させてきたのだとおもうのです。「入学」と「卒業」が短絡してとらえられ、その期間に何を学んだり何を学ばなかったりしたかが問われないとしたら、まことに異常ですな。自分の経験に照らしてみても、何年間は在学していたが、そこではついぞ学ばなかったのですから、それを看板にするという破廉恥はできないと銘記しているのです。

 ある特定の大学を出れば、卒業生はみんな同じ色に染まるということはあり得ないにもかかわらず、一色に染めて(染められて)しまう傾向が(世間には)濃厚にあります。学歴というものより、学校歴がより多くの関心を抱かれる所以です。つまらんことよ。

 A大学を出たとか、B大学出身ですといったり、わたしはS高校卒ですなどという、その事実が示すものはなにか。それこそがA大学やB大学、あるいはA高校と、それぞれの個人との関わりをあらわすにちがいないのです。よく言われることですが、どの大学卒かというよりもその大学で何をしたのかということの方がはるかに大事です。でも、どんな大学を出たところで、似たり寄ったりのことしかしない(あるいはいうほどのこともしなかった)ということであれば、やはり、どの大学卒かに関心が赴くのは仕方のないことなのかどうか。ぼくには学校に対する不信の念は半端じゃなくありますから、この島社会の体制(政治・行政・企業など)が歪められ、偏頗なものにされている多くの責任は「大学卒」にあると確信しています。今日、マスゴミの「堕落」「不作為」が非難されますが、大半がいまどきの大学出なのだから、そうなるのは当然であると、ぼくは経験からおもっている。こんな人やあんなやつが書く新聞なんか読めるかよ、といいたいほどのものですよ。官庁や企業、政界にも友人・知人がたくさんいるから、なおさらそのようにおもいますね。

 「人の社会的地位や評価などが、学歴によって決められたり」するのが学歴社会だというけれど、はたしてホントにそうでしょうか。あからさまにA大学卒、B大学卒、V大学卒では給料がちがうというのは、明治時代以降にはありました。それを最初にしたのが官僚界です。卒業大学による差は著しかった。国立と私立、さらに大卒と高卒でも差はあった。今もあるでしょう。だから、すこしでも高い給料が欲しいからと学歴上昇が進んだのは事実です。でも、何をするか、というたしかなちからがもとめられないなら、その社会(会社)は何なんですかといいた。

 《オレは学歴もコネも地位もない。技術しか人に勝つ方法はないんだ。当たり前のことをやっていたら、だれも相手にしてくんないよ。いつもそう思っているから、これが自分の活力になるんだよ。いま?いまだってそうさ。コンプレックスのかたまりだよ、オレなんてのは》と語るのは岡野雅行さん。町工場の経営者でした。今でも現役ですね、確か。国民学校卒でした。(詳細はどこかで)

 学歴も地位もコネもないという自覚が、人をどんな風に育てるかということですし、反対に学歴もコネも地位もあるという意識が人間をどこまでも傲慢にかつ無責任にしてしまうかということの反証みたいな啖呵だと、わたしは岡野さんの言葉をうけとめました。(昨年秋にノーベル賞受賞の吉野彰さんと組んで、リチウムイオン電池の開発に貢献した人でもあります。「携帯」進化の親です)

 自分が作るならどんな仕事も面白いし、その仕事は人間を育ててくれるということをほんとうに経験したいものですね。そして、はたらくのは「何のため」か「だれのため」かをいつも考えていたい。