
《われわれの両手ほどよく似ているものがあるだろうか。しかし、両者の間にはなんという驚くべき不平等が存在していることだろう。右手には名誉と、嬉しがらせるような名称と、特権が与えられている。右手が行為し、命じ、「取る」のに対して、左手は、侮辱され、賤しい補助的役目を与えられている。左手は単独では何もできず、ただ、援助し、支え、「持つ」だけである》(R・エルツ『右手の優越―宗教的両極性の研究』ちくま学芸文庫版、2001年)

(*エルツ,ロベー=1882年生まれ。1904年、エコール・ノルマル卒業。1915年、第一次世界大戦の東部戦線マルシェヴィルで33歳の若さで戦死。フランスの社会学者、社会人類学者。デュルケム門下。1915年の悲劇がなかったら、師と肩を並べる研究者になったであろうと言われている)
「右手はあらゆる貴族性の象徴でありモデルであるのに対して、左手はあらゆる庶民性の象徴でありモデルである。/ いったい右手の優越性の由緒はどこにあるのだろうか。また左手の隷従は何に由来するのだろうか」(同上)
〈人権〉の根拠はどこに?
[Ⅰ]右(right)と左(left)(PDICによる)
right:【形-1】正しい、正当な、ちょうど良い、適した、適切な、適当な、妥当な、適合した、ぴったりの、手頃な、ふさわしい、好都合の、合致した

【形-5】右手の、右の、右側の、右方の◆【語源】人間は心臓の反対側にある手をよく使うところから、その手を使うことが正しいとされた。
【名-1】正しさ、正当性、正義、正しい行い、正しい考え方、道理、道理に合ったこと、善、公正さ、真相、正確さ、的確さ

Left:(各自で引いてみてください)
《ヤコブス博士は、オランダ領東インド諸島において医学的な診断の旅行を行った時、しばしば住民の子どもたちの左手が完全に縛ってあるのを目撃したと述べている。これは、子どもたちに左手を使わないように教えるためであったという》(エルツ・同上)

右手の優越はなにか強制されたものであり、それは一定の社会制度を反映したものだと考えられます。宗教観や宇宙観がその根拠になっているとも思われます。
多くの地域で神聖な建物は東向きに建てられています。そこに入るには右足から。われわれの住む家もそれに習うかのようでした。東が固定されれば、南(明るい太陽の側)は右で、北(影の部分が広がる部分)は左になります。
manという単語を辞書で引いてみられたでしょうか。そこにはどんな意味が出ていましたか?聖書によると、男(アダム)(人間)の左の肋骨から女(イブ)が創られたことになっています。

Human right はこの島では「人権」「人としての権利」と理解されていますが、原義は「人間の右」であり、この「人間」はもともとは「男 Man」を意味していました。その証になるかどうか、「女」には Woman という別の表現が与えられていたのでした。(語源や語義の詮索になりそうなので深入りはしませんが)西欧語では「男と女」は当たり前に「人間」として並べられてきた(平等に)のではなかった。また、右と左という語も、多くの西欧語では(善と悪)正反対の語義を持たされてきました。摩訶不思議でしょう。

「右は正しい」なら「左はまちがい」となるのが道理。この島社会にかぎらず、「左利き(left hand)」は好まれなかったどころか、忌み嫌われたこともあったほどです。ちなみに left handed を英和辞典で引いてみると「左ききの、左手用の、左回りの、左手の、左巻きの、左撚(よ)りの、不器用な、下手な、疑わしい、あいまいな」などとけしからん「説明・解説」がつけられています。エルツの前掲書のタイトルは「右手の優越」=La preeminence de la main droite であります。(プレエミナンスのeeにはアクサンがつきます」
何十年も前に、麻丘めぐみさんは「わたしの彼は左利き」と歌いました。(つづく)(2020/04/11)