いまを生きるために

網野 おじいさんおばあさん、父親・母親が生きてきた世界を、自分たちは何も知らないんだということをいまの若い人に知っておいてもらう必要があると思うんです。だから夏休みのレポートは、前期に宮本常一の『忘れられた日本人』を読んでもらい、おじいさん、おばあさん、父親・母親たちから、自分たちが実際に経験してきた生活の話を聞いて、宮本常一さんみたいなレポートを書いてこい、と言うんです。いままでそんな話をしたことがなかったが、初めて母親と生活に即した話ができてとてもよかった、という感想を持った学生が何人かいましたよ。しかしわざわざ鹿児島まで、おばあさんの話を聞きにいったけれども、まったく言葉がわからなくて、なにも書けなかったという学生もいました。これほど違ってきているのですね。

 ともかく「いい」「悪い」の問題じゃなくて、知らないことを知らないまま、みんな知ってるつもりになられるのがいちばんこわいですね。

鶴見 高度成長の中で育った人たちは、映画を見たりCDを聴いたりすることがふつうになっているから、アメリカ、ヨーロッパと自然に連帯した気分があると思うんですが、アメリカは大変不景気になっているし、日本の外に出て行くと、いまの日本の暮らしはできない。いま日本の大学生は、アメリカに留学してもついていけないですよ。落第でしょう。入るのは簡単だけど、一年上がることは大変ですからね。

 つまり、気分だけは世界大だけれども、実は封鎖されてるんです。戦前、戦中になかった特別の鎖国状態にある。今の日本が未来に向かって開かれているかどうか、これも疑わしいです。日本の経済力が強くなって、しかも封鎖によって日本の文化がカプセルに入っている状態になっていますから、今の日本文化がインターナショナルになっているとは言いがたいと思いますね。そのことの自覚がないです。世界中の大学生がいまの日本の大学生と同じように勉強しないと思っている。それは幻想ですよ。

網野善彦

 幻想であることに気がついていないですよ。高度経済成長以後というのは、新しい特有の仕方での鎖国です。そのことの自覚がないのはこわいです。

網野 つい五十年前までの日本社会は現代からみるとすでに異文化であり、現にいまでも方言といわれる地方の言葉でしゃべったら日本人の間でも言葉が通じないんですからね。そういう認識を相互に持つような状態をつくれば、いまおっしゃったような、「鎖国」はうち破れるはずで、その認識を持ってもらわないと具合悪いと思いますね。(「歴史を読みなおす」網野善彦・鶴見俊輔『歴史の話』所収・朝日新聞社刊。)

(網野さんは歴史学者。04年2月27日に亡くなられました。76歳でした)

 宮本常一さんの『忘れられた日本人』(岩波文庫版)を読まれたことがありますか。そこに描かれているのはたしかに「日本人」だといえますが、けっして観念のなかでしか考えられない「日本人」ではありません。一人の男であり女、それも時代や社会に規定され、流され抵抗し、そして従容として生きて死んだ一人ひとりの男であり女です。無名で生まれ無名で歴史の中に埋もれるという「生き方」のすがすがしさがそこには満たされていると、ぼくには思われました。

 なんのために歴史を学ぶのか?

 《人間の不幸の大部分が天災地変でなく、あるいは何人かの悪い考え、また誤った考えから出ていることは、宗教家でなくてもこれを認めることができる。しかもその誤れる考えはもちろんのこと、いわゆる悪い考えというものでも、さらに今一つ根本に遡(さかのぼ)って見ると、あるいは境遇でありまた行き掛りであった。つまりこれを免れる方法が発見せられぬ間の考えなし、智慧なしまたは物知らずの結果であったことが、しずかに外に立って観察する者には、そう大した骨折りなしに、推論することができるのである。この原因の発見と理解から、ついで起るところの感情は、憎悪ではなくしておそらくは人を憐れむ心、世を憂える心であろうと思う。

 自分らは多くの日本の青年が、この大切なる中学教育の期間に、一度でもこのような寛大なる、利己的でない尊い感情を練習するの機会を得ずして学校を終え、突然として実施の職業生活に出立し、茫々たる浮き世の荒波に揉まれてしまう傾きあることを惜しむ者である。大は国全体のためまた世界のために、小は家庭郷党のために、これはまったく淋しいことであると思う》(柳田国男(「無学と社会悪」)

 この文章は1924年6月、栃木中学校での講演「歴史は何の為に学ぶ」をもとに編まれた「旅行と歴史」という一文にまとめられ、28年44に『青年と学問』(この本については拙ブログのどこかで触れています)という書名で出版されたものです。(現在は岩波文庫で読めます)

 ここで柳田さんは二十歳前の青年たちを前にして「歴史は何の為に学ぶ」とつよく問うているのです。多くの人(教師も生徒も)には「たんに治乱興亡の迹(あと)を知って、のちの誡(いましめ)とするという風に教えられた」あるいは上級学校の受験科目だから、ひたすら年代や事項を暗記することが「歴史を学ぶ」理由となっていたのではないか。歴史はたんなる教訓なんかじゃありませんね。どんなものにも意味があり、それをさかのぼって学ぼうとする姿勢こそが歴史を知る方法なんです。

 過去に学ぼうとしない世の風潮にたいして柳田さんは歴史を学ぶ理由をはっきりと示します。

 《それを自分はこう考えておればよいかと思う。我々がどうしても知らなければならぬ人間の生活、それを本当に理解して行く手段として、人が通ってきた途(みち)を元へ元へと辿(たど)って尋ねるために、この学問は我々に入用なのである。苦いにせよ甘いにせよ、こんな生活になってきたわけが何かあるはずだ。それを知る手段は歴史よりほかにない。つまり現在の日本の社会が、すべて歴史の産物であるゆえに、歴史は我々にとって学ばねばならぬ学科である》(同上)

 すべて「学問は歴史にきわまり候」といったのは荻生徂徠(おぎゅう・そらい)(1666-1728)でした。その意味するところは深くて広いですね。ある人を知るとは、その人がどのように生きてきたか(どんな考えで、どんなことをしてきたか)を知ることです。これは人でも集団(家、村、町、社会、国)でも同じことです。

 そして、歴史の学び方は多様です。いろいろな学び方をとおして自分流に歴史を知る、それが「かしこくなる」ということだと、わたしは経験してきました。ぼくたちは否応なしに歴史の中で生きています。あらたまって過去を学ぶというのではなく、日々の生活を誤りなく(あるいは大過なく)過ごすために「人間の生活」を自らのものにしてゆく手段・方法が歴史なのだとぼくは考えています。(人とはだれでも忘れられる存在だ)

投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。