ハタから表札を…

  表  札

 自分の住むところには / 自分で表札を出すにかぎる。

 自分の寝泊まりする場所に

 他人がかけてくれる表札は / いつもろくなことはない。

 病院へ入院したら / 病室の名札に石垣りん様と / 様が付いた。

 旅館に泊まっても / 部屋の外には名前は出ないが / やがて焼き場の鑵(かま)はいると

 とじた扉の上に / 石垣りん殿と札が下がるだろう / そのとき私がこばめるか?

 様も / 殿も / 付いてはいけない、 / 自分の住む所には / 自分の手で表札をかけるに限る

 精神の在り場所も / ハタから表札をかけられてはならない

 石垣りん / それでよい。

  このように断固と言い切った詩人は2004年12月26日に亡くなられました。石垣りんさん、84歳。彼女が銀行に事務見習いとして就職したのは昭和9年(1934年)、14歳のときでした。初任給十八円、昼食代支給だったそうです。

 「私は好きなことをしたくて働くことをえらび、丸の内の銀行に入社しました。以来三十年余り、同じ場所に辛抱しておりますが、職業と生活は、年月がたつほど私を甘やかしてはくれなかったので、結局そこで学びとらされたのは社会と人間についていでした。戦争も、空襲も、労働組合も、です。

 終戦後、労働組合が結成され、職場の解放と共に、働く者の文化活動が非常に活溌になった一時期、衣食住も、娯楽もすべて乏しく、人々は自分の庭や空地に麦、カボチャを植えて空腹の足しにし、演劇も新聞も自分たちの手でこしらえはじめたころがありました。

 戦前、同人雑誌など出し、詩や文章は職場とは関係のない、ごく個人的なものと割り切っていた私は、自分と机を並べている人たちから詩を書け、と言われることに新鮮な驚きを覚えました。私に出来るただひとつのことで焼跡の建設に加わる喜びのようなものがありました。同時に、人に使われている、という意識が消え、これは私たちみんなの職場なのだ、と思うことの出来た、わずかに楽しい期間がそこにありました」(石垣りん「花よ、空を突け」)

 石垣さんは苦労して一家を支え、営々とあるいは孜々として詩作に励まれた。その詩の多くは、ぼくにはある種の決意というか断固たる姿勢・態度の表明のように思われ、心して読んできました。「表札」はいかがですか。どなただって、自分の表札に「〇×▲◆ 様」と「様」をつけないでしょう。いや知らないのはお前だけで、〇様や▽博士や◆弁護士などと、麗々しく添え書きしている人がたくさんいるんだよ。たしかにずいぶん昔はあったのをぼくも知っていますが、さすがに今日ではないでしょう。

 ある大学で総長だった人物が入学式や卒業式で「おめでとう、この一流大学に…」といった祝辞の記録を読んで驚天動地というほどではないが、なんという無恥者めと呟いたことを今でも覚えている。そのように詐称(自称)したのは一人だけではなかったから、しばしばのなさけない経験でした。一流だ、名門だなどということ自体が当人の人品をあらわしているのですが、一向に気づかないから、本人は平気なんですね。「祝辞」さんはそんなに品のある風にはまず見えませんでした。それにしても、ランク付けも廃りませんね。みなさん(ではないが)、胸に表札(肩書付き)をぶら下げた気分になって街中を歩いていらっしゃる。ハダカかも困りますけど、表札や勲章・徽章はどんなものですか。制服だっていやでしたから、ぼくに「表札」は無用でしたね。一流ではなく末流、名門ではなく無名門、あえて言うならそれだった。

議員バッジ

 成績一番になりたい、業績は会社のナンバーワンだ、世界の一位に命を賭けて、社長になりたい、大臣になりたい、もっと上になりたいという目標はまちがってはいないし、それをぼくはとやかくいうつもりはありません。どうぞ、勝手におやりください。ただし他者に迷惑をかけないで、というばかりです。「なりたい病」は感染し、蔓延する性質をもっています。地位や肩書ばかりが目標になると、どうでしょう。苦節何十年、ついに社長になれた、そして会社はつぶれた。こんな事例がたくさんあるんじゃないですか。「目標千何百何十店、▽▼薬局」という薬屋さんがありましたが、近年はあまり見かけません。目標達成はどうなったか。「イキナリステキ」も素敵じゃなくなりました。どこで躓いたか。 

独鈷(どっこ)

