私は立たない 坐っています

 もともと「教育」という行いは文化そのものだったといいたいのです。土地に根ざして営まれていたという意味です。それぞれの作物にふさわしい土壌があるように、その土地に根ざした「教えと学び」のスタイルがあった。にもかかわらず<教える>に特化してきたのが日本の近代学校教育でした。国是・国策としての「近代化」はひとえに教育、それも学校教育に頼りきりにならなければ進められなかったと信じられたからです。

 国家が創設した大学は、遅ればせの「近代化」をなしとげるエンジンの役割を押しつけられました。そこで教授されたのは、いうまでもなく西欧の文物、つまりは「新知識」だった。大学以下の教育体制が「近代化路線」に強引に参入させられたのは当然でした。すべての諸学校では中央から持ちこまれた教育内容をひたすら生徒や学生たちの脳髄にたたき込んだのです。それがいまなおつづいて、学校教育の「習い性」となったのでした。その結果、獲得された成果は「国民国家」という箱船に同乗した身内意識でありましたが、失われたものはその土地に独特の地味であり、風情というものでした。これは土地だけのことではなかったのは無論です。ひとりひとりの存在が独特の土壌だったからです。

 本日は立春の2日前。明治の初期に太陽暦に変えられる(明治五年十一月に改暦布告)以前、「立春」は旧暦正月、一年の初めでした。世間は「新春」を寿ぐ習いであったのです。新暦の今日では「入試の春」であり、「別れの春」「いまこそ、別れめ、いざさらば」と「泣いて喜ぶ日」だった人もいるでしょう。「もうあの嫌な教師に会わなくていい」「嫌いなやつとの別れはいいね」と。早い学校では「卒業式」なる行事が開かれるでしょう。今では「卒業証書授与式」というところも多いようです。どこが違うのですか。「(卒業)式」と「(卒業)証書授与式」では字数に多少があるし、それがもたらす印象や雰囲気も異なりそうですが。この「授与」という表現が曲者でしょう。誰が授与するのですか。ここにも長い歴史があります。いずれの御時にか、それに関しては触れざるを得ませんが、いまはスルーします。だれのための「式」かと問えば、「いうまでもない」という答が返ってきそうです。いつの時代でしたか、どこかの学校で式に参加しなければ卒業証書(だか入学証書』を発行しないと強弁した校長がいました。今でもいるのですか。「そんなものいらないよ」といえ!(ないか)。

 ぼくは「式」はなんであれ、好きじゃないというより「嫌い」でしたし、いまも、行きたくないですね、いかなる式でも。つい最近「結婚式」のお誘いをいただきましたが、無礼ながらお断りしました。まず参加したことがありません。義理を欠くことにおいて、ぼくはあるいは、褒められませんが、人後に落ちないと自認しています。なぜ嫌いなのか、理由はありますが、要するにだれのための「式」なのか疑問に思うばかりというのが一つの理由といえば理由。ある種の「無理強い」が性に合わないんですね。ここに、邪念いっぱいのわが心にもよみがえる一つの詩があります。

 鄙(ひな)ぶりの唄                                  

 それぞれの土から/陽炎(かげろう)のように/ふっと匂い立った旋律がある/愛されてひとびとに/永くうたいつがれてきた民謡がある

 なぜ国歌など/ものものしくうたう必要がありましょう/おおかたは侵略の血でよごれ/腹黒の過去を隠しもちながら/口を拭って起立して/直立不動でうたわなければならないか/聞かなければならないか

 私はは立たない 坐っています    (茨木のり子『倚りかからず』所収・筑摩書房、1999)

 鄙(ひな)というのは「都から離れた土地。田舎」、つまりは自然状態に近い土地・在所という意味。もちろん、人が住んでいる。人がいなければ「文化」は不要です。「それぞれの土」とは、ひとりひとりの分ということ。それぞれが自分の唄(言葉・思想)をもっている、自分に似合った唄をうたいたいというのは一つの態度であり、生きる姿勢(方法)です。自分の言葉で自分の感情を表現し、自らの唄を口ずさむ。それが生きるエネルギー。存在の根拠地。それこそ「文化」というものでした。時代はすっかり「文明」の時代に。人間が文化を生むけれども、文化が人を生み育てるのです。(茨木のり子さんは20歳の時が戦争のさなか。女学校時代には全校生徒の代表で軍事訓練の指揮をとったという。「かしらあー、右」とかなんとか。その自分の無残な「過ち」が許せなくて、この詩のような境地に至った。それに費やした時間は戦後の相当に長い時間だった)

 「私は立たない 坐っています」といえば、そんな不敬・不遜な態度は(公の名において)認めない、「お前だけを坐らせておくわけにはいかない」と、生徒も教師も「ものものしくうたう」ことを強いられる。滑稽かつ愚弄かつ唾棄すべき風潮ですね。頽廃のきわみだと腹の底から思う。こんな風潮がいたるところで何年も続きました。今日ではどうなんでしょう。いろんな「君が代」があっていいと思う。なくてもいい。卒業式にうたう唄はいろいろとあっていい。「式」は誰のものだろうかという思いは募るばかりです。

 「君が代を千年以上も前の詠み人知らずの歌として認め、明治以前の千年のあいだ、べつのさまざまの抑揚でうたいつがれてのこっためずらしい歌と感じる道は、どうして今もとざされているのか。別の調子でこの歌をうたうことに、学校はどうして罰をあたえるのか」(鶴見)(鶴見俊輔・網野善彦対談『歴史の話』朝日新聞社、1994年)

 こんな堅苦しい雰囲気に満ちた風土のなかから、伸びやかで心豊かな青春を育むことができるはずがない。学校教育で生み出される「生きる力」などとは、悪い冗談だと思う。それはまた別種の「生きる力」なのだろう。「鳥かご」や「犬小屋」に閉じこめて、鳥や犬に「さあ、ここで生きる力をつけるのだ」といってみて、さてそれはどんな力なんだろう。人間の好みに飼い馴らされる力ですか。実にグロテスクだというほかない。人間と同様に、「学校」もまた氏より育ちなんだ。「学校」を変える(教育する)のは至難の業であります。不可能ではないけど。(馬耳)