学生時代に「ナンセンス」は島国中に大流行しました。もう数十年も前の話です。だれかが集会でアジ演説をしていると、反対派は、演者の一言ごとに「ナンセンス」の大合唱でした。演説内容を一瞬のうちに全否定する、一種の呪い(まじない)、呪文としてはやりました。運動家が属する各派は一種の「レリギオ」(宗派)だったから、それにふさわしい呪文(お経)が求められたのだと思う。各宗派の違いは五ミリ程度、その極小のちがいが決定的に重要だった。だが、ちがいを強調しながら、互いが罵りあう掛け声の「ナンセンス」だけはまったく同じでした。各派は同根だという証明になるかも。「学生運動」という大学当局に保護された熱病が蔓延していた時代のケッタイな風景でした。それ以降、運動は悲惨な方向をたどります。

ぼくは今も昔もノンポリ(ぼんぼりじゃありません。この「ノンポリ」なる語もどこかに消えた)で、舞い上がるとか、炎上するということはありませんでした。じゃあ冷静だったか、と問われれば、いやいや、なかなか激しかった。何において「激しかった」かはここではくわしく言えませんが、上に触れた活動家諸君のような意味ではなく、自己流の「ナンセンス」にはまっていたのは事実です。ノンポリの熱中したものは(?)「女性」でなかったのは事実です。もしそうだったら、さぞ大変なことになっていたろうと、想像するだけでもぞくぞくします、怖くて。「惚れて通えば千里も一里 長い田んぼもひとまたぎ」と寄席学校でまなびました。

一つは、その寄席。もう一つは文学。さらには音楽。落語家になりたいとは考えなかったが、金を工面して寄席に通いました。たいていは上野「鈴本」、文楽や志ん生は少し前に亡くなっていた。いわば圓生の独り舞台。ぼくは何席か伺いました。談志や円楽(先代)の売り出しの頃でした。同時に学生気分のままに小説でも書こうかという気になっていました。まじめな「ナンセンス文学」が書けないかと思案していた時期もあります。これはその後も続けようとしましたが、事情(無能)があって中断。志を果たさないままで、寿命が尽きようとしています。さらにはあるまじきことでしたが、音楽家(楽器)に挑戦しようと羽目を外しかけたこともありました。音楽(バッハ)論を書いたこともありました。その一方で、ゲルピンでありながら無理を重ねてレコードを買い続け、数えたことはなかったが、ほんの数年でLPはかるく1000枚は越えていたと思います。(後日、古レコードとして売った時に値段と枚数に驚きました。今はなくなったと思いますが、銀座の「ソニーレコード(?)」で、出張買い入れだった)それと同じようなペースで本を買い漁りました。ほとんどが新刊。まだアマゾンやミシシッピがなかった時代です。親戚の二階に居候(つまりは十階・二階+厄介)していたのですが、レコードと本の重みで階下の戸が開かなくなったほどでした。おなじことは結婚後にも繰り返されました。なんとかは死ぬまでなおらない。やまのかみに罵倒されたのはいうまでもない。(ナンセンス!)