 「自分の住む所には 自分の手で表札をかけるに限る」というのは精神の自立宣言のようですね。自分の足で立ち、自分の足で歩く。もっといえば、ぼくは自分のお尻の上に座ることにしています。小さいし、固いんで坐りごこちはとても悪い。まさか、お尻を貸しててくださいとは言えないからね。だから他人の尻はいうまでもない、他人の肩にのっかってなんて、というのはご免被るのを心情にしています。「ボロは着てても ココロの錦」(「いっぽんどっこ」の唄から)「どっこ=独鈷」密教の法具)と水前寺清子さんは謳われました。「行くぜこの道 どこまでも」と今でも歩かれているのでしょうか。遥かなる道を自足で歩くのもまた哲学です。(たまには休憩したい張三)

 

 「教えられたい」は甘えたい

 わからないことを聞くときには

 修業中の弟子が棟梁(とうりょう・親方)に「これはどうするんでしょう」と尋ねたら、必ず聞きかえされた。「君はどう思っているの?」「それはこうだ」とはけっして言わない。だから棟梁には下手(不用意)に質問できなかった。まちがっているかもしれないけど、「自分はこう思う」というのをもっていないと質問できなかったそうです。

西岡常一さん

 この棟梁は「最後の宮大工」と称された西岡常一(1908-1995)さんでした。斑鳩の里(法隆寺)所属の大工(祖父・父につぐ三代目)。西岡さんは自分の息子さんたちにも同じ態度をとられていた。宿題が分からないから、聞きに行くと「お前の考えは?」と必ず聞きかえされたというのです。また「あれはどうなっていたのや」と反対に質問されたそうです。

 教えないで教える

 棟梁が弟子を育てるのは「見本を示す」だけです。こうしなさい、ああしなさいなどとはいわない。たとえばカンナ(鉋)を研(と)ぐのも「こういうふうに研ぐのや」と教えない。「こないふうに削れるように研いでみなさい」というだけです。西岡さんのお爺さんも宮大工でしたが、あるとき孫の西岡さんに「鉋(かんな)はこんなふうに削るのや」といって、向こう側が透き通ってみえるほどに薄くて美しい鉋屑(かんなくず)を放り投げただけで、どこかへいってしまったそうです。

法隆寺遠景

 弟子になるほうは大工になろうという気持ちがありますが、それに加えて「教えてもらいたい」という「衣」みたいなものももっている。それが修業の邪魔になるのです。だから自分でこの衣を解か(脱が)なければならないのです。自分で解こうという心構えがないと、ものは正しく伝わらないと西岡さんはいわれました。

 「学校や今の教育は違いますな。まず手取り足取り教えますな。子供がわからな、教え方が悪いと言いますしな。それでそのときはこないする、こんなときはこうやったほうがいいと、こと細こうに教えますな」

 「私らはいっさいそんなことはしません。…こんなですから今の教育に浸った人たちは何と理不尽で、遠まわりな古くさいもんやと思いますやろな。しかし、これが一番の早道ですな。へ理屈を並べるよりも、本当に伝えようと思ったら、このほうがいいんです。形式的に暗記して、そのことの意味がわからんでも、そのときさえ覚えた気になればいいというんなら言葉だけで伝えてもいいんです。親方がいったことを弟子が繰り返していう。それだけでいいし、それやったら本でも読んでいればいいんです。棟梁なんていりませんな」「大工はそのときの試験に通ればいいというんやないです」(西岡常一『木のいのち 木のこころ』新潮OH文庫)

 教えてもらいたいは甘えのあらわれ

「教えてもらいたい」という「衣」を分厚く着せるのが学校であり、上手にたくさんの「衣」を着た子が優等生というわけです。「衣」とは「化粧」みたいなもので、いつも厚化粧していると、自分のスッピン(素顔)がわからなくなります。だからよけいに塗りたくることになるのでしょう。でもむりにはりつけた化粧はいつかは必ずはげおちるものでもあります。「教えられたい」というのは一種の甘えだとぼくは経験してきた。

薬師寺西塔

「自分はこう思う」「自分の考えはこれです」という当てもなしに、相手からの答えを鵜呑みにするだけ、こんな教育を何十年もつづけることで、はたしてその人の何が育つというのでしょうか。(あんまり立派に育ってしまうと困る人がいるのでしょう。だから、ほどほどに、言うことを聞く「人材を養成」するのがこの島の学校の寸法にピタリと合うのだね。でも、寸法があわなければどうする、なに自分流で何とか生きる知恵をつけるものですよ、人間は。でも、それには辛抱がないと。

