ハタから表札を…

  表  札

 自分の住むところには / 自分で表札を出すにかぎる。

 自分の寝泊まりする場所に

 他人がかけてくれる表札は / いつもろくなことはない。

 病院へ入院したら / 病室の名札に石垣りん様と / 様が付いた。

 旅館に泊まっても / 部屋の外には名前は出ないが / やがて焼き場の鑵(かま)はいると

 とじた扉の上に / 石垣りん殿と札が下がるだろう / そのとき私がこばめるか?

 様も / 殿も / 付いてはいけない、 / 自分の住む所には / 自分の手で表札をかけるに限る

 精神の在り場所も / ハタから表札をかけられてはならない

 石垣りん / それでよい。

  このように断固と言い切った詩人は2004年12月26日に亡くなられました。石垣りんさん、84歳。彼女が銀行に事務見習いとして就職したのは昭和9年(1934年)、14歳のときでした。初任給十八円、昼食代支給だったそうです。

 「私は好きなことをしたくて働くことをえらび、丸の内の銀行に入社しました。以来三十年余り、同じ場所に辛抱しておりますが、職業と生活は、年月がたつほど私を甘やかしてはくれなかったので、結局そこで学びとらされたのは社会と人間についていでした。戦争も、空襲も、労働組合も、です。

 終戦後、労働組合が結成され、職場の解放と共に、働く者の文化活動が非常に活溌になった一時期、衣食住も、娯楽もすべて乏しく、人々は自分の庭や空地に麦、カボチャを植えて空腹の足しにし、演劇も新聞も自分たちの手でこしらえはじめたころがありました。

 戦前、同人雑誌など出し、詩や文章は職場とは関係のない、ごく個人的なものと割り切っていた私は、自分と机を並べている人たちから詩を書け、と言われることに新鮮な驚きを覚えました。私に出来るただひとつのことで焼跡の建設に加わる喜びのようなものがありました。同時に、人に使われている、という意識が消え、これは私たちみんなの職場なのだ、と思うことの出来た、わずかに楽しい期間がそこにありました」(石垣りん「花よ、空を突け」)

 石垣さんは苦労して一家を支え、営々とあるいは孜々として詩作に励まれた。その詩の多くは、ぼくにはある種の決意というか断固たる姿勢・態度の表明のように思われ、心して読んできました。「表札」はいかがですか。どなただって、自分の表札に「〇×▲◆ 様」と「様」をつけないでしょう。いや知らないのはお前だけで、〇様や▽博士や◆弁護士などと、麗々しく添え書きしている人がたくさんいるんだよ。たしかにずいぶん昔はあったのをぼくも知っていますが、さすがに今日ではないでしょう。

 ある大学で総長だった人物が入学式や卒業式で「おめでとう、この一流大学に…」といった祝辞の記録を読んで驚天動地というほどではないが、なんという無恥者めと呟いたことを今でも覚えている。そのように詐称(自称)したのは一人だけではなかったから、しばしばのなさけない経験でした。一流だ、名門だなどということ自体が当人の人品をあらわしているのですが、一向に気づかないから、本人は平気なんですね。「祝辞」さんはそんなに品のある風にはまず見えませんでした。それにしても、ランク付けも廃りませんね。みなさん(ではないが)、胸に表札(肩書付き)をぶら下げた気分になって街中を歩いていらっしゃる。ハダカかも困りますけど、表札や勲章・徽章はどんなものですか。制服だっていやでしたから、ぼくに「表札」は無用でしたね。一流ではなく末流、名門ではなく無名門、あえて言うならそれだった。

議員バッジ

 成績一番になりたい、業績は会社のナンバーワンだ、世界の一位に命を賭けて、社長になりたい、大臣になりたい、もっと上になりたいという目標はまちがってはいないし、それをぼくはとやかくいうつもりはありません。どうぞ、勝手におやりください。ただし他者に迷惑をかけないで、というばかりです。「なりたい病」は感染し、蔓延する性質をもっています。地位や肩書ばかりが目標になると、どうでしょう。苦節何十年、ついに社長になれた、そして会社はつぶれた。こんな事例がたくさんあるんじゃないですか。「目標千何百何十店、▽▼薬局」という薬屋さんがありましたが、近年はあまり見かけません。目標達成はどうなったか。「イキナリステキ」も素敵じゃなくなりました。どこで躓いたか。 

独鈷(どっこ)

 「自分の住む所には 自分の手で表札をかけるに限る」というのは精神の自立宣言のようですね。自分の足で立ち、自分の足で歩く。もっといえば、ぼくは自分のお尻の上に座ることにしています。小さいし、固いんで坐りごこちはとても悪い。まさか、お尻を貸しててくださいとは言えないからね。だから他人の尻はいうまでもない、他人の肩にのっかってなんて、というのはご免被るのを心情にしています。「ボロは着てても ココロの錦」(「いっぽんどっこ」の唄から)「どっこ=独鈷」密教の法具)と水前寺清子さんは謳われました。「行くぜこの道 どこまでも」と今でも歩かれているのでしょうか。遥かなる道を自足で歩くのもまた哲学です。(たまには休憩したい張三)