笑いのちから(承前)

 おなじカズンズの文章の紹介。前回にあつかった病が癒え、無事に退院した後のエピソードです。そこに書かれていることはいまでも、わたしたちにとってきわめて示唆に富むものだと思われます。

 「私は自宅に医学生たちのグループを呼んで話をする夕べの会をもつことにした。(中略)」

 「この夕べの会で意見を交わした医学生のなかには、病気が起きるときにも、あるいは治療戦略が成功するときにも、心理学的因子がなんらかの役割を果たしているという考えについて懐疑的な態度を示す者もいた。彼らは、たとえば精密検査である細菌が発見されたとすると、対処方法は簡単明瞭、しかるべき抗生物質をしかるべく処方すればいい、と信じきっているような傾向にあったのだ。彼らはきっかりと正しい答が与えられるように仕組まれた、テクノロジーという新世界の住人だった。テクノロジーは互いにぴったりかみ合うような精密な数字をどっさりと吐き出してくる。解剖学や生理学や生化学はすみずみまでいき届いたきちょうめんな解説を提供し、あらゆるものが名前をもち、あらゆるものに順序がある」(N・カズンズ『ヘッドファースト 希望の生命学』春秋社刊、1992年)  

 彼自身が罹患した重篤な病気とその回復体験にもとづき、医療や医学の領域に多大な関心をもつようになります。晩年のおよそ十年はカリフォルニア州立大学ロサンジェルス校の医学校から求められて、そのスタッフ(教授陣)の一員に加わり貴重な貢献を果たしました。ここに引用するその著書は、医療や医学に深く関わる、彼の実際経験に裏打ちされた報告書でもあります。

「いくらかの学生は、患者と医師との協力関係や医師のコミュニケーション技術にかんする議論、あるいは医学にまつわる倫理や哲学、あるいは医学史といった項目を「ソフト」とみなし、医学教育の基本をなすものとは考えていなかった。それにたいして物理学、生化学、薬理学、解剖学などの科目には、より好意的な形容詞である「ハード」を与えていた」

 「そう呼びわける理由はわからないでもない。「ソフト」の科目には正しい答というものがないのである。成績を気にする学生にとっては、答案用紙に書いた自分の解答が先生のおめがねにかなうかどうかに確信がもてない科目なのだ。しかし「ハード」な科目なら、正しい数字や事実が必ず予想どおりの成績をもたらしてくれる。その結果、学生たちの間には、「ソフト」から遠ざかり「ハード」にかたよるという風潮が生まれていたのである」(同書)

 医学教育・医療現場における「ソフト」の重要性をカズンズが強調したのは七〇年代末から八〇年代初頭にかけてでした。その後、アメリカの多くの大学における医学教育では、その影響もあって「教養」課程が重要視されていきました。当時、医学教育・医療現場で生じていたのは、明確な解答が見つからない、あやしい問題(ソフト)は避けられ、だれにも明らかな解答が用意されている事柄(ハード)だけに多大な関心が払われるという傾向でした。それは科学や技術に無条件に重い価値をおく、二〇世紀という時代や社会の多方面に見いだされる風潮でもあったといえるでしょう。

 医学教育の面でも遅れていると思われる島国の状況はどうなっているでしょうか。この数年、医大の入試にまつわるいくつもの問題点が指摘されていますが、いっかな改善される気配がなさそうです。入試判定における女性差別はとくにひどい。あからさまな不公正を文科省は看過している。文科省の幹部が息子の入試で不正を働いたかという疑惑も消えてしまったようです。すこし医療教育の現場に関りを持ったような経験もありますから、ぼくには内情が分かるように思われますが、放置はよろしくありませんね。

 「私はそうした医学生たちの傾向を困ったものだと思った。なぜなら医学校を出た彼らが働くのは、不運にも、不確かで変わりやすいあいまいな答があらゆる曲がり角で待ち伏せしている世界であり、ほとんどの方程式が独特の変数をもっている世界だからである。いかにも病気は分類できる。しかし、ほとんどの場合、その病気をかかえる患者のほうは分類することができない。その上、外の世界では、医学にかんする基礎的事実の驚くほど多くの部分が、新しい発見や新しい説におびやかされているのである。それにたいして、どんなときでも変わらないのが患者を励まし、元気づけることのできる医師の必要性である。つまり医学校を卒業したとたん、「ハード」とみなされていたものが 脆弱で不完全なものになってしまい。それまで「ソフト」の地位に甘んじてきたものが永続性のある本質的なものに変わるのである」(同書)

