さて、めだかの学校です。前回から時間がたちすぎたので「めだかの学校は」春休みになったかもしれません。あるいは人間どもの行儀の悪い振る舞いで「廃校」の憂き目を見たかもしれません。おそるおそる覗いてみましょう「そっと覗いて、みてごらん」
一 めだかの学校は 川のなか そっとのぞいて みてごらん/そっとのぞいて みてごらん みんなでおゆうぎ しているよ
二 めだかの学校の めだかたち だれが生徒か 先生か/だれが生徒か 先生か みんなでげんきに あそんでる
三 めだかの学校は うれしそう 水にながれて つーいつい/水にながれて つーいつい みんながそろって つーいつい

この三つの歌詞に共通しているのは「みんな…」という部分。「みんなでしているよ」「みんなであそんでる」「みんながそろってつーいつい」茶木さんはこれをどのようにとらえたか。それはぼくにはわからない。しかしめだかは「だれかを仲間外れにしないで」「みんなでなかよく」、なんでもいっしょにやるのがいいなあ、とめだかたちの学校の長所をそこにもとめたのでしょう。めだかの学校にも授業時間はあり、休み時間もあれば掃除や給食の時間もあるでしょう。「なんでもみんなで」というのはいいけれど、では、個別・個体としてどう動くのか、どう育つのか、そこに問題がありそうです。(「なにをいうか。たかがめだかじゃないか、童謡じゃないか」)
これを全体主義などというのではないし、だからいけないというのでもありません。あるいはめだかの習性からくるのかどうか。ぼくみたいに一人(勝手)主義をとるのではない。個人主義と全体主義などといえば面倒な話になるが、群れから離れて「個人(個めだか)性」を死守しようという習い性がないというわけでしょう。個体や個性を認めない(認める必要がない)のが、めだか社会か国家の掟なのかもしれない。まさに「全体の一部としての存在」の形式だともいえよう。
ここに「めだかの学校」と名付けられたのは先に触れた、敗戦直後(1946年)に茶木さん親子が生活物資の買い出しに出かけた途次に、小田原郊外(荻窪)の小川で長男が「めだか」を見つけた。茶木さんがそばによるとメダカは隠れてしまった。「いないじゃないか」「待ってれば出てくるよ、ここはめだかの学校だから」というエピソードがあったのです。この出来事を下敷きに茶木さんは後日(「みなさまの協会」から作詞の依頼があったので。当時、茶木さんは詩を書いておられました)上掲の詩(歌詞)を作り、それに中田喜直さんが曲をつけて、童謡『めだかの学校』が誕生したという顛末でした。(中田さんが原詩を少し手直しして、歌いやすくしたという)
めだかの習性とはどんなものか。詳細は専門家にゆだねて、当方の貧しい飼育体験から推測してみます。①まず、集団行動が目立つという点。茶木さんの歌詞にある通り。②仲間意識が強い。反対に他種に対しては親和的(親切)ではないともいえる。③姿かたちに似合わず「獰猛」というか、仲間同士で食い合いをする。また、先に生まれたものが針子(稚魚)を食べることもある。(苛烈な生存競争だと人間の安易なヒューマニズム・人間中心主義には映るのです)その他…。育児ならぬ育魚に手を抜いているのは事実ですが、ぼくのところのめだかは増えて困るということが一度もありません。産児制限ならぬ、自然調整で個体数の増加を抑制しているともいえます。したがって、卵は成魚から隔離する必要があるとさえいわれています。ほかにいろいろとありそうですが、いまはめだかは冬眠中につき、直接に聞きとりができないので、詳細はすべて省く。
めだかの学校はリーダーがいなくても統率がとれて、「みんなで」なにかをしてしまう。「だれが生徒か 先生か」というのは言葉の綾であり彩でもあるのですね。ここだけとれば、いいなあ、楽しそうだなと思いたくなるほどに、「人間の学校」は上下関係や役割分担がはっきりしすぎて、ゆとりも遊びもないと考える人々がいるという証拠でしょう。めだかの学校でもっともいいとぼくに思われるのは、まずは算数や国語などの(ぼくにとって)いやな教科がないらしいという点です。「成績の差」を表そうにも、材料がないからできません。それだけでも最高だ。

もっといえば、宿題(ホームワーク)はない。ぼくが若い時に強烈な影響・薫陶を受けたある校長は「怠け者の教師ほど宿題を出す・出したがる」といわれた。(その通り!)おそらく教室では自信がなかったんだね。とするなら、「怠け者の親ほど宿題を出してもらいたがる」(これまた、その通り!)ということでしょう。この怠け者同士で「日本の学校」はとりしきられてきた。今でも、です。さらに、中間・期末試験ももちろんなさそうです。成績の序列化はめだか諸君には似合わない。ひょっとしたら全寮制かも。あるいは男女平等、まさか。労働もなさそうだとすると、めだかの一生はどういうことになるのかしら。生きることが働くことと同義だといえないでしょうか。たかだか一年ばかりの人(魚)生なのだから、それくらいの恩典があっていいのではないですか。先生も生徒もいない学校だってあるのです。教える人も教えられる人もいない。みんなが生得・自得しているからです。じゃ、人間の学校は?人間が生きるのは?
めだかの学校という命名が問題だったのかもしれません。あまりにも人間の「学校」に比べすぎていたという点です。それだけ人間の「学校」は「堅苦しい」「管理がきつい」「規則ずくめ」といったところを茶木さんや息子さんが現実に経験しており、それに比べて、「めだかの学校は」のどかで、楽しそうで仲良しでいいなあということだったかもしれません。今も昔も、この島国の「学校」は四角四面が過ぎるというわけです。「四角四面は豆腐屋の娘 色は白いが水臭い(後略)」と啖呵を切ったのは車寅次郎さん。この項はそれだけの話です。なんだつまらない。まあ余得といえば、学校のイメージの再発見だったともいえます。
(「雑談(ぞうだん)」に関しては江戸時代中頃の『滑稽雑談』があります。俳句の歳時記、作者はお坊さんでした。なかなか優れたものらしい。所持しているが、未読です。元来は特定の話題を扱うのを「ぞうだん・ぞうたん」と称したらしい。明治以降でもぞうだん話は、露伴を筆頭にいくらでもあります。ぼくは露伴が大好き。文さんや玉さんはそれほどでもない。(「それは君の勝手でしょ」)いやいや、いかにも道草が過ぎる。とっくに「めだかは逃げ出した」ぞ。いくら草が好きでも、予定が立たないし先に進めなくなるので、この項はいずれ機会を設けて。
(ぼくにはたくさんの悪癖・悪弊がありますが、「雑談(ざつだん・じょうだん)」が過ぎるというのでもっとも強く非難されます。話の本筋お構いなしに、脇道にそれてどこまでもひたすら、というのです。いってみれば、「まくら・枕」(前置き)だけで数十分かかる、あるいはそれだけで、草だけではなく時間も食ってしまうという悪癖ぶりで、自分でもホトホト困っています。話題が行方知れずになるような話しぶりは、志ん生(五代目)さんからの影響が強いかもしれない、と他人のせいにするのはよろしくない。それにしても、数十年も彼の「落語」を飽きもせずに聴いています。枕に頭をのせて。目をつむりながら。早い話が寝ながらです )(つづく)