その他、いくつかの種目に熱中しましたが、結局は途中ですべてを放棄・断念してしまいました。代わって、夢中になったのは、卒業なんかしないで生涯を「学生気分」で暮らす算段をつけることでした。四年で終わらないで、その後も学生生活をつづけた。いまから考えれば、この時期に仕入れたもろもろの「商品」はもちろん売り物にはならなかったけれど、ぼく自身の身を肥やすいい材料(栄養素)になったと、勝手に自己評価していますが、他人の評価はほぼ無視だった。(こんなつまらぬ経験談をだらだら続けても無意味)結局は郷里に帰り「教師」にでもなろうと思い立ち、そのための学習はまったくしていなかったから、さっそくに教職に備えたという次第です。要するに生に対する姿勢は崩れたままだったということでした。(「教職」志望も直後に断念、残念だったと思いますが、半面ではよかったのかもしれない、ひょっとしたらぼくの「未来の教室」に入れられたかもしれない子どもたちにとっては)
この項のテーマは「ナンセンス」でした。ぼくのだらしない「騙り」を続けるのも結構「ナンセンス」ですが、もう少しまともな「ナンセンス」に言及する必要がありますね。「ナンセンス」は、似ているようで「滑稽」とは根底でちがうと思います。語義の詮索はしません、ナンセンスですから。面白さとは直接の関係がナンセンスにはなさそうです。一方の滑稽はどうですか。おかしさが滑稽の命のようにも思われます。ともかく、ここで重要なのは「センス」です。この「センス」を無・無化するのが「ナンセンス」の本領なんですね。「センス」をギャフンといわせる。その手法はさまざま。
「(ナンセンスそのものは)何の役にも立たない。何の役にも立たないんだが、センスっていうのは何かっていう問題をナンセンスは提起していると思うんですよ」(鶴見俊輔「センスとナンセンス」鶴見俊輔集10に所収。筑摩書房、1992年刊)
どかこで触れましたが、それ(センス)は「社会通念・常識・良識・規範・道徳・倫理」などという言葉で示される時代や社会(集団)に優勢な価値観でしょうか。「普遍性」などという言葉を使って説明しても構わないが、意外に時代や地域の制約を受けるのは「よそ(諸外国)」を観れば一目瞭然とします。
(ここで述べないが、個人(私)・社会(公)・国家(官)という区別・区分がほとんど無視され、混同されてきたのがこの島国です。公私混同といい官民一体などといいますが、「私」と「官」だけのように錯覚させられてきた長い歴史があります。「私」と「私」が出会って「私たち」になるという部分が過少に評価され、あるいは無視されたんですね。「官」が「私」に覆いかぶさるのがあたりまえに許されてきました。「公共(社会集団)性」の不在か未成熟の故でした。「社会」が育たなかったのは「国家」が強すぎたからでした。個人生活にいきなり国家が土足で入り込むようなえげつなさで、国家は「私的な部分」を抹殺し来た。この問題はしっかりと考察します)
「センスっていうのは非常に何かの役に立つわけだ。一生懸命勉強して、偉くなって、そして、たとえば、イギリスだったら「サー」になる人ですね。日本だったら、勲一等。正一位にはなれないけども、正三位ぐらいになるからね。そういう序列があるでしょ。そして、その家族、親戚縁者が潤うとかね、そういうものでね。で、それに向かってすべて盲目的になるんだけども、そういうものに役に立たないものはナンセンスだけども、役に立ったとしてですよ、人間は結局何をつかむか。つまり永遠の中でいえば、すべては消えてしまうわけでしょ。そうすると、生きるということはいったいセンスから見て何か。無益なことですよね、生きるってのは。そのことをナンセンスはいったいどういうふうに答えるかっていう問題があるでしょう?センスはその問題を出さないわけだ。よくよく考えてみると、センスはその究極のところで、そのナンセンスにぶつかるわけですよ。ナンセンスはそれを逆に回っていくわけですけどね」(同上)

この部分の記述はまるで「悪人正機」を述べる親鸞の思想のようにぼくは面白くかつ重要な指摘として読みました。「偉くなってどうする(?)」「金持ちになって何するんだ(?)」「社長にどうしてなりたがるのか(?)」「総理大臣はそんなに凄いのか(?)」(たしかに今のソーリは凄い、花見が税金でやれるんだから)(いやな税務申告の時期になりました)彼はなんと「嘘」の掛け算をしてるんだ。神経がないんじゃないかと思うくらいに図太いっていうのはホントか。大臣連も「右に倣え」だ。