 西岡常一という棟梁はとても大切な「伝説の人」であり続けています。ぼくは一面識もなく、彼の仕事場だった法隆寺や薬師寺などの建築を何度もなんども眺め、また彼が残した何冊かの書物を通して、知るばかりだったが、それでじゅうぶんでした。いつのことだか、志賀直哉という作家が「法隆寺はだれが作ったか、作者(大工)がわからないが、建物を見ているだけでじゅうぶんである」という意味のことを話していたのを記憶している。小学生のころからぼくは奈良に行っていました。

 西岡さんが薬師寺の西塔の再建がなり、お披露目をした時だったか、東塔とは基壇の高さや軒の長さ、その他さまざまな点でちがいが目立っていた。心配ご無用、何百年かすれば両塔は同じようになるというのが西岡さんの答えだった。法隆寺は木造で1300年以上が経過している。おそらく創建時に朝鮮半島を渡ってきた大工たちはそんなに長く建物がもつとは考えていなかったし、ましてや千年以上もたせる建物を作ろうとしたはずがない。日々の建築に精魂を傾けた結果が、ぼくたちの眼前に建っているというのです。まさしく、「現場に生きる」人々の真骨頂だったと思いますね。

 西岡さんの死は、掛け値なしの文化財の喪失であったと素人ながらに、つくづく実感しました。機会を見つけてまた彼について騙りたいですね。ぼくは少年時から、斑鳩の里に何度通ったことか。大工になりたいと本気で考えていた時期がありました。身近に棟梁がいたからでもあり、寺をはじめ建築物を見るのがことのほか好きだったからでした。(信仰心なき寺社建築好き)

 注意しなさい

《私たちは、両親や小学校の先生から「注意しなさい」(Pay Attention !)と言われて育つ。子供の頃より、この同じ言葉を強くあるいは優しく命じられながら、大人になっていく。やがては慣れて聞き流すようになるかもしれない。だが、人生においてこれは非常に大事なことである。なぜなら、注意を払うとは、心のエネルギーをどう使うかということであり、このエネルギーの使い方の如何が、自らをどのような自己へと育てるのか、どのような人間になることを学ぶのかを決めるからである》(ベラ―他著『善い社会』みすず書房、2000年刊)

 アメリカの社会学者たちが「善い社会とは」どんな社会のことだろうと、と数人がかりで著わしたのがこの書物です。ぼくは再読三読に及んだ記憶があります。もちろんことはコメ国の話ですから、この島にただちに適応できるものではないのは当然です。ぼくがなるほどと思ったのは、「引用」部分でした。「注意しなさい」(原文は Pay Attention !)ほとんどの人は「注意する」のは他の人に対してだと思っているでしょう。それでまちがいなさそうですが、ぼくはそうじゃないと考えているのです。ベラーたちも「注意しなさい」というのは親や教師からだが、この「注意する」対象は「自分にに対して」なんですよ。

 「(自分に対して)注意せよ」というわけです。親や教師が子どもや生徒に何かを言うのは「注意」ではなく「文句」だったり「命令」だったするのがほとんどじゃないです。どんなに大事なことを言われも、不注意だったらどうなりますか。結局は自分に「注意深く」ならなければ、すべてがご破算になるでしょう。「注意」に対して「不注意」でうけとめるのが大半でしょ。

 十年にはならないかもしれませんが、後輩(県の教委にいました)に頼まれて、ある高校に呼ばれたことがあります。再編(新設)された公立学校でした。教職員に何か話をせよというので、真夏の猛暑のさなか(たしかお盆の十五日だった)、三浦半島の西側にあった学校に出向いた。五十人ほどの教職員がいたと思います。校内研修の一環だというお話でしたが、ぼくに話せとは勇気があるなと思った、その後輩はその数年後に自死された。

 ぼくは例によって無駄話に終始しました。話したポイントはただ一つ、教師も生徒も「自分に注意深くなろう」でした。さらには、「注意はだれかにするものだと思われているでしょうが、それはまちがい」「自分にこそ注意しなければならない」と。制限時間が来たので急いで席を立って「呑み屋」に駆けつけようとしたら、その浅ましさを見破られたのか、終了宣言を阻止するかの如くに、一人の教員が質問されました。きっと来るだろうと予測していたし、また、そうでなければ「面白くねえ」とぼくは読んでいたから、べつに驚かなかった。「いまあなたは、注意は人にするものではないといわれたが、われわれは毎日のように生徒たちに注意している、だからあなたの話には納得がいかない」というのです。呑みたい一心で、答えは自分で考えてほしいですね。本日はこれまでと、部屋を出てしまいました。自分で考えてよ、めんどうな。

