窓は開いているか

 窓の外からことばがはいってきました。

 二人の奥さんが道ばたではなしています。

「もう眼も駄目ね。頭も駄目。ならってもすぐ忘れてしまう」

 もうひとりはあいずちをうちます。

「でも、勉強ってたのしいわね。さようなら」

 この人は五十七、八歳くらい。相手の人は五十五歳くらいでしょうか。二人とも、私は回覧板をもってゆくときに会って、知っています。

「ならってもすぐ忘れてしまう。でも、勉強ってたのしいわね。さようなら」

 このことばは、私には達人のことばのように思えます。(「鶴見俊輔「わからないことば」)

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 大正のはじめに、官立の小学校の国語教師として国定教科書を型どおりに教えていて、ゆきなやみ、神経病にかかった芦田恵之助が見出したのも、この一回かぎりのことば(子どもそれぞれの状況からはえでる)を見出そうという方向でした。そこから、随意選題という綴り方教育の方向があらわれました。

 文をつくるもとには、このような一回かぎりのことばへの模索がはたらいています。

 文をつくることは、〇☓式教育ではつかみきれない力で、それゆえにいまの教育体系では排除されました。大阪大学医学部では、

「条件反射について書け」

 という試験問題を医学部学生にだしたら、多くの学生がまったく書けなかったということです。〇☓をつけることになれた学生は、自分の知識にまとまりをつけて、自分の言葉で書くことができなくなっていました。

 こういう教育制度は、いっぽうで大量の大学卒業の優等生をつくるとともに、戸塚ヨット・スクールにおいやられる子どもたちもつくっています。(同上「一回かぎりのことば」)

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 「でも、勉強ってたのしいわね。さようなら」ホントにわくわくしませんか。おしいことには、いまは隣近所もなければ、言葉が入ってくる「窓」も閉ざされてしまっています。少しばかりの連絡路である「窓」が四方に向かって閉じられている状況は、今日の社会生活における人と人の関係を象徴しているように思えます。障壁のある関係。

 「おぼえなければならない」といわれたとたんに勉強はつまらないものになります。忘れても忘れても、かまわないんです。忘れることがたのしい、となれば達人です。自分の娘に対して「おはようございます。どちらさまでしたか」という母親もまた達人だね。世に、これを「認知症(アルツハイマー」」というそうです。繰りかえしの精神がぼくたちにはほとんどといっていいほど、育てられていないと、ぼく自身は実感し、痛感しています。

 「戸塚ヨット・スクール」のことをご存じですか。きわめつけの「スパルタ教育」(暴力とまちがえられることもあった。校長の戸塚さんは「傷害致死」罪等で有罪になっています)で、まさに「問答(ことば)無用」の身体教育を実践。それは、この国の教育にもっとも欠けている部分だと指摘する人たちがおられます。(このスクールに関しては、さまざまな批評がなされてきました。現在もつづいています。いまも「教育活動」をされています。その内容などについては、自分の目で確かめられることをお勧めします)(スクール問題は映画化されました。「スパルタの海」主演は伊東四朗さん。原本は上之郷利昭著『スパルタの海 甦る子供たち』です) 

「一回かぎりのことば」とは、だれに対しても(あるいは、犬や猫に対しても)使われることばとは、正反対のことばです。その場でしか使う値打ちのない言葉というものがあるのです。

 ずいぶん昔の話。国語教師だった大村はまさんが中学生を担当していたときのことです。その学校では生徒の喫煙(教師のではない)が生徒指導上の大問題になっていた。生徒指導の教師、なかにはもちろん国語教師もいました、かれらは喫煙している生徒たちを見つけると「おまえら何をしてるんだ」「いいかげんにしろっ」などと大声を張り上げ、どなっていた。大村さんはそんな教師たちの言動を見ながら、「自分にあんな指導はできない」「国語教師として、どなることはできない」と思いながらも、問題の生徒たちにはなすすべをもたないままでした。

 あるとき、授業のために職員室をでて教室に向かっていくと、廊下に数人の生徒がたむろし、これみよがしにたばこをふかして大村さんを挑発するのだった。どうしよう?

 そのとき、一人の生徒に「〇〇君、この前の発表はよかったよ。この次もお願いね」といった。その瞬間、かれは手にもっていたタバコを後ろにかくしたというのです。

 たぶん、ぼくの記憶ではこれだけの話だった。でも、ぼくは大村さんの行為に感動した。ことばなんて、というがよい。「一回かぎりのことば」がでるためには、相手に対してどんな思いをもたなければならないか。わからぬ人にはいっても無駄だ。(左の写真は「禁煙」指導の場面だそう)

投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。