戦後の島の文学史に大きな足跡(ダイダラボッチみたい)を残された吉本隆明さん(1923-2012)の「私の教師」経験談です。教師とは何者だったか。
《この教師は一見怠け者で、自分が授業をしたくないと、生徒に代わるがわる授業をやらせたり、視学官が授業参観にくるという日は、その前日に主だった生徒を呼んで、「あしたの授業ではこういう質問をしろ」と振り当てた。八百長で、生徒は面白がった。わたしが覚えているのは、「吉本、おまえは、蚊はどうしてぶーんとうなりをあげるのですかと質問しろ」といわれたことだ。いってみれば「八百長授業」だが、それが面白かった。この先生の近くに寄ると、ときどき酒の匂いが残っているような人だったが。何とはなしに好意をもっていた》(吉本隆明『こどもはぜーんぶわかってる』批評社、05年)

吉本さんはこの教師がとても好きだったという。なぜだか理由はわからなかったが、とにかく好きだった。「けれど僕らから見ても、とにかく怠け者の先生」だった。
《自分の授業中に、地理の時間なら地理が得意なやつに「あっ、お前」なんて呼びつけて「お前、これを説明しろ」などと言うのです。この地域の県庁所在地はどこで、この地域の特産物は何かとかを説明させて、自分は椅子に座っているだけで何もしないのです。また、呼び出されて傍に寄ると昼間なのに酒の臭いがぷんぷんするわけです〈笑〉。そうするとこの先生は夕べお酒飲んだのだなって思うわけです》(同上)
いい先生、いい父親、いい母親、そしていい子ども。おそらくこんな幻影(観念)に呪縛されてきたのがこの社会の多くの人びとだった。「いい教師」とはだれにとってか。かりに子どもにとって「いい教師」といったところで、すべての子どもの「いい教師」になれるとは考えられない。「いい先生」の中身は千差万別です。「どんな人もだれかの教師になる」という意味のことを言ったのはニーチェだった。

吉本さんはこの怠け者の教師が好きだった。どうして好きなのか、それがあるとき「これだと思った」というのです。
同じ学校に、若いまじめな教師がいた。なんでこんなに怒るのかわけがわからなかった。ベーゴマをやっていると見回りに来る。さっと隠して、彼がいなくなるとまたやり出す。その教師が朝礼で「ベーゴマしていた奴は前に出てこい!」と詰問した。だれも出て行かないで黙っていたら、「何でお前たちは正直じゃないのか」と怒鳴り散らした。
怠け者の先生は三年のとき吉本さんの担任でしたが、生徒たちの後ろ側の肋木(ろくぼく)に寄りかかって若い教師のお説教を聞いていた。
《僕らも罪の意識がありましたから指摘されたら困るなと思って俯いてドキドキ不安になっているときに、怠け者の先生が突然「わかりません!」「聞こえません!」って大きな声を出して怒鳴りだしたのです。僕はアッと驚きました。そしてわかったのですね。ああ、この先生はその若い先生に反発している、反発していることが伝わるように大きな声で言う、そういう先生だったのだと。そういうことは一回しかなかったのですが、普段は怠け者の先生なので何でこういう先生が好きなのか僕は自分でもわからなかったのですが、このときに気付いたのです》(同上)
吉本さんは「アッと驚き」、この怠け者教師の神髄を直感(直観)したというんですね。隆明さんは佃島育ちだったと思います。「江戸」がまだ残っていた時代だったかもしれない。授業中に酔っぱらって教室に入る教師が生息していた。教師の質(良か悪か)を子どもというものは言葉を使わないで掴む。そのグリップの方法は確かだとぼくにも思われる節があります。

《肝心なのは生涯の問題か瞬間の問題か、ということがいいたいだけだ。そこをちゃんと区別しないといけない。何事であれ、熱心に教えれば子供が乗ってくるかもしれない。だがそれがどうしたというのだ。大事なことはそこにはない。生涯にかかわる問題をもっと大事にすることだ》(『家族のゆくえ』光文社、06年)
少し飛躍気味ですが、「肝心なのは生涯の問題か瞬間の問題か」。教師が子どもにむけて仕掛けるのは「生涯の問題」なんだというわけです。この機微はゆっくりと考えてみる必要がありそうです。(「吉本、教師を体験する」はつづく)