 後日談です。研修会なるものが終わって間もなしに、別の友人(県立高校の校長をされた方)から速達便が届いた。「呑み代を返せ」とでもいってきたのかと開封すると、次のような顛末が書いてありました。ぼくに質問した教員が、会を終えて帰宅するために学校から200メートルほど離れたバス停に急いだ。校門を出たところで、バスが来るのが見えた。それを逃すと待ち時間がかかる。あわてて駆けつけ飛び乗ろうとした瞬間、石につまずき転んでしまった。その拍子に口のあたりを強打(地面で)して「前歯が二本折れてしまった」。「注意は自分にするものだ」ということが痛いほどわかった、この前の人間(ぼく)によろしく伝えてくれと頼まれたそうです。

 他人にするのは「命令」「小言」「文句」などのたぐいで、けっして「注意」ではなさそうです。「気をつけて下さい」「風邪をひかないでね」「勉強しろよ」などというのは注意じゃない。忠告だったり、催促だったり、助言だったりするのです。いかに重要な話(忠告)をされても、それを受け取る側が無関心だったり無視したらどうなりますか。「自分に注意しなさい」と自分にいつでも言えることが肝心なんじゃありませんか。

 これまでの長い生活の連続でぼくが犯した失敗やまちがいのほとんどすべては「不注意」から生じたものです。階段から転び落ちるのも不注意、下手をすればいのちとりになります。不注意から不幸になる例はいくらでもある。避けられる不幸はさける、注意するというカネのかからない方法で。不幸になりたい人間はいないのだから、「注意せよ、自分」といえる態度を育てることは、あらゆる教育の根底になければならないですね。わがまま、いじわる、ねたみ、自己卑下…。すべては「注意力が足りない」状態から生まれるのです。あわててしまって 35×7=235 とまちがえるのと、信号を見落として車で誰かに怪我をさせるというまちがいは同じ根っこを持ちます。自分を制御する働きがなかったからです。あらゆる勉強も子どもの性格を鍛える(自制する力・注意力)ための手段だととらえる必要がありそうです。ぼくはこんな姿勢で子どもたちとつきあってきました。

 だから、ぼくは「注意するとは自分に対する期待だ」と言いつづけてきました。こんなつまらないことに腹を立ててどうする、君はそんなところでうろうろする人じゃないよ、と自分に向かって励ませるる人になりたいと願いつづけてきました。幼児や児童ではそれは簡単じゃないと思うから、教師がそばにいるんでしょ。怒ったり、脅したりするための対象じゃないね。高まれよ、○○くんと、ひそかだけれど強い期待をもってつきあえる人が教師なんだと思うよ。点数を上げるのは教師の仕事とみなすのは下の下。子どものためなどといいながら、じつはおのれを高く評価してもらうために子どもや教育を利用するのは、下の下の下。自分にとって最良の教師は自分だろうと思う、ちがいますか。

津軽弁です

 別にややこしい話をしているのではない。もし分かりづらいなら、ぼくの雑文のせいで、お詫びします。「もっと明確な文を書けよ、自分」かな。どこかの教師はこの事情を納得するのに転んで前歯二本折りました。痛くも高くもつきました。こんな経験が身になるんでしょうね。経験から学ぶ。「注意一秒、怪我一生」は交通事故対策だけのもではない。(泣くでねえ、泣き虫のわれ!)

 信じる権利について

 

 私は、あなたの信じていることがまちがいだと信じる権利をもつ。あなたには私がまちがっているように思えるとしても、私はまちがう権利をもつし、その権利をゆずりわたすことはできない。(ホウレィス・カレン 1882-1974)

 カレンはドイツ生まれのユダヤ人哲学者。長くアメリカのいくつかの大学で哲学を教授した人です。彼については不勉強でほとんどぼくは知るところがありません。九十を超えて生きられたから、大変な長寿でした。上に引いた言葉は何かの折に書き留めておいたものです。ちょっと前に「まちがう権利」などということをことさらに述べる機会をもったので、「信じる権利」に関しても雑文をしたためてみようか、と気迷いをおこしたわけです。なに、いつも通りで、大したことは言えません。ユダヤ人哲学者でいうと、ブーバーを想起します。ていねいに読んだ記憶がその内容とともに蘇ってくるようです。『我と汝』などです。

