社会と学校について

 アメリカは「建国」からまだ三百年たっていません。(1775-83年、独立戦争。76年独立宣言。同年に、トマス・ペイン(Thomas Paine:1737-1809)は「コモンセンス」を著す)何かというと「アメリカ一点張り・一辺倒」であった時代は戦後すぐの時ならいざ知らず、いまははるかに昔の歴史の一齣になったと、ぼくなどは考えたりしますが、決してそうじゃない人たちもいます、かなりたくさん。「なんてたってアメリカ」「アメリカ第一」(島に住んでいながら)というのです。じっさいにはこの島は米国の「第五十一州」のようでもあります。

 かくいうぼくも、若いころは「アメリカの民主主義」かぶれ(接触皮膚炎)寸前にあったことを隠しません。もちろん、大学に入ってからの話です。もっぱら「民主主義」だの「デモクラシー」などと、世間並みにぼくも熱に浮かされていた時期でした。以後は「アレルギー」体質になりました。つまりは「過剰反応」ですね、この米国に対して。

ペイン「コモンセンス」

 入学した大学はぼくにとっては場違いなものだったし、ことに教育内容はよくないものだった。ひどいものでありました。自身の選択が誤っていたのだから、それ(大学教育)を否定するのは自分を否定することと同義みたいでね。まあ、どこの大学でも似たようなものと割り切って、勝手な道を歩こうとしていました。たとえ有料であっても他人から者を学ぼうという浅はかなこころがけ(根性)こそがよくなかった。ようするに 「学校の正体」がじゅうぶんにわかっていなかったのはなんとも不覚でした。

 大学に入って初めて読んだ本がジョン・デューイ(1859-1952)という人の「民主主義と教育」(Democracy and Education、1916年刊)でした。いまではいくつかの文庫本でも読めます。ぼくは浩瀚なこの本を英語で読み出しました。(分量は文庫本で2冊分)時間はかかりましたが、つまずきながらも、ともかく最後まで読み切りました。そのおかげかどうか、今でも英文でいくつもの文章を記憶しています。

 なぜデューイだったか。当時(六十年代後半)、この島では彼がもてはやされていたからです。教育を考えるにはデューイに限るとまではいわなくても、かなり重視されていました。今はどうなったか。彼は食品・雑貨屋さんの息子で、バーモント(カレー)州で生まれました。はじめはドイツの観念論(カントやへーゲルなんか)に接近、やがて心理学を学び、そこから教育問題に至った人です。

 (いずれ項目を立てて、彼について騙りたいのですが、今は省いておきます)

 彼には残された著作は多いのですが、ここでは『学校と社会』という講演集を引用しながら、当時(十九世紀末)のアメリカ社会(デューイの活動はシカゴを中心にしたもの)の教育状況を推し量ろうと思います。(この本は、当時デューイがいたシカゴ大学で「実験学校」を主宰した彼が行った保護者向けの講演(1899年)から成り立っています。著書の刊行は1915年)実験学校は当初は二十人足らずで始められ、その後は大学付属小学校となり、デューイが校長さんだった。七年ほど続けられました。School and Society. という書名に留意しなければなりません。

 ソローよりも四十年以上も後に生まれ、しかもソローの歩いた同じような方向を目指したデューイのことばを少しばかり、以下に紹介しましょう。

 「…たんに事実や真理を吸収するということなら、これはもっぱら個人的なことがらであるから、きわめて自然に利己主義におちいる傾向がある。たんなる知識の習得にはなんら明白な社会的動機もないし、それが成功したところでなんら明瞭な社会的利得もない」

 「実のところ、成功のためのほとんど唯一の手段は競争的なものであり、しかもこの言葉の最も悪い意味におけるもの―すなわち、どの子どもが最も多量の知識を蓄え、集積することにおいて他の子どもたちにさきがけるのに成功したかをみるために復誦ないし試験を課して、その結果を比較することである。じつにこれが支配的な空気であるから、学校では一人の子どもが他の子どもに課業のうえで助力することは一つの罪になっているのである」

 「学校の課業がたんに学科を学ぶことにあるばあいには、互いに助け合うということは、協力と結合の最も自然な形態であるどころか、隣席の者をその当然の義務から免れさせる内密の努力となるのである」(ジョン・デューイ『学校と社会』岩波文庫版)

 このようにデューイが述べたのは十九世紀末でした。学校教育の現状を批判した『学校と社会』はいま読んでも、今日の学校教育に対する立派な批判として通用しそうです。それはまた、日本の学校教育の現状をも射当てているとぼくには思われます。その意味は、古今東西を問わず、「学校の役割」は同じであり、それはけっして子どもをじゅうぶんに伸ばし、賢くするための場になっていないということです。

 「私は旧教育の類型的な諸点、すなわち、旧教育は子どもたちの態度を受動的にすること、子どもたちを機械的に集団化すること、カリキュラムと教育方法が画一的であることをあきらかにするために、いくぶん誇張して述べてきたかもしれない」

「旧教育は、これを要約すれば、重力の中心が子どもたち以外にあるという一言につきる。重力の中心が、教師・教科書・その他どこであろうとよいが、とにかく子ども自身の直接の本能と活動以外のところにある。それでゆくなら、子どもの生活はあまり問題にならない」(同上)

《デューイ【John Dewey】アメリカの哲学者・教育学者。プラグマティズムの立場から論理学・倫理学・社会心理学・美学などあらゆる方面にわたる業績があり、また子供の生活経験を重視する教育理論は大きな影響を与えた。著「民主主義と教育」「哲学の改造」「確実性の探究」「論理学」など。(1859~1952)》(広辞苑第五版) 

 いまなお(二十一世紀に入っても)、私たちの社会、というよりは「島国」の学校教育は「旧教育」に支配されているといえそうですね。

 学校になじめばなじむほど、学校という制度に自分を預ける度合いが強くなればそれだけ、学校で行われる教育(授業内容)が実生活から離れてしまうのはなぜか。生きる力を育てる教育などということがさかんに、まことしやかに叫ばれてきましたが、そのこと自体が学校では生きる力が育た(て)ないことの証明になっていたでしょう。「いや、そうじゃない」と反論があるかもしれない。決められてことができ、言われたことを素直に実行するような力こそが「生きる力」なんだというのですか。ここにはっきりと学校教育の目的や意味があるようにぼくは考えています。

 つまり、生きる力を個々のこどもが自らのうちに育てるようなプログラムは最初から学校には存在していないのだということです。では、いったいなんのための学校、なんのための教育なのか、このことはあらためて問われる必要がありますね。これこそが「生きる力」であると子ども以外の何者(元締め)、そういう塊が断定した「教育」を徹底して行おうとするのが学校なんだ。

 「旧教育は子どもたちの態度を受動的にする」とデューイが批判したのは今から百年以上も前のことだった。受け身は柔道にあるばかりではない。いやなことだが、「旧教育」は「永遠に不滅」(同語(義)反復ですが。

 この小さな本が「学校と社会」と題されて、「学校と国(国家)」といわれていないことにぼくたちはていねいな考察を及ぼさなければならない。一人の人間は「社会」に属し、「国」にも属しています。でも両者(同じ人間が属する集団)は機能もねらいも異なるんですよ。クラブと教室の役割がちがうように。第一、気分がまったくちがうんだ。社会人といって国家人という習慣が、ぼくたちの生活圏にないのはどうしてですか。(「社会」と「国」はちがうよ)