噺 雑談などについて

 どこだったかの駄文で「雑談」は「ざつだん」ではなく「ぞうだん」であると述べ、ぼくが書く・話すのはまさしく「ぞうだん」ですということをいいました。かなり前に読んでいた佐竹昭宏さんの著書を想いだしました。以下に、氏の記述の概略を掲げておきます。(正確な引用ではないこと、お断りしておきます)

《「はなし」ということばが文献の上に現れはじめる時代は意外に新しく、室町時代の末頃からであるが、『天正十七年本節用習』に、「咄 雑談」という説明がついている通り、用法はかなり後までこの意味を失わない。「はなし」とは、いずれも肩のこらない雑談であった。武辺ばなし、手柄ばなし、化物ばなし、諸国ばなし、お伽ばなし、などなど。》

《「はなし」の原義が、肩のこらない雑談、くつろいだおしゃべりであった以上、今日のような意味での「大事なはなし」などというものは本来ありえなかった。「はなし」は大事にあずからない。その代わり、おもしろく、珍しくなければならなかった。 はなしの衆。御はなしの衆→秀吉の寵臣曾呂利新左衛門など》

《「はなし」は耳あたらしく新鮮であることをもって生命とした。江戸時代の前期、すでに「はなし」に対して「噺」という日本製の漢字が発明されていた事実こそ、新鮮であることを「はなし」の必要条件と認めていた時代の意識を物語るものであろう。その頃、まだ漢字「話」はもっぱらカタルとのみ読まれていて、ハナスとは読まれていない。》

《現代では「雑談」の二字を何のためらいもなく、ザツダンと読む。古くはこれをザウタンと読んだ。》

 ザウタン→ゾウタン→ゾウダン→ザツダン(明治になってから?) 冗談→雑談 話→放し 口から出まかせの「咄」(佐竹昭宏『古語雑談』平凡社ライブラリー版、2008年)

 「はなし」は大事にあずからない(与らない・関与しない・関わらない)というのはいいですね。また「はなす」は「カタル」(語る・騙る)であった。今日たくさんの「騙り人」が往来を所せましと右往左往しています。くれぐれも注意を。(「語る」と同語源。もっともらしく、巧みに話しかけるところから、騙(だま)す、詐称する)(デジタル大辞泉)

 それにしても「はなし」とは肩のこらない、くつろいだ(寛いだ)おしゃべりだというのはうれしいし、なんだか肩の力がスッと抜けていきそうですな。今でもそうあってほしいとぼくはいつも「はなし」てきました。それを「あいつは「冗談」しか言わないと非難されますが、たかが「ぞうだん」でしょ。「じょうだん」が通じないといつもイライラしていましたね。へんに「マジ」は困りものです。「寛」は「寛大」「寛恕」「寛容」と心の広い様子をしめしています。「寛田」は「ひろた」と読む。極めつけは「寛仁大度」です。「間寛平」なんてのもあります。

 また「話」は「はなし」、つまりは「いい放し:放題」か、口から出まかせだから「咄」とはいいじゃんよ。「とっさ」は「咄嗟」です。瞬間に口をついて出るという意味で、「とつ」は舌打ちの音だとされます。「嗟」もまた舌打ちです。「嗟嘆」「怨嗟」は嘆いたり、恨んだりの謂い。つまりは「舌打ち」なんだ。「チッ」とか「チエッ」とか「ええーっ」とか。「小咄」は「こばなし」。「こばなしもどき」を一つ。「一生懸命に駆けてはみたが どうも馬には敵わねえ」

 さらには「はなし」は新しくなければつまらぬからと「噺」になる。口がそういうことなら耳もまた。「新聞」ですね、それが三日もすぎれば「旧聞」となる。現下の諸「新聞」は「醜聞」だな。「毎日醜聞」も「朝日醜聞」「読売醜聞」に「産経醜聞」もありまさあ。ぼくはもっぱら旧聞派のようです。つまりは時代遅れ、包み紙にしか役立たず。ぼくの存在自体が「旧聞に属す」ですな。

 こんな調子で「騙れば」きりがなくなるのが、ぼくの悪癖です。でも、すべて「騙り下ろし」ですよ。いい加減に切り上げますが、まあ、「かたる」の内容がくつろいだ雑談(ざつだん)であるのが一番だと、学校時代から痛感していました。まじめに肩ひじ張った「騙り」なんか、誰が聞きますかいな。「カタルに落ちた」は「腸カタル」ではありません。「雑談」上等・結構じゃないか。結構毛だらけ猫灰だらけ、です。げに、まじめはこわいという「はなし」。

 「大事な」とか「重要な」という形容詞がつく「話」は言葉(形容)が矛盾しているというか、大事な「でまかせ」なんかあるわけないでしょと言いたくなる。ぼくが落語にいれあげたのもおもしろければこそでした。「はなし」は「くつろげる」のがなによりだから。寄席に行ってノートをとる無粋な人間はいないでしょうよ。「廓話」など絶対に学校ではあつかわない。あつかってみなさいよ。文科省はじめ各地の教委の「マジ連中」はどんな顔をするか。狂喜乱舞するか、ね。「こんなのがっこじゃおせえねえ」といつも志ん生さんは「咄」ていました。(彼の真意は、こんなばかばかしいことを学校などで教えられてたまるか。「かたり」の訓練(経験)、年期の質がちがうよ、カネがかかってんだ、だったろう)無念、ぼくは志ん生にあらず。「おまえは畳の上では死ねない、きっとジョーダンの下敷きになって死ぬるよ」とやまのかみ。

 本日は「ヴァレンタインデー」とか。これのいわれはいろいろとありますが、要は「バレン」と「タイン」の二人の情話・恋物語が源でした。イタリアだったか。それがチョコと結びつくとは猪口才な話。みんな商売っ気がらみです。「月に群雲 花には嵐 思うお方は女房持ち」というのは杏樹さんですが。「ちょっとじゃまなやつ」がいるから、世の秩序が保たれてもいます。(他人の「女房」を横取りするというのは稀ですね。それだけ男は心棒が足りないという「はなし」ですか)人類は歴史始まって以来「惚れた 腫れた」で暮らしてきました。

 昔のギリシャはアテネに「アリス」と「テレス」の二人がいました。相思相愛だったが、ついには添い遂げられずに果てたといいます。ぼくが学生時代に新宿大久保に「ありすとてれす」という茶店がありました。某大学の学生が、長い間プラトン時代の哲学者アリストテレスは「ありす(谷村君?)」と「てれす」だと思いこんでいたそうです。実話です。ぼくは恩師とは言わないけれど、親しくしていただいた担当教師(哲学専門)から聞きました。

 東海林太郎の名唱に『旅笠道中』(藤田まさと曲・大村能章詞)があり、ぼくは惚れぼれしながら口ずさみました。その三番。「亭主もつなら堅気をおもち とかくやくざは 苦労の種よ」これに関しても言いたいこと、つまり「騙りたい」ことは山のようにありますが、横でやまのかみが険しい顔で立っていますので、このあたりで。「夜が冷たい 心は寒い」自然と口をついてくる。怨嗟か咄嗟か(?)

 これも志ん生さんの教えてくれた狂歌?かな。「夫婦は一世 親子は二世 主従は三世で 間男は四世」。お後がよろしいようで。(「じょうだん」からコマ)

 

投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。

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