 哲学や思想は、当の人間の感情の裏打ちがないと作文、理屈でしかなくなります。哲学研究をする人はたくさんいます。けれども、これぞ哲学者といえる人はまずいないとぼくは思っています。ひょっとすると、どこにでも存在している・いたにちがいないんでしょうね。ぼくの目が曇っているから見えないんだと思います。歴史の真ん中にも、また歴史の彼方にもたくさんいたのではないかという気もします。歴史を学ぶ意味はそんな人に出会う機会を求めるからじゃないかといいたいですね。営々と重ねられた経験こそが、その人の哲学や思想の錘(おもり)となるような気もします。(だからぼくなどは、とてもとても哲学なんて語る力も資格もないのです)

 信じる権利とまちがえる権利。この二つはだれにも備わっていると認めなければ、何事も始まらない性質のものです。「平等」や「自由」なども同じです。「権利」ということについてその根拠は何かといえば、それほど明確なものではないというほかありません。ここに石があるでしょう、と手でも目でも確認できますが、「権利」はそうじゃない。そんなものはないよ、といわれればそれまで。人命は地球よりも重いといくらいったところで、だれかれに「いのちを尊重する」受け皿ですか、その用意がなければ、それはつねに風前の灯火でしょう。消えかかるろうそくの炎のような、危ういいのちはいたるところに見られます。潰え去ってしまういのちも数限りなくあります。

千葉地裁法廷

 昨日でしたか、千葉地裁で自分の娘を虐待死させた父親の裁判が行われていました。事件発生以来一年二か月ほど経過しましたが、その間父親に虐待された女児が、最後の望みともとれる、通っていた学校教師に訴えた文章も公開されています。母親はすでにわが子を救うための気力も体力も夫から奪われていたとされます。法廷で当の女児の祖母や妹が、「Yちゃんを返して」と叫ぶ声が鳴り響いたと報道で出ていました。「許せ、家族に入れろ」と親に訴える声が法廷に聞こえたそうです。それをこの父親はどういう気持ちでカメラを回していたのか。「生きる権利」「教育を受ける権利」と憲法に謳われたところで、子どものその権利を保障(死守)する親や行政の保証がなければ、絵に描いた餅にもならないのは当然です。それにしても、と思う。

 虐待死、心愛さん「毎日が地獄」 千葉地裁公判で母が証言

《千葉県野田市立小4年の栗原心愛さん=当時(10)=を虐待し死なせたとして、傷害致死罪などに問われた父勇一郎被告(42)の裁判員裁判公判が26日、千葉地裁(前田巌裁判長)で開かれた。心愛さんの母(33)は、2017年7月に沖縄県から千葉県に引っ越した直後の生活について心愛さんから「『毎日が地獄だった』と言われた」と証言した。

 心愛さんと被告は先に野田市に転居し、母は同年9月ごろから同居。その間の生活について母が心愛さんに尋ねると「夜中パパに起こされたり立たされたりした。妹の世話をしろとも言われた」などと話したという。》(共同通信・2020/02/26 12:43)

 与太話です。もう何年も前に、ぼくはこの「教育を受ける権利」について意見を述べよと国会(衆議院憲法調査会)というもっとも忌み嫌う場所に出向きました。ぼくの友人の口添え(依頼)でした。(言下に)断ればよかったのですが、これも「魔が差したのか」出かけてしまいました。人がまちがえるときは、きっと「魔が差し」ますね。(行かないのが「正解」だったと、その時も今も思っています)人間は「まちがえる存在」だ。でも、このぼくのまちがいは権利ではなく、ぼくの「不注意からのまちがい」でした。後悔、後悔。「後悔を先に立たして後から見れば、杖を突いたり転んだり」というのは志ん生師匠です。案にたがわず、いやなところでしたね、ぼくには。

 いまはその話ではない。「信じる権利」です。権利が権利として価値があるのは、それを認める「義務」が履行されるからです。さきほどの「教育を受ける(子どもの)権利」もそれを保障する親や行政の「義務」が明らかに先行しなければどうにもしようがないでしょう。「信じる権利」で最初に想いだすのは「信教の自由」で、この価値は広く普及しています。だが、ここでカレン氏が言及したのはもっと別次元といっていいか、私人間的(表現は適切じゃありませんが)なものだと思われます。

