ある気持ちのよい晩、アーネム動物園のチンパンジー飼育係が、彼らを室内に入れようと呼び集めたところ、二頭のメスが建物に入ろうとしなかった。この動物園では、夜間用の宿舎に全員が入らないかぎり餌を与えないことになっている。チンパンジーたちは規則の遵守に積極的で、宿舎に入るのが遅くなると、腹ぺこの仲間たちに激しい敵意を向けられるのがつねだ。

若いメスたちは頑固で、この日宿舎に入るのが二時間以上もおそくなった。報復を避けるために別の寝室が与えられたが、保護措置はいつまでも続かない。翌朝屋外に出たチンパンジーたちは、前夜の食事が遅くなった怒りを爆発させ、無法者をみんなで追いかけまわして殴りつけた。その夜いちばんに宿舎に戻ってきたのは、言うまでもなくそのメスたちだった。(F・D・ヴァール『利己的なサル、他人を思いやるサル』早思社、1988年)
ヴァールさん(Frans de Waal、1948 – )はオランダ生まれの動物学者。現在は米国在住。日本にも来られました。

上の引用につづいて、彼は記述規則と規範規則について述べています。
たとえば、ほ乳類のメスは勝手にじぶんの子どもに近づくものには威嚇するというような規則を記述規則とします。それは典型的行動を述べるものですから、規則のおよぶ範囲は動物に限定されません。手を石からはなせば落ちるし、ヘリウム入りの風船は落ちないといったような規則がそれにあたります。
それに対して規範規則とは動物と人間にのみ妥当する規則で、それは見返り(報償)と懲罰によって支えられ強化されます。いわば道徳に類する規則とされます。

《母親が子どもを守る行動にいま一度目を向けてみよう。母親はそうした行動に出るとなれば、ほかの者も子どもへの近づき方、接し方をそれなりに変えなくてはならない。チンパンジーのコロニーでは、母親の基準にそぐわない者は怒りを買い、それからは子どもを預けてくれなくなる。群れの個体が、自らの行動と母親の行動とのあいだに生じる偶発事故を認識して、好ましからざる結果をできるだけ避けようとすると、そこに規範規則が生まれる》(同上)
ヤーキース霊長類研究所で飼われていたチンパンジーの集団でつぎのような事件が起こった。ナンバーワンのジモニー(オス)が、じぶんが気に入りのメスと若いオスのソッコが密会をしているのを発見した。彼は執拗にソッコを追い回しつづけた。

ジモーが目的を達する前に、数頭のメスが「ウオアオウ」と吠えはじめた。最初はほかのメスたちはようすをうかがっていたが、最高位のメスが加わったので、全員が参加して、その声は耳をおおうばかりの激しさで、まるで抗議の合唱のようだった。メスたちがみんな吠え声を出しているのに気づいたジモーは神経質な表情を浮かべて、ソッコの追跡をやめた。「どんな喧嘩でも、吠え声を誘発するわけではないのだ。吠えるのは、個体どうしの関係や生命が重大な危険にさらされたときに限られる」

「規範規則と秩序の感覚はまぎれもなく、社会階層に由来している」とヴァールさんはいいます。下位に位置している者はつねに上位者の言動に注目していなくてはならない。「地位の上下があることを認め、上にいる者の立場を尊重しないかぎり、社会規則に敏感に反応することはできない」というのです。
「個体どうしの関係や生命が重大な危険にさらされたときに限られる」という緊急事態にあるのが「新型ウイルス」の急襲下にあるわれわれです。いたるところからくる情報はけっしてゆるがせにできない危機的状況に陥っている場面からのものばかりです。いったい、ぼくたちはどのような「吠え声」をだせば、この限界寸前の危機から脱出できるのでしょうか。この場合、「ソッコ」はだれで、「ジモニー」はだれなんでしょうか。「ジモニー」を黙らせるにはどうしたらいいのか。
(参考までにヴァールさんの著書のいくつかを紹介しておきました。ほんの一部です。ばくは手に入るものはほとんど読んできましたが、人間(の限界・程度・分際)を知るためのまことにきわめつけの入門書になり、人間の本性を知るためのまたとない解説書でもありました。「お前は、動物の賢さがわかるほど賢いのか」とメス(オスではない)を突き付けられながらの毒(読)書だったですね。(ボノボ(ピグミーチンパンジー)はぼくの兄さんであり父さんです)