ぼくは真宗派はではない。わが家にも宗派はなさそうです。だがお墓だけは京都にあります。菩提寺というのか、菩提所というものがあるんですね。嵯峨は広沢の池そばのH寺(真言宗・空海さん一統)で、これは親父が亡くなったときにおふくろが案配して墓所を購入したからで、この寺の門徒(?)ではありません。「会員」かな。今は亡き両親が仏としておさまっています。この寺は古くて、十世紀末の創建とされる。この寺よりも少し東南方面の御室にある仁和寺派の一員です。仁和寺は吉田兼好さんにも親しいお寺でした。ぼくの通った学校の区域内にあったのでよく境内や裏山に遊んだものです。ぼくは学校よりもよほど野外好きで、暇に任せて近隣の山川を逍遥(だって)したのをいまにして想いだしています。

ぼくは数年に一度墓参りに訪れる以外は寺に足を運びません。先代の住職はぼくたちの中学校の国語教師でした。二人の姉の担任でもありました。現住職はぼくの弟と同期らしく、麻雀の卓を囲んだそうです。何かあるとスーパーカブにヘルメットといういでたちでお経をあげに来られます。ぼくは「信心」というものをお寺さんにほとんど感じたことがないですね。住職のせいではない。
ぼくはどういう背景があるのか、親鸞さんにはわりと早くから親しむというか、耳慣れていました。親戚の多くが門徒で、お葬式にはかならず親鸞さんの「遺言」(御文章)を聞かされたりしたからです。でも坊さんが語る親鸞の「お経」(仏説阿弥陀経)や「ことば」をありがたいと聞いたことも感じたこともない。分かって唱えてるんだろうか、といつも不信の念に満たされていました。
第一、ぼくは寺が嫌いだ。島国に存在するほとんどの寺が「葬式」だけを生業にしているからです。その俗業(葬式仏教と呼ばれる)を離れて、ひたすら回向や礼拝に勤しんでいる坊さんたちもいるのでしょうが、なかなか出会うのはむずかしいようです。ちなみにおふくろの実家は能登にあり、一向宗派でしたが、日蓮さんの一派も元気でした。だから、これも「習わぬ経」を読むではありませんけれど、日蓮には親しんでいました。生意気に『立正安国論』なども読んでいましたよ。信者の集まりはいかにも騒々しいですね。何派にせよ、ぼくは「いかれる」のはいやでした。

ここにだれでもが手にする『歎異抄』をだしたのはなにか深いわけがあってのことではありません。暇にまかせて「読み書きした」ときの親鸞に関するメモが出てきたので、少しはほこりを払って手を合わせようじゃないかという程度の「仏心」(邪心)を起こしたまでです。面倒なのでぼくはほとんど読んではいませんが、『歎異抄』の解説・読解の類は無数といっていいほど存在し、その気にさえなれば今でも読むことができそうです。明治以降だけでもちょっとした図書館ができるのじゃないかと思うほどに多くの人が書き、それを上回る人によって読み継がれてきました。その理由はなにか、ぼくには答えられませんが、まあこの列島の親鸞好きたちはまるで親鸞の弟子であるかのごとくに、唯円坊に自分を重ねて親鸞の祖述を自己流に実践してみようと(読み書き)したのかもしれません。
現にぼくの手元にも十冊ばかり「歎異抄」の解釈本があります。探せばもっとありそうです。今はその中の数冊をいじりながら、「悪人」「善人」「往生」「阿弥陀」などなどのカギになるようなことばを手がかりにして親鸞入門のとば口に立とうという心算なんです。「悪人」とはだれか。「(決まってるじゃん)それはお前だ」という声がしきりにします。「悪人である自分」が「往生とぐ」というのですから、はて、いかにしてと、と問わざるを得ないわけです。親鸞いうところの「悪人」は半端じゃないようですね。生きている人間(衆生)はことごとく「悪人」だというのですから。
「善人なをもて往生とぐ、いはんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや。この条一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。」
良寛さんの次は親鸞さんです。いくら「自撮り」「地堀」とはいえ、無謀も無謀、まるで犯罪に等しいぞ。親鸞というお方は「上人」ではなく「聖人」でした。(いずれも「しょうにん」と読みます)彼の師にあたる法然は「上人」と称されているのに、親鸞に対しては「聖」なる人とされたのはどうしてか。彼は自らをして「愚禿親鸞」とまで称していました。それは謙遜などではなく、心底からおのれは「愚」であるという確信をいだいていたにちがいない。先に触れた良寛さんの号は「大愚」でした。気取りや酔狂ではなく、真実、おのれは大バカ者であるという自信があってのことだったと思います。賢と愚、どっちを取る。若い時は「賢」さ。でも今じゃ「愚」っとくるね。ぼくは偏愚だと自認しています。

つまらない理屈はともかく、ぼくはまるで気力も体力もなく、もっとも肝心の「知力」「地力」もなくて、南北両アルプスに聳え立つもろもろの高峰を普段着で登攀しようなどという無謀を犯そうとしている、浅はかな所業を仕出かそうとしている、その自覚ははっきりとあります。きっと登り切れない、かならず途中で遭難する、あるいは、悪くすれば下山さえおぼつかないという悲惨な結果を予感しないわけではないんです。「しかれども、自力のこころひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり」という、この聖人の言葉(人を誑かすんだね)にすがりながら、煽てられながらの暗中模索であり、嚢中無銭の奇行をはたそうと、狂気の沙汰に及ぼうとしているのです。止めるのはいつだ、今でしょ。(「煩悩具足」のわれ)