 あなたが言うことは正しい、と「信じる」「信じない」自由ということでしょう。「神に誓って、自分の言うことは正しい」というあなたの言を信じないというのも、一つの権利なんだというのです。これはどうですか。ぼくはあなたの意見に賛成はしない。でもあなたに対する敬意は失わないでいる。異説には反対もあれば賛成もある、でも異説を表明する人に対する敬意はなくならない、こんな対人関係こそが求められるのではないですか。たがいを尊重するというのは、敬意をもって相対するという意味だとぼくは考えています。それがなくなれば、集団(社会)は異常な緊張をつねに持つのではないでしょうか。あるいは敵対関係が生まれるかもしれない。こんな事例は日常生活でしばしば経験するところでしょう。「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」ではあまりにも寂しい。 

 教育に寄せて、これを考えるとどうなりますか。行政が学校設備を整え、教師集団をそろえ、教科書等の条件を整備する「義務」をはたす。そのうえで、「保護する子女」の教育を享受する権利を実現するための親たちの「義務」が求められるのです。権利と義務の両面がそなわらなけれならないのはいうまでもないことです。「子どもの権利」は「親の義務」があってはじめて尊重されるのです。これが義務教育の根底を支えている。

 2

 今この瞬間に、この島でも新型ウィルスの感染問題が緊迫した状態に置かれているのが身に迫って感じられます。「国民の生命・財産」を守るべき主体がまじめさを欠いたままで、口先だけの言葉遊びで、それをごまかそうとしても、ぼくたちがさらされている危機は消えない。許せないことだらけの政府をはじめとする政治家への不信の念は頂点に達しているにちがいない。

 おのれがやっていることに対する自覚があるのかないのか。「おのれ」がしかるべき地位にある人物ならなおさらに、この権利と義務の問題を真剣に受け止めるべきだというほかない。「最要路の御仁」は「責任」ということばを盛んに口にしてきたが、一度だって「責任を果たす」ということをしたことがないようです。「責任」を唱えればそれで「責任」が成就する(果たした)と思いこんでいる。この御仁には「責任」と釣り合うものがなんであるか、おそらくまったく無知(無恥)なんだ。無知ほど厚かましいものはないし、怖いものもない。責任と釣り合うもの、それは自由です。ある人が自由に判断し、それに基づいて行動したから、その人は責任を問われるのです。犬や猫には責任を問えないと思います。なぜなら、これはぼくの認識不足かもわかりませんが、犬猫には自分で判断し行動するという「自由」が認められない(とぼくは今のところはそのように考えている)からです。なにか問題が生じたら、飼い主が責任を問われる。この島の「裸の大将」に自由はあるか。議事堂内で、ひたすらかみさんを弁護・擁護・養護するばかりの「裸の大将」は自由なんだろうか。Power の虜となって、自らの欲望に縛られていないか。そんな輩に「君は自由である」とだれが証明できるのか。

 これを書いている今、刻々とウィルス感染の実体が報道されています。ぼくが住んでいる地域でも感染者が出ていますし、そのために学校に休校措置が取られるといわれます。「責任」を口にする以上は、それを果たすということが伴わなければなんの意味もない。「放置国」「法痴国」と揶揄したくなるのはぼくの軽薄の故ですが、それ(軽薄性)を認めたうえで、このようにして「責任」をはたしたという行動がとられないなら、なんとする。集会は禁止、通勤も禁止、不要な外出も禁止。その他。はたしてそれが可能かどうか。為政者がしばしば見せたこれまでの国民軽視や無視のツケがこれ以上われわれに回ってこないことを祈るだけです。(「信じる自由」については、さらに考察します)

 まちがえる権利について

 今までどれくらいぼくはまちがいを犯してきたか。大きなまちがいから些細なまちがいまで数えきれないまちがいを重ねてきた。そう考えれば、ぼくという人間は「まちがいでなりたっている」といわなければならない。反対に、ぼくからまちがいを除いたら、いったい何が後に残るのか。

 まちがいには二通りあるように思います。第一は、個人が犯すまちがい。きっとこれはだれにも避けられないものでしょう。「私はまちがわない」という人はそれでまちがいを起こしています。「おれは嘘をついたことがない」という「嘘」を重ねるのに似ています。

 脱線します。「クレタ人はみな嘘つきである」とクレタ島出身の哲学者エピメニデスは言ったとされます。これは有名な「パラドックス」です。「すべてのクレタ人が嘘つきだと、クレタの人であるエピメニデスは言った」というのですが、この「すべて」にエピメニデスも入るから、「クレタ人はみな嘘つきだ、と嘘つき島の人エピメニデスは言った」という矛盾。じっさいには「自分を除いて」クレタ人はみんな嘘つきだと彼は言ったとされます。ぼくがよく引き合いに出す「みなさまの」N H Kという、「みなさま」にぼくは断じて入りたくないし、入れられたくない。だから「みなさまの」は嘘じゃないかともいえるでしょ。なんだ、つまらない。

