なるほどわが邦目前の社会相は、かならずしも美しくまた晴れやかではない。人はみなたがいに争っている。欺(あざむ)きうべくんば欺かんとしてさえいる。この形勢をもって押進むならば末は谷底であることは疑いの余地がない。しかももはや打棄てては置けぬということと、在来の治療法では不十分であったこととを、よほど多数の者が認めるようになったのである。このうえは新らしい方法の発見、その次にはかならず救おうという決心とを必要とするのみである。この二つのものについては、人びとはまだ絶望はしておらぬ。ただ待遠しさの煩悶を見るばかりである。ゆえに自分は救われるであろうと信ずる。(『青年と学問』)

これは1925年5月に信州東筑郡教育会における講演記録です。今日ただ今の講演ではありませんこと、念のためにお断りしておきます。状況はそっくりだという意味は、時代はいつも同じ状況下にうごめいているということでしょう。いい人もいれば悪い人もいる。政治家の風上に置けない輩もいれば、もって鏡とすべきという政治家さんもいる。詐欺もいれば強盗もいる、それが世の中。いずれ人間のすることですから、チョボチョボですが、時代に生きている人間にはしなければならない稼業・家業・課業というものがあるんじゃないですか。持ち場で、現場で汗をかきましょうかというのが柳田さん。
ずいぶん長い講演で、多分一時間や二時間ではなかったように思われます。もっとも明治や大正の時代にはそれは当たり前で、ボクの記憶では柳田さんは八時間をこえる講演をしています。話す方も聞く方もたいへんな忍耐力だったし、それ以上に互いに学び合う姿勢がちがっていたんでしょうね。職場に行って、ご飯を食べて、夕方帰宅する時間になるまで「講演」するというのですから、半端じゃありませんでした。
「青年と学問」をふくむ柳田さんの作品が一本にまとめられて、現在『青年と学問』として岩波文庫に数えられています。ぜひとも読んでほしい一冊ですね。やがて時代は軍国主義に席巻されかかる前夜(まるで戦前)でした。柳田さんのような考え方は楽観主義ともいわれましたし、また戦時中には体制派に取りこまれたともいわれました。他人はなんとでも言うのです。それはともかく、声を大にして「公民教育」の重要性を訴えんとしている柳田国男さんは異常なほどの情熱を傾けていたと思われます。それはなぜだったか。
ここでいわれている「学問」とは、ひろくは「教育」という意味です。いったいなんのための教育・学問ですか?と問われて、

「学問なんか何のためにするかという質問は、じつはもと我々には不愉快なる軽蔑の言葉に聴(きこ)えた。俗物め、何を言うか、およそ人間の努力、人間の携わり得るほどの事業のなかで、これが最も高い種類のものなのだ。実利世用の有無などは問うところでないのだと、独りごとには言い切っておりながらも、実際は内心窃(ひそ)かに煩悶した人が多かったのである」
もちろん、柳田さんにとってみずからが生みの親たる「民俗学」(社会史)(文化史)を念頭においての啖呵であったことはまちがいないのですが、趣味に流れたり浮き世の憂さはらしがもっぱら教育や学問の意味だとされがちな時代にあって、彼はもっと現実的な視点でものごとをみていたということができます。
「今が今までぜんぜん政治生活の圏外に立って、祈祷祈願に由るのほか、よりよき支配を求めるの途を知らなかった人たちを、いよいよ選挙場へとことごとく連れ出して、自由な投票をさせようという時代にはいると、はじめて国民の盲動ということが非常に怖ろしいものになってくる。公民教育という語が今頃ようやく唱えられるのもおかしいが、説かなければわからぬ人だけに対しては、一日も早くこの邦この時代、この生活の現在と近い未来とを学び知らしめる必要がある。ここにおいてか諸君等の新らしい学問は、活きておおいに働かねばならぬのである」
信州の若い教師たちを前に、普通選挙法成立直後の「公民教育」の意義をおおいに説こうとしたのです。学問は世のため人のため、つまりは「経世済民」(けいせいさいみん=世の中を治め、人民の苦しみを救うこと。経国済民。)(広辞苑)のためなのだというのです。国家のためといって、結局は一握りの国家本位主義者の餌食になるようなことがあってはならぬ。おかしいことはおかしいと、自分の考えをはっきりと表現する(言い切る)力をつけることこそ教育の大事だといったのです。

この1925年には「治安維持法」も制定された。いわば人民に「アメとムチ」を与えたことになる。ぼくたちが経験している劣悪なる政情もまさに同日の談ではないですか。片手で握手を求めて、別の手で殴り倒すという乱暴極まりない政治がいよいよ末期の症状を呈しているのです。「碩学」が根を限りに青年たちに「選挙」の重要性を訴えたのは、どんなにいい制度が法律になっても、それを行使する権利や義務を放棄するようでは、権力の思うがままになるという経験からのやみがたい真情であったとぼくには思われます。いまどき「青年と学問」かよと笑われそうですが、笑わば笑え、マスクを買い占め、バカ高値で転売するこの島の現実をどう見る。付和雷同の行列列島は沈没するよ。いやもうしている。「妄動する国民」を載せて漂流する「日本劣島春景色」かよ。
「上が上なら下も下」といっていいるだけでいいのか。「俺が法律だ」とぬかす政治屋がこのクニを破壊に導きつつある状況を座視していていいのかと、ぼく如きがほざいてもわめいても致し方ないのは当然です。だから拱手傍観を決めるに越したことはないとばかりに安穏をむさぼろうじゃないかというのでもない。「説かなければわからぬ人だけに対しては、一日も早くこの邦この時代、この生活の現在と近い未来とを学び知らしめる必要がある」と柳田さんにならうほかなさそうです。五十を超えた柳田壮年の意気をこそぼくのものに、だ。(「青年も老年も学問」を)