どこかの駄文で幸田文さんを紹介しました。その父親が幸田露伴(1867-1947)です。さまざまな分野の小説を書き、漢詩・漢学をよくし、徘徊にも親しんだ。少年文学といわれる分野を開拓した人でもありました。生まれは江戸は下谷の三枚橋横町。落語でなじみの町です。父は幕臣だった。有職故実というよりは、礼儀を大事にするか風だったのかもしれない。それは次女の文さんの書かれたものを読めばよく分かります。以下はその一つである『休暇伝』(1897年)から。威儀を正した教師の姿が(露伴に重なって)彷彿としてきます。

それは、教師と子どもの、どこにでも見られるとはかぎらない、「友愛」に満ちた結びつきを核とした作品です。 山深い村の小さな、しかし高等科もある小学校。明日から夏休みに入る。先生は子どもたちに話しかけ、問いかける。明治中頃の島のある学校に展開される出来事の一場面です。ぼくは露伴好きですが、なにかにつけての詮索は好みませんので、この小説の背景に関しても知るところはありません。露伴という小説家が描いた「教師」像を、懐かしさを込めて愛読するばかりです。この「休暇伝」の一読を勧めますね。

《時間も済みましたなればすぐとみなさんお帰りになっても宜しゅうござります。暑さのはなはだしいため今日かぎり休暇になりますが、これは学校でみなさんに授業をいたさぬというばかりで、学校へ出ませんでも、私は生きておりますから、私は私だけに必ず何事かいたして働きます。みなさんも生きていらっしゃるうえはかならず何事かしてお働きになるが宜しい。天を見ても地を見ても生命あるものの働いておらぬはござりませぬ。
かよう申しますればとて、毎日毎日複読したり算術をしたりいたしておらるるが宜しいというのではござりませぬ。遊びということはけっして無益なるものではござりませぬ、大切な働きの一つでござります。暑中のことですから学事ばかりに身心をつかって健康を損ずるようなことをなさるのは私の望むところでではござりませぬ。むしろ愉快に活溌に高尚に、精悍しく美しく遊んでいただきたいのです。


ただ大切なのは、かねてよく考えておいてじぶんのおもしろいと思う遊び方をさだめることです。そしてじぶんの遊びの結果を見るのです。みなさんめいめいに、じぶんの遊び方を考えて、何によらず結果のある遊びをなさい。宜しゅうございますか。みなさん、何をなさってもかまいませぬから、遊びに主意というものを立てて、そして能く遊んで、遊び終わったときにわが遊びから生じたることを観るというようになさい。
どうです。みなさん。何をして遊ぼうかとわが遊びの主意を考えさだめるのもおもしろいことではございませぬか。そしてわが遊びをして遊びつづけるのも愉快ではござりませぬか。それからまたわが遊びの結果を観たときに、その結果が好かったら実に楽しいことではござりますまいか》(「露伴全集」全44巻・岩波書店刊から)

「遊びの主意」という語にぼくは惹かれました。「遊び」と「勉強」はちがう、二つははっきりと分けなきゃ、などと親も教師も子どもにやかましく言う。そのくせに、自分たちは遊びに主意を立てているのか。「子どもに注意する」などと生意気なことを言う大人がたくさんいるけれど、それは文句か小言がほとんど。露伴が描く「教師」の紳士としての振る舞いは、子どを一人ひとりの人間(紳士・淑女)として敬う、そんな姿勢が横溢しているようです。ぼくは、この一編の作品で露伴がどんなことを願っていたか、手に取るようにわかる気がします。
百数十年前の一人の「教師の面影」がぼくに語りかけます。(「遊びつづけるのは愉快」)