 「人はみなまちがいを犯す」という言いかたも同様に誤解(まちがい)であり、まちがえない人もいるかもしれない、きっといるとぼくは考えています。幼児はどうか。赤ちゃんはどうか。そりゃあたりまえだよ。幼すぎてまちがいようがないよ。さらには…。赤ちゃんも幼児も人間ですよ。ならば、「人はみなまちがう」は正しくないことになる。理屈がへんてこになりましたが、要するに「たいていの人はまちがう」といえばいいだけです。ぼくもまちがう。あなたもまちがう。彼も、彼女も。ほとんどの人はまちがえる、と。ということは、まちがいは人間である証明じゃないですか。この「まちがいを犯す人間」こそが、親鸞が指摘するところの「悪人」なんだと思う。つまりはほとんどすべての人間。それに対して「まちがわない人」はいったいどこにいるのか。これまでに生きた人間の中でどれくらい(何人)いたか。それが「善人」というのでしょう。悪人正機説です。

 第二のまちがいは、集団としてのまちがいです。自分はまちがわないと誓い、それを実行することがあり得るとして、「自分はまちがっていない」と信じていても、自分が属している集団がまちがえることもまた否定できません。表現を変えて言えば、「個人」としては立派でも、それが「集団」になると信じられないことをする場合もあるんじゃないか。「日本人」という集団を例にとれば明らかになるはずです。「一人の日本人」は正しくても、「日本人という集団」が大きなまちがいを犯す。「ぼくは戦争に反対だ」という個人を「挙国一致」で「聖戦遂行」が呑み込んでしまった。その「過ち」の延長線上にぼくたちはいる。

 個人のまちがいに比べられないほど集団のまちがいの罪は大きい。

 ここでは個人(自分)のまちがいを考えてみたい。行為なり考えが「まちがっている」という自覚が働くか否か、それが問題でしょう。まちがいだと知りながら「まちがう」ことはいくらでもある。もちろん正しい(まちがっていない)と思いながら「まちがう」方がはるかに多いのはいうまでもない。どちらも「まちがい」だから、許せない、認めないというのではない態度で、ぼくは「まちがい」に向き合いたい。「人を殺すのはよくない」とまずだれでもが思う。だが、「かっとなって殺人」を犯してしまう人は後を絶たない。「飲酒運転はだめ」と知りながら止められないで事故を起こす人もなくならない。ぼくがここで「まちがえる権利」というのはそのような「不注意なまちがい」を認めようとするからではありません。

 場面を転回させます。学校という場所は「正しい答え」を詰めこむ「トランク」製造工場みたいですね。生徒は「トランク」(ではないといったのは、ホワイトヘッド)という芸名をつけられ、市場に売りにだされる。正解を知っているのは教師、それを受け入れるのが生徒の仕事。ある問題に「正解」は一つだけで、それを決めるのは教師です。〇か×か(正か誤か)。ニ択ですね。そこでは「まちがえる」ことはダメ、いけないこととされます。ぼくはまちがい人間でしたから、学校ではいけないこと、ダメなことばかりしていたことになります。ぼくにはまちがえる権利はみじんも認められていなかった。でも、それはぼくだけではなかったように思う。「勇気をもってまちがえ給え」という教師は皆無だった。

 反対に「正解」を受け入れるのは義務でした。いったいだれが「正解」を「正解」として決定するのか。ぼくには疑問だらけだったし、そこから学校や教師に対して不信の念が生まれた。年とともに不信感は育っていった。高校・大学と進むにつれて、一人でやんなくちゃという姿勢・態度が身につくようになりました。よくわからない大学への入学と同時に不信感は絶頂に達したと思う。どんな問題にも「正解」があるというのは「まちがい」だ。「これしか」正しくない、「これだけ」が正しいというのはどこかに不正があるように思われてきます。いくらだって、他の道(やり方)があるじゃないか、とは考えない。なぜか。いくつも正解があったら、「試験(テスト)」がなりたたないから。ということは、「試験およびその結果である成績・点数のため」に「正解」は一つという欺瞞がまかりとおっていることになる。恐ろしいことですよ。人間社会で「答えは一つだけ」などまずないでしょう。いくつあるかもわからない。「正解」とされたものが「不正解」になることだってあるでしょ。ここで「センス」の鵺(ぬえ)のような正体が見えてきます。「鬼畜米英」は「最良の友好国」になるみたいに。豹変するのは君子ばかりではなさそうです。