 彼が指摘する問題はただ一点、医師と患者はたがいに適切な協力関係を結ばなければ、治療行為は成功しないというのです。さらにいえば、患者の話(訴え)をてっていしてきけるだけの姿勢をもつことができるかどうか、個々の医師はいつでも試されているということです。患者との間に良好な関係を成り立たせるためには、医師に何が求められるか。カズンズは、もっとも極端だと思われる事例をいくつも掲げるのですが、それはけっして例外というわけにはいかないものだ、ともいうのです。その二、三を紹介します。

 事例① ある婦人が一連の診断用の検査を受けた。医師は、まだ検査の結果を見ていないのだがといいながら、「まず、がんにまちがいありませんよ」といった。婦人は、そのような破滅的な診断を自分の勝手な思いこみで口にするなど非科学的もはなはだしいし、医者のすることとは思えないと憤慨している(検査結果からは悲観的な事実はまったく発見されなかった)。

  事例② 自己免疫疾患が進行した五歳の女児の両親が、診断した医師から、「早いとこ、お棺に敷く繻子(しゅす=サテン)、絹の色でも選んでおいたほうがいいんじゃないの」といわれた。父親は、そのいい方のあまりの無神経さにショックを受け、医師の態度と自分たちが黒人であることとの間に、なにか関係があるのではないかと感じている。

 事例③ ある婦人が乳がんのバイオプシー(生検)の結果を聞くために待合室で二時間も待たされ、やっと診察室にとおされると、医師から悪い結果が出たと知らされた。ところが帰りがけに看護婦から呼び止められ、記録にまちがいがあって彼女のバイオプシーは結局シロだったと告げられた。彼女は医師と話をさせてほしいと頼んだが、医師の予定がたてこんでいるから会うわけにはいかないという返事だった。

 これは医療や医師の問題なのではなく、人間の、人間に対する姿勢や態度(これをぼくは思想・哲学だと考えている)そのものの問題だというほかないでしょう。この医師たちには何が欠けているのか。眼前にいるのが同じ人間であるという、あたりまえの感覚が欠けているのはまちがいありません。致命的です。医療の場にあって、生きた人間がいないという驚愕すべき錯覚が蔓延しているのでしょうか。

 この一か月、劣島では新型肺炎をめぐるさまざまな問題が噴出しています。報道内容や方法に問題があるのを差し引いても、人命尊重第一をとなえる政治家や官僚のそれとは相反する姿勢(口先だけ、大将が典型)には腰をぬかすばかり、というより、もうやつらに任せる(依存する)のは止そうという気分に襲われるほかありません。不誠実であり、「人命を尊重」の姿勢をなめ切っているのです。クズ。

 「医師を教師」に、「医学教育を教師教育に」置き換えたら、どうなるか。基本問題は両者に共通して克服される必要があるとぼくは考えています。患者や生徒は病院や学校が生み出す属性(呼称)であり、それは一人ひとりの人間であるという受け止め方を強度に困難なものにしているのではないでしょうか。患者は病院で作られ、劣等者は学校で生み出されるというのは嘘かしら。個人ではなく、「病人」であり、「生徒」であるとされる、その内部には一人の人間が厳然として存在しているという事実に敬意を示すことができないとは。

 「わたしはもう一つのことをも学んだ。それは、たとえ、前途がまったく絶望的と思われる時でも、人間の身心の再生能力を決して過小評価してはならぬということだった。生命力というものは地球上でもっとも理解されていない力かも知れない。ウィリアム・ジェームズは、人類はともすれば、自分で設けた枠の中に閉じこもって生き過ぎるといった。人間の精神と肉体の双方に、生まれながらに完全性と再生を求めてつき進む力が備わっている。われわれがその自然の力にもっと十分の敬意を払うようになったら、その枠がうんと拡がっていく可能性がある。この自然の力を大切に守り育てることこそ、人間の自由をもっともみごとに発揮する道かも知れない」(カズンズ)

 カズンズからはかりしれないほど大切な事柄を学びました。彼の人間としての高潔さややさしさはもちろんですが、生きることの危うさを根底で支える思想というか哲学をです。彼が亡くなって、すでに三十年が経過しました。文学は医学に通じ、医学は哲学に支えられているということを身をもって教えてもらいました。彼を利用するというのはまずい表現ですが、いろいろな扱われかたをこの三十年してきました。まずは、彼の著書を一冊、精読か通読でもしてみるのがいいですね。(広島の平和公園にカズンズの記念碑があります)(「医は仁術」とはいつの時代の話か)

投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。