「?」の中を問われても意味のある返答はむずかしいでしょう。まず犬・猫たちには通用しないから。当然だよ、そいつらは「畜生」じゃないか、といって胡麻化す。嘘をつく。いい学校だのいい会社だの、いい人生だのって(?)、犬や猫(動物)は学校なんて必要としない。いいや、なかには進学塾や進学校に入るやつもいる。「犬猫の風上にも置けないぞ」とナンセンスは負けていない。
「存在そのものは無意味なものなんで、海辺に波が打ち寄せてくる、引いてまたうち寄せてくる。その状態なんだ、存在はね。それを意味のなさにおいて受け入れる。そしてその存在の感触を楽しむ、それを子どものときに、ただ、言葉のごろ合わせみたいなもので、これは楽しいじゃないかなんてことが…ていうのは、存在の感触というものを子どもが知る手だてになるわけでしょ。だからそれはいわば、そのことによって生もまた耐え得るものになるってことがあるんじゃないですか(?)もしセンスをそこで教えたんだったら、ある時にセンスの不合理性を考えたらもう、ぜんぜんやる気なくしちゃうわけですよ。で、初めにナンセンスに浸るならば、センスそのものはその後、生きる技術として部分的な正統性を与えるとしてもですよ、全体はナンセンスの中にあるものとして安住できるわけでしょ。…」(同上)
「ナンセンス」のちからはそこにあると俊輔さんは言う。「ぼく、生まれたら死ぬの(?)」と問われてなんと答えるか。ここでは「センス」は涼み(風送り)の役にも立たない。「余計なことを言わないで、宿題をしなさいよ」とかなんとか、「センス」の権威はこんなもんですな。「ナンセンス」は意味ありげな常識や規範とされるものを破壊する。子どもはみんな「シンラン」だ。
「それが不条理であることを通して、存在そのものの持っているナンセンス性ってのに目ざめて、そのナンセンス性を楽しみ受け入れるという方向にいこうと、その練習をすることになりますね」(同上)
「優劣なし」だという見方・考え方をうけいれることが大事なんだ。学校は「問答無用」を常用するし、親は権威(暴力)をふりかざす。「どうして子どもを脅迫すんだよ、この親は」と「しつけ」が聞いてあきれています。「躾」とは「身」に「美」だとよ。悪い冗談ですね。本日、千葉地裁で女児を虐待死させた父親の初公判がありました。「泣いて反省」のお父さん。「子どものためにやったことだ」と。哀れなのはぼくたちもふくめてみんなです。この事件では、様相は極端ですが、「センス」の仕組みが透けてみえたでしょ。「センス」の骨組みが、ね。「知ったふりをしない」、それが「英知のある人」です。おいらは無知だけど。
このテーマを書こうとしていた時、かなり前に読んだ谷川雁さんの文章を想いだしていました。それでありかをさがしたんですが、見つからなかった。その内容は次のようでした。いずれ出典部分を正確に書き写したいと考えていますが、とりあえずはぼくの曖昧な記憶をたよりに。
「(福岡県のある地方だったか)小学校の4年生くらいの女の子が友達数人がいるところにいったら、一人の男子が「おまえはキタナイ(汚い)から、こっちへ来るな」といわれた。女の子はそういわれてうつむいた(怯んだ)かというと、「キタがないなら、日本はサンカク」と切り返した。うっちゃりですね。男子たちは腰をぬかしたかもしれない。谷川さんがどこかで仕入れたエピソードだったが、それを聞いて雁さんは驚愕したそうです。「キタナイ」と黴菌あつかいをうけていじめられる子どもが後をたない。
たしかに不潔な服装やふろに入らないでいる子どもは清潔ではない(ぼくは、どうかするといまでもそうですが。だからいつも▲)。「キタナイ、来るな」というのは当たり前の対応(センス)でしょ。ありのままの事実を指摘されたのだから、ショボンとする・うなだれるはずですが、この女の子はちがった。「キタナイ(北ない)なら、東・西・南だけだろ、(◆のはずの)島国は。だから二ホンは▲だ」と。バカな解説をすれば「ナンセンス」のいのちは死んでしまうが、ことの顛末はそうです。センスはナンセンスに、さらに立ち向かえたか。(「ナンセンス」は学校じゃ教えられない。なんでやねん)
「ありのままの姿見せるのよ / ありのままの自分になるの / 何も怖くない 風よ吹け ♪♪」
「これでいいの自分を好きになって / これでいいの自分を信じて/ 光をあびながら歩き出そう / 少しも寒くないわ ♪♪ ♭」 (「アナと…」は小1の孫にていねいに「教えられ」ました)(2020/2/21)