 「まちがえる」のは大切な「権利」だととらえたい。(「まちがい」そのものは権利じゃない)「まちがえるというプロセス」は思考の時間ですから、それを奪うとどうなるか。「まちがい」から探求が生まれる。まちがいは探求(学ぶこと)の母だか、父だか。要するに「親」だ。まちがいという「親」から「自立」(自信)という子が生まれる。まちがいのない人生があるとすれば、どんなものだろう。他人が用意した「正解」を受け入れるだけの生き方はつまらないと感じるし、だからぼくは拒否したい。まちがえることを恐れない。機械はまちがえるか。人間の操作の過ちや部品の故障はありますが、自分で判断して右を左ととりちがえないでしょう。言われたままに動くか動かないかだけです。まちがいを犯すのは人間だけだといいたい気がする。まちがいをするのは人間の証明じゃないかと、ぼくは経験してきた。「車は急に止まれない」というのも、車が止まるのではなく(人間が)車を止めるのでしょ。(もっとも、今では自動ブレーキなるものを装備した車が出現してきましたが)

 人と同じ道を歩くなら、ぼくはできるだけ遠回りする。「歩く」は「考える」なのだという幸田文さんのひそみにならうのですが、バイパスをさがすよりも、脇道を見つけて回り道をする。それがぼくの歩き方でした。いまも変わらない。漱石さんじゃないけれど、ぼくは道草派です。寄り道大好き人間です。勤め人時代は連日連夜の寄り道・道草三昧境でした。とにかく帰宅に時間がかかりました。ほとんどが終電(午前零時)でしたから。以来、「午前さま」との名乗りをあげた。

 だらだら話してますが、いいたいのは「学校を相対化する」必要性なんです。高校時代にぼくはよく早引きをしていました。教師から「今日もソータイカ」と皮肉られたのを思い出しました。「相対化」(相対= 他との関係の上に存在あるいは成立していること)(大辞泉)相対死ってのも。表と裏ではないが、二つがあってはじめて成り立つものがいくらもあります。教師だけでも生徒だけでも学校は成立しない。生徒がいるから教師の仕事が生まれると教師はあまり考えないんじゃないですか。

「絶対」ではないということです。唯我独尊とは無縁なんです、衆生の世界は。

 ぼくがいるから学校があるという関係です。相対(そうたい。または、あいたい)は対等・平等という意味ですね。ぼくにとって学校は、ぼくの上でもなければ下でもない。ぼくと相対。ボチボチまたは、、チョボチョボですね。学校が個人を圧倒して呑み込む、強制して個人に命令する、独断的に個人を抹消する(個人の言い分・存在を無視するという意)などというのは、いうまでもなく「権利の侵害」です。面倒なところに来てしまいましたが、学校は個人に対して「絶対的存在」じゃないという咄です。

 たしかに学校はあるが、おれ・わたしに命令する権限などあるものか、という姿勢。すこしヤンキー臭いけど、そういう態度は大事ですよ。自分を壊されてまで、学校に密着する・近づく必要なんかあるものですか。学校や教師と距離をとる。間合いですね、大事なのは。こういう学校観もまたぼくの「まちがえる権利」の行使から生まれました。ぼくの姿勢は多分まちがいだと取られるでしょう。それはわかるんです。この点において、だからぼくがは正しいというつもりもないんですね。正しい、まちがい、それもまた相対的なんですよ。学校とぼくとは五分五分なんだ。

 子どもの「まちがえる権利」を認めなければ、子どもはまず考えたり判断したりする点でじゅうぶんに育ち切らないということだけがぼくの言い分なんです。利口な子は要領がいい、要領の良さはどこから生まれるか。遠回りをしない(考えたり迷ったり悩んだりしない)からです。二点間の最短距離を見つける能力(「学力」→「偏差値」)にたけているんですよ。でも「正解」のない世界(場面)で生きるとなると辛いでしょうね。  「まちがえる」のは「正解」を鵜呑みにするよりはるかに貴重な人間(子ども)の成長の機会なんだ。それはだれによっても奪われてはならない。「悪くない、まちがっていない(変な表現ですが)まちがい」というのがありますね。まちがいから真が飛び出すような、ね。「まちがいのおかげ」とか。「瓢箪から駒」なんていうものの比じゃありません。

 「役に立つまちがい」とでも言いますか。「まちがってよかったというまちがい」です。この駄文が、そういうまちがいだといいな。(権利もいろいろね)