「医学校の同僚がある婦人のことを話してくれた。入念な検査の後、片方の腎臓がすっかり機能を失っていることを知らされた婦人は、そのショックで突然聴力を失い、何ヶ月もの間根気よく心理療法をづけて、やっと聞こえるようになったのだいう。同僚はこのような起きなくてもいい病気が起きる事例を問題視していた。診断を伝えるときのいつものやり方が、本来の病気に劣らず深刻な問題を引き起こしているのである。
私が会って話をするように頼まれた人たちは大半ががん患者だったが、ほかにもありとあらゆる重病の患者がいた。多発性硬化症、硬皮症、糖尿病、心臓病、パーキンソン病…。こうしたケースで目立った事実は、診断が出たとたんに病気が悪化したということである」(ノーマン・カズンズ『ヘッド・ファースト ―希望の生命学』春秋社刊。1992年)

カズンズ(1912~1990)はアメリカ屈指のジャーナリスト。加えて、多彩な平和運動を果敢につづけた人でもあった。(拙ブログでも以前に触れておきました)
自らの重病回復体験をもとに『500分の一の奇蹟』『私は自力で心臓病を治した』等を発表。晩年の十年間はUCLA医学校のスタッフとして、精神神経免疫学という未知の領域に突きすすみ、「人間の脳には病気を克服しやすいようなからだの状態をつくり出す働きがある」ことを検証しようと、精力的に働いた。
医者が診断を下したとたんに患者の症状がいちだんと悪化するのはなぜだろう。「もしかしたら症状にレッテルが貼られたとたんに、病気の攻撃に対抗しようとする彼らのからだの抵抗力がひどく減退してしまうのではないだろうか」 彼はそう推理した。

こんなことを思案していたとき、「ロサンゼルス・タイムズ」に載った小さな記事を見つけます。フットボールの試合中、何人かの観客が食中毒症状を訴えた。診断の結果、全員がスタンド下の自販機でソフトドリンクを買ったことがわかった。主宰者は観客の安全に配慮し、マイクで「自販機で飲み物を買った人が食中毒になった。自販機は使わないでください」と場内に知らせた。
その知らせが響きわたったとたん、スタジアムは吐き気をもよおす人や失神する人で 大混乱になった。(中略)五つの病院から救急車が出て、…入院が必要になった人も一〇〇人以上にのぼった。ところが、自販機はシロだった。それが判明したとたん、「病気は、不思議にも、はじまったときとまったく同じように突然消えてしまった」
患者たちは病院のベッドから下りて、家に帰っていった。カズンズはいう。
「決定的な働きをしたものは、病気が起きたときも、おさまったときも、『言葉』だった。言葉が心の力によって病気を助長する、あるいは回復を助長する方向に処理されたのである」だれかに対して、どんな言葉をつかうのか。医者でも教師でも、あるいは親でも、きっと忘れてはならない事柄ではないでしょうか。コミュニケーションというものが、どれほど安易に語られているか、現実のありさまは驚くべき事態にあるのではないか。
「君は末期のがんである、余命は三ヶ月だ」と「宣告」する権限を医者はどこから手に入れたか。

この島社会の医療問題にもたくさんの課題が指摘されています。現下の「新型肺炎」にしても失わなくてもよかったいのちが粗末に扱われている。症状を訴えて病院に行くと、医者は診察しようともしない。医者もそうだが、官僚や政治屋が医者以上に権威や権限を振るっている現状をなんと形容したらいいのか。病人を診察するのも重要ですが、余計な口や手を出しすぎる政治屋や官僚たちをまず、診察台にのせるべきじゃありませんか。マスクを半端じゃない高値でオークションに出品していた県議がいた、静岡だったか。もう病院じゃあつかえないね。県議に嫌疑だもの。

「生兵法は大怪我の基」だとはっきりと宣告すべし。ひょっとしてたいていの医者は「つける薬がない」「これ以上、手の尽くしようがありません」というかもしれない。やっぱりな。さて、どうするかだ?(いつも書きながら情けなくなるのはどうしたことだろう。医者に行かなきゃ。おっと、本日は休診日か。行かなくてよかった。月曜でも行かなかったろうね)
医者の見立てと易者の筮竹(ぜいちく)、どちらも陽気の「気(卦)い」次第(拙作)。つまりは、当たるも八卦、当たらぬも…。お医者の頭に雀が留まる 留まるはずだよ藪だもの(ドドイツ)