United by Emotion

 またぞろあちこちでOne Teamっていってるでしょ。United by Emotion ともいったようです。これを耳にしてたまげました。どういう意味なんだか。言いたいことはわからない。分かりそうで分からない。懲りない面々だなと思う。「コリル」というのがどんなことかわからないんだね。「懲りる」の万世一系はないものか。ぼくは万世一系の「ワンチーム」は忌み嫌うね。暴力の万世一系ってのもある、いまもつづいてるでしょう。ぼくはそのチームの一員なのか。「お前なんか、入れないよ」といわれるだろう。それにかかわりなく「金輪際、おれはつるまないんだ」除け者になるのがいつでも夢だったから。「おい、仲間になれよ」といわれると、ぼくは逃げ出していたね。

 日本人ならだれでも「オリンピック」大歓迎だと勝手に思いこむやつがいるから世話はないね。日本人なら、旗を振るのは当たり前だ、とくる。それは誤解ですね。日本人といっても五万といますから、五輪が好きもいれば嫌いもいる。「何、嫌いだと。そんなの日本人じゃねえよ」と思い込んだら命懸けだけど、思いが醒めるのも早いんですね。ぼくは嫌いだからといって、妨害はしない。

大会後、ここでぼくらは体育祭に参加させられた(1964/10)

 ぼくの好きな都々逸にこんなのがあります。ちと、直截(direct)すぎますけれど。島国に生まれたから、こうなるのは当然と勘違い・勘繰りをしないでほしい、というだけです。

 裸で寝たとて惚れたじゃないよ お前のしらみがうつるから

 United by Emotion を google 翻訳に訊ねると「感情によって結合」とあった。別に google 翻訳でなくてもそんなところ。これが五輪のスローガン(モットー)だというのです。ご臨終だね。やがて、この旗が列島狭しとはためかされるそうです。「感情によって結合」だからこそ、御免こうむりたいのだ。歌え踊れと旗を振るのは一向にかまわないんですけれど、どこかでやってほしいという「感情」をぼくはいだいている。「みんな結合」「みんな一つに」「一致団結」「一糸乱れず」とかならず吠えたくなるのもどうかと思います。「乱れる」やつは許さない、血祭りにあげてやれと迫りくる。明治以降の戦争ではさまざまな悍(おぞ)ましくも勇ましい標語(旗)が現れました。

 挙国一致、尽忠報国、堅忍不抜、八紘一宇、一億抜刀、一億玉砕、鬼畜米英、神州不滅(ぼくはこれが好きとは言いませんが、「神州」という命名に思い当たります)たしか吉川英治氏の小説のタイトルは『神州天馬侠』だったと記憶しています。内容はすっかり忘却の彼方へ。「信州」でも「真宗」でもなく、神の州(クニ)とは。(今どきの交通標語はこれら(戦時標語)とそっくりですね。「交通戦争」だからですか。例を挙げたいのですが、やめておきます。「注意一秒、怪我一生」)(???)

 あげれば際限がないほど無数にあるといえます。ここでは恥ずかしくて掲げられないのもあります。文部省を通じて児童生徒から募集したのも。「ほしがりません勝つまでは」はたしか小学生の女児の作で当選したが、後で親が応募したことが判明、何というのもありました。言葉が旗になるのではなく、とにかく旗にする一大勢力が働いたんですね。これは「ハタメイワク」だ。

 「日本人なら、ぜいたくは出来ない筈だ!」という標語(?)ですか。「「生めよ殖やせよ國のため」(「赤子」という語も使われました)というのも。「ただいま、戦争中ですよ」と言い返したいね。戦力・戦士になるにはまだ二十年先ということは、それくらい戦争を続けるってことですか、本気かいな。「少国民」というのがもてはやされました。「常在戦場」と選挙を控えた議員さんや候補者たちはいつもいいます。「戦い」好みなんですね。抗戦、もとい好戦派かな。

 「頑張れ!敵も必死だ」と。たしかに勝負だからそういいたいが、すでにアメリカは島国と戦争する前(あるいは直後)に「占領政策(計画)」を立てていました。勝ち負け以前の話でした。その一環で『菊と刀』(R.Benedict)は書かれた(発刊は1946年)。「恥の文化」という日本及び日本人理解。いわばアメリカ版「日本人論」です。一読を薦めますね。

 勇ましすぎて、空回りしてるのがいっぱいあります。「撃つんだ 勝つんだ 貯めるんだ」「勝つまで要るだけ 貯めるぞ貯蓄」これはどこの銀行の標語(?)、あっ日本(帝国)銀行だったか。「貯蓄は 兵器だ 弾丸だ」といって、カネがタマだった。そういっておいて、カネを巻き上げる算段でした。敗戦時は紙くずになっていました。

 意味不明なのが「「世界の敵だ 白旗たてても 許すな米英を」です。(戦時)国際法を無視していますね。この旗の下、「捕虜になっても、敵を憎め」ということでしょうか(怨念の勧め)。きりがないので最後にします。「屠(ほうむ)れ!米英我等の敵だ」と。そういった相手にしがみついてきた戦後75年。「戦後レジーム」を総決算するためと出てきたのが「現大将」じゃなかったんですか。それは「占領体制」の払しょく、新たな「被占領体制」の構築だったようです。まことに信用できないというのです。

 まるで「五輪」は戦争なんでしょうか。ある人たちにとっては、そうなんでしょう。腹の中では、ここに掲げた数多の「スローガン」が響き渡っているにちがいない。「鬼畜米英」とかね。(日本人なら、そうするんだ)ちょっとぼくはしばしでもずっとでも「日本人」をパスしたいですね。 「感情で団結・結合」だというのです。頭を冷やせ、寝言は寝てからといいたいですね。(「頭寒足熱」も標語です。医者か薬屋か作成者は)運動というか、スポーツは好きだし、自分でもいくつかの球技を楽しみました。だから、五輪は止してくださいというのではありません。どうぞおやりください。でもだれかれかまわずに旗振りに集え応援しろというのは御免こうむります。 

 現下のウィルス問題にかかわらせて、あるいは五輪開催はどうなんだという声が内外に生じてきました。要路の人たちには「口が裂けても言えない」ことがあるのでしょう。「集会禁止」は五輪中止を連想させますからね。ぼくは静かに猫と遊ぶか。桜開花も間もなくです。昔なじみの新宿御苑にはいかない。近間の人の来ないところで。世間ではほとんど知らない・知られていない「枝垂れ」(樹齢350年)が早くこいこいと、手招きをしているみたいです。ぼくは「サクラ」で「税金」は使わない。

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dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。