ギリシャの哲学者だったプラトン(BC427-BC347)が書いた対話編のなかに『メノン』と題された一編があり、そのはじめの部分に奇妙な話がでています。それを材料に「ものを学ぶ」というのはどのようなことかを考えたい。メノンは貴族階級に属しており、ソクラテス(BC470-BC399)の友人。彼の家にはたくさんの「召使い」がいた。そのうちの一人(10歳くらい)を呼び、ソクラテスは次のような問題を出した。ギリシャ語はできるが、一度も学校にいったことのない子どもだった。わざとそんな子どもを選んだのです。「一辺の長さが2プウス(センチ)の正方形があるとしよう。その2倍の面積をもつ正方形はどのようにして作ることができるか」
その子はいとも簡単に「それはこうだ」と即答した。しかし、彼の答えはまちがっていた。考え直してふたたび答えたが、それもまちがいだと指摘されました。その結果、彼は途方に暮れてしまったのです。ソクラテスはまったく「教えないで」「質問する」ばかりでした。ひたすら子どもはその問に答えるよう求められ、ついに「どうにも答えられない」というところに追いつめられたのです。はじめは知っていたつもりだったが、問いつめられて、わけがわからなくなったのです。
今度は紀元前の古い人ではなく、現代の音楽家の話を紹介しましょう。カナダ生まれのピアニストの経験談です。「若者はいかにして音楽に対する個性的なアプローチを身につけることができるか、それは教えられるものなのか」と質問されて、ピアニストは答えました。
《わかりません。本当にわからない。…自分にできるのはただ、誰かにテープ係になってもらって学生の演奏を録音し、それを聴き直させて、こういうのです。「オーケー、満足かい?自分の演奏の速度、全体の感じやなんかはうまくいったと思う?」…でも本当にためになるものというのは、自分自身を見つめることからのみ得られるのだろうと思います。ですから教師にできる最良のことは、それをそっとしておいてやることでしょう。ただいくつかの質問を投げかけて、自分の演奏には疑問の余地があるのだということ、そしてその解答は自分で見つけねばならないということを自覚させるのです》《教師にできるのは質問することなのです。…教師が自分のものと言える唯一の役割はまさにこれなのです。教える立場というのはそれ以上のものではありません》(グレン・グールド)(1932-82)

(ぼくは心底、グールドに惹きつけられたし、今でもそうです。倦(う)まず弛(たゆ)まず半世紀に及んで聴き続けています。彼の演奏は類例を見ない独自のものでした。バッハがこんな風に弾かれるんだという驚愕、あるいは戦慄を多くの音楽関係者や愛好家が経験したはずです。ぼくは二十歳過ぎたころ、彼のいくつかのバッハ演奏を聴いて素人なりに驚かされた。平均律やパルティータ、あるいはイギリス組曲、フランス組曲などなど、次々に発売されるレコードを心待ちにして聴きしびれたものでした。レコード一枚が2000円の時代です。いわゆる「クラシック」にほとんど関心を持っていなかったぼくは、グールドに巡り合って以来、他の何よりも音学好きになったといえます。ここは演奏論や音楽論を述べる場ではないので、駄弁はやめますが、彼が死して約四十年。彼ほどに音楽を面白く楽しく、そして興味をもたせて愛好家をひきつけた音楽家は出なかったとぼくは言ってみたい。その彼の教育論(?)ですから、見逃すわけにはいきません。さらに機会を設けて論じてみたいと考えています)
話を戻します。ソクラテスは「教えないで、質問する」だけだった。グールドは「教師の最良の仕事は質問することだ」といいました。どんな人でも「自分にとって」いちばんの教師は自分自身です。だから、「自問・自答」なんです。自問と自答のくりかえしから、ぼくたちは考える力を伸ばし、また問う力をそだてられるのです。問いを作り答えを見つける、それが考える働きが本来的に行うことです。誰かに聞かれて(問われて)、自分が答えるというのは、自問の練習台です。
いつも「自問し、自答する」ことが「自分をそだてる」には欠かせない態度だといえないかと思う。「そだつ」ためには「そだてる」がなければならない。だれかに質問されて(自分で自分に質問し)、それによって自分のなかのなにかが「そだつ」、それは「そだてられる」ともいえるでしょう。教える側からではなく、「そだてる」側から教育問題をとらえたい。「教育」の核心部はそこに存すると考えるからです。訓練や調教なら、外からの力によって無理にでも相手を習慣づける。この二つの働きはまったく似て非なものです。
