配電盤教育の残したもの

 「育てる」という行為は「育つ」あるいは「育てられる」という感覚・機能ときりはなせない。たんに言葉の問題とみられそうですが、子どもを育てる母親が自分はもう育ちきったとみなしたら、その瞬間に彼女は子どもを「育てる」保育者から、「しつける」監督者に変わってしまう。教師が自分を「育てる」という感受性を失えば、子どもに対してひたすら「教える」、「与える」授与者になることうけあいです。「教える」と「育てる」はちがう。「育てる」があってはじめて「教える」がなりたつのではないか。「教える」の根底に「育てる」がなければ、どうしても「教育」は強制(無理強い)になるほかないものです。いやというほど、ぼくは長い間に経験してきました。

 それはまだ年端のいかない子どもに自分の考えや価値観を移しかえている・圧しつけているに過ぎないのです。親の考え方や教師の世間知(センス)を子どもや生徒の頭に植えつけることが「教育」となっている。そのような行為をして「育てる」とはいわない。頭が柔らかいうちに世間の常識を子どもに注入する、それが長い間、この国では「教育」の別名であったのは事実です。注入主義ですね。注入度合いを測るには「試験」は不可欠であり、試験の結果がランクづけられなければならないという屁理屈が成り立ったのです。成績の良し悪しを決める判定者が学校だという意味です。それ(成績のランク)を世間が待ち望んでいるのです。

「金屏風」が…

 その結果、どのような事態が子どもに、そして、社会に生じたか。

 家庭からも学校からも「育てる」が放置・放棄され、その代わりに台頭してきたのが「教える」「与える」「授ける」という強制・管理主義でした。どの学校段階をきりとっても、そこで行われているのは「教師が教え、生徒が聞く」であり、教師の話をどれだけ正確に記憶したかが問われるのです。小学校でも大学でも、その点では「教育の悪質」は少しも変わらない。教える=与える、受けいれる=覚えるだけ教育が主流となってきたのです。「受け」のいい子がもてはやされる。

 何事であれ「育てる」というのは深く相手(対象)にかかわらなければ不可能です。相手かまわずいっせいに言葉を投げつけるような乱暴な行為によってはなにものも育てることはできない。にもかかわらず、この国ではひたすら教え・与え続ける「教育」が展開されてきました。その理由や目的はなんだったのでしょうか。

 西欧なみの近代国家になるためには「教える」装置、詰めこみ機械である学校は必須のものだったのです。別のいい方をするなら、求められたのは国家のための学校教育であり、個人のためのものではなかったという意味です。ひとりの人間が成長し一人前になる、そのような教育は後回しにされ、忘れ去られた。なによりも国家本意、国家に発する学校教育が優先されたのです。

 もっとも典型的な学校教育のスタイルは日本初の大学として国家によって作られた東京大学のそれであったといえます。一八七七年に創設された東京大学では多くの授業は外国語で行われ、それを担当したのはお雇い外国人たちでした。時の総理大臣よりも高い給料を支払ってでも外国語による一斉授業で「新知識」「西洋の文物・文明」を受容させることが必要だった。「近代化」(という名における「西洋化」)をめざしていた国家における重要な装置として東京大学(後に改称して東京帝国大学となる)は機能させられたのです。いわば、東大は列島全体に「西洋化」を図るための宅急便ならぬ個急便となったわけです。

 大学教育にかぎらず、学校教育を国家が主導するのは「近代化」の後発・後進国家であった日本に固有のものでした。欧米のおおくの大学は私立であるのが一般的であった。(むろん、例外はあった)また、科学的な発明や発見の大半は大学外の労働現場においてもたらされたのです。

 近代化に遅れた国として西洋が何世紀もかけて蓄積してきた「文物・文明」を一日でもはやく仕入れることは、時の政府にとっては緊急かつ至上の命題であった。そのために採用されたのが一斉授業という方法だったのです。教師が話し学生はそれを記録する。教師の話を暗記するのが学生の勉強であり、収入(話された内容)と支出(記憶された内容)のバランス(均衡具合)を調べるのがテストでした。帳簿勘定の学問・教育といっていたほどです。

共通一次試験

 試験の結果、優秀な記憶力の持ち主で、教師に従順な学生だと判定された帝国大学の人材が欧米に長期の留学を命じられました。見事に欧米の学問を仕入れる(暗記する)ことができた段階で留学組は帰国し、以前のお雇い外国人に変わって大学の教壇に立ったのです。ますます学問(欧米の新知識)の受容と分配が大学の大切な役割となりました。その後、この帝大にみられる講義(授業)風景がそれ以下の学校のお手本となりました。ひとをじっくりと育てるのではなく、促成栽培で乱穫を期するのが習い性となったのです。「教える・教えられる」が学校教育の主流となった時代の始まりです。それ以降、留学の仕方も授業の方法も、試験偏重の風潮もわたしたちの社会の根づよい伝統となってきたのはご承知のとおりです。選別教育はかくして列島に蔓延しました。

 科学技術、科学文明、あるいは機械文明などという合言葉でもてはやされた二十世紀、そのような工業化を競った時代にはげしく求められたのが「教える」に特化した学校教育だった。工業化を推進した国家が必要としたのは「良質の労働者」を大量に産出する教育装置だったのです。制度化された学校は一手にその要求を引きうけることになりました。いわば、小学校から大学にいたるまでの学校は配電盤(switchboard)(知識・技術の分配装置)の役割を担わされたのでした。

 その反動で「育てる」教育は無惨にも放棄された。「教」をたのみ「育」をつぶすような教育が生みだしたのはどのような人間だったか。時間がかかることは経済的に割に合わないのは製品生産でも人材産出(開発)でもおなじでした。そこで求められたのは国家(教師)の要求に応じることができる生徒、すなわち従順で器用な人材であったのです。

 従順で器用な人材は判断力や考える能力の点ではじゅうぶんに育てられてこなかったので、多くの問題を抱えて学校を離れたことになります。人生のスタート段階で、親や教師にオモネルことを覚えた人間は、大事な場面では決して自分で考えられないし、決断できないと思う。知識というけど、それは言われるままに鵜呑みした「記号集」だから、それを分解し、ひもとこうとしなければ、生きた言葉に変えられないのです。

 教師が言ったこと、親が言いつけたことと別の次元にそれら(言われたこと)を変換する能力こそが才能じゃないでしょうか。そういう才能を育てるには「遊び心(playful)」がないとね。余裕といってもいい。あるいは揺さぶりをかける精神でもありますよ。センスに対する「ノン」ですね。

投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。