言い方を変えれば、だれかに「教えられる」というのは、その人から何かを「与えられる」ことでもあるでしょ。じゃあ、与えられるばかりだと、いったいどんなことが起こるのか、という問題ですね。与えられるのが当然と思われてきます。「くれなきゃいやだ」「もっといいものをください」与えられることに文句を言うようになります。学校教育でよく見る光景ではありませんか。「教えられる」に文句を言う。
次はグールドよりも一世代前に活躍した音楽家の教育論です。もう一人の音楽家、ナタン・ミルシュタイン(ヴァイオリニスト)(1903-92)の例を出します。
《先生っていうのは、そんなに役に立たないと思うな。今の若い人は、先生のところへ行けば何かを教えてもらえる、などと考えている。違うんだよ!誰も教えることなんてできないんだ。教わろうったって無理なんだ。先生はたしかに上手に弾けるだろう。しかし、それは彼自身の方法で上手に弾けるんだ。それをいくらそっくり真似たって、同じ音など出せっこないよ》
《だから私は、こう思うんだ。教師の役目とは、生徒の心を開いて、生徒自身が進歩していくことを助けることだと。その意味で先生は、教えてあげることなんて出来ないとハッキリ告げるべきだと思うね。生徒は、自分の力でやり遂げなくちゃならないんです》(ミルシュタイン)

ものを学ぶというのは自分をそだてるということです。そだてるためには、そだてられなければならない。これは教育の根っこの問題です。だれかによって「そだてられる」というのではなく、自分で自分を「そだてる」です。それは次のような意味ではないですか。大切なものを自分で「発見する」、自分の足りないところをみずからが「気づく」、そこに「そだつ」「そだてる」ということの秘密がありそうですね。
別の言葉でいえば、どこかしらで「達成感」というものが自覚されるということですね。「自分はまだ足りない」っていう自覚、「自分にはこの部分が欠けてるな」という感覚です。おそらく、達成感というのは「欠けている」「足りない」という感覚の裏側にひそんでいる。不足感から達成感から、そこから充足感へ、この王道をゆっくりと歩きたいね。
グールドはいつでも自身が自分の教師だった。「オーケー、満足かい?」といつも自問していた。教育について強い関心をいだいていたといわれるグールドの「教えの方法」、言いかえれば「学びの方法」は、おおいにわたしたちに刺激を与えてくれる。かれは教師になる希望を実現しないうちに亡くなった。かれはカナダトロントだったかの出身、もしウィーンだったらかれは存在できなかったと思われます。音楽にかぎらず、すべからく伝統」というものはこわいですね。
「自分が受け入れているものをふくめて、疑う権利を確保すること、それが私のデモクラシーの基本です。それを手放してしまったら、人間はそこからつぶれていくと思うんです。人間の思想というのは弱いものでね、思想で一つにくくってしまったら危ない。どこかに通り道を残しておかないと、やっぱり自滅してしまうんですね」(鶴見俊輔)
「自分が受け入れているものをふくめて、疑う権利を確保する」というのは、別の表現を使えば「わたしは自由である」ということじゃないですか。疑うというのは「ぼくは自由である」という意味です。疑う自由、あるいは自由に疑う。与えられたものを鵜呑みにするのではなく、それを疑ってみる。自分の頭で疑って見る。それをしなければ、自分がないというようなものです。自分が認めているものまで(ものこそ)疑う。それが「自由」ということ。考える、疑う、あるいは迷う、それが「ぼくは考える」ということの表れではないですか。
与えられたものを飲み下す、丸飲みする。まるで鵜飼の鵜です。「これしかない」としがみつく、そのとたんに、ぼくたちは(考える)自由を失ってしまう。そこで止まってしまう。つまり、固まる。「これこそが正しい」と思いこんじゃう。そこで思考停止。自由の消失、放棄です。それはどこにもある罠だし、それにひっかかる人は後をたたない。下手な考え休むに似たり、それもまずい。自問するのはやさしいことじゃありません。でも自問する、自答する。あくなき挑戦だな。
自分が信じているものさえも疑う。いや、信じているものほどはげしく疑うことができる。「それ(疑う権利)を手放してしまったら、人間はそこからつぶれていく」というのは、「そだつ」「そだてる」ことをやめてしまうという意味です。安易に受け入れることで、その先を考えようとしなくなるからです。自分にとって(自分が)「信じているもの」ってなんですか。
「本当にためになるものというのは、自分自身を見つめることからのみ得られる」「誰も教えることなんてできないんだ」という言葉をもう一度思い出してください。自分で「気づく」ということは、ホントに大事です。自覚症状がなければ、どんな名医でも、いかなる診断も下すことはできない。(「そんな弾き方じゃダメだ」といわない音楽教師はいい教師)