動物園は学校だという雑談

 いまどきの動物園は子どもたちの学校も顔色を失うような一芸や二芸どころか多芸に秀でた優等生が各地で覇を競っている。そのうちに各種科目の甲子園大会なるもの、あるいは共通一次試験などが開催されるかもしれない。いや、もうすでに犬や猫のコンテストが盛んになっている。という具合に、教育効果は動物たちの上に如実に表れている。成果を上げるために飼育員さんたちは教授法を極めようとし、研究会を開いて日夜励んでいるだろう。努力はきっと報われる。小生の寓居近くに「鼠坂」なる県道が走っている。乃木坂だの欅坂だのと、坂ばやりだが、いずれは素敵なネズミさんがセンターをとる「何人組」かが出てくるにちがいない。チュー目するといいな。

 ぼくは久しく動物園に行かないが、至って物臭だからというだけの理由である。理屈を言えば「人間園(社会)」の方がよほど面白い、怖い、凄い、いや理不尽な事例に事欠かないほどで、この先どこまで堕ちていくのか、それを想って気が狂いそうになる。ゆとりも遊びもなく、マジで親殺し、子殺しが続発しているという惨状。体力は十分にありそうな若者が他人の稼ぎを横取りする。老境の域に達している人間をだまして大枚を巻き上げる。たしかに応接にいとまなしとはこの状況をいう。嘘は休み休みにどころか、のべつ幕なしに衆生を虚仮にして開き直っている偉いさん(御仁)もいる。今や世界の「リーダー」だと自認しているそうだ。

 整然とした、静寂の気が満ちている動物園こそ楽天地なのだろうか。いずれにしろ、塵芥にまみれて人間界に足や首を突っ込みすぎて、いまはもうzooに出かける余裕すらないというのが本音。

 以下、閑話の中の閑話。これまで以上の与太話になるのを許していただく。(表題の「雑談」は「ざつだん」でもあるが、ここは「ぞうだん」と読みたい。そこから「冗談(じょうだん)が生まれた。「冗談だろ」と言われても困る。これは歴史的に説明されてきた話で、「雑煮」を何と読む)

 ひとはなぜ動物園に行くのか、と問うてみる。どうしても行かねばならない理由はなにか、と。即座に、理由などあるものかと一喝されそう。したがって、この愚問の解答は自明だ。「人たるもの、動物園に行くべき」と法律に書いてあるわけではない。

 ところが、既存の学校に対してはそうはいかない。憲法にも法律にも小・中学校(義務教育)に行かせなければならぬ(行かなければだめ)と規定されている。法律の面から言っても動物園と学校は異なる。また構造というか機能の面でも両者はちがう。第一、学校には檻がないではないか。(本当にないのか)動物の調教につきものの鞭もない。まして暴力まがいの訓練もないというのは建前。学校にあって動物園に見られないのは宿題だけかしら。たしかに、今どきの動物園は学校化(教育化)してきたのも事実で、各園では毎日のように発表会があるし、「授業参観」も。だからそれに備えてはげしい訓練も行われる。教える側も教えられる側も熱心にならざるを得ない。おれは猿だ、猪だと本性むき出しでは入場料を出してきてくれない。猿でも猪でも人なみ(猿なみ、猪なみ)に励まなければ園の経営に響き、はてはわが身の生存にかかわるのだ。ここも人間の学校社会と同様の競争原理が働いている。存続競争か。

 学校と動物園のちがいはなんだろう。片方には本物の猿もいれば狸もいる。象も熊も狐も、あるいはサギさえもいる。学校にも顔つきも仕草も、あるいは声までも、ある動物にそっくりな教師(や生徒)がいるだろう。だから、この二つは同根だと言い募る人がいてもおかしくない。(いや、やっぱおかしいよ)はたして、動物園は学校なら、学校は動物園といえるか。(どういうわけだか、動物の人間化と人間の動物化が同時に進行しているさなかのように思われてならない)

 動物園が学校だなどといった手前、少々小物だが、ここでメダカの学校とスズメの学校に触れる。 元祖「めだかの学校」は神奈川県下の小田原近郊にあった。第二次大戦直後にさかのぼる。今は小田原城近くの荻窪に新設(1996年8年5月)され、名誉ある学校の伝統を墨守している。加えて、各地各所に多数の分校が現存している。メダカのブリーダーも盛業中のようだ。今では楊貴妃だの紫式部などと高貴なメダカ(名門出)が高貴ぶりを発揮し、好事家に高く評価(要するに売買)されている。日本のメダカの生態や生息状況は単純ではなく、なかなか複雑な歴史を示している。学校が創立されるよりはるか以前に、日本の各地には固有種ともいうべきメダカたちがそれぞれの固有の文化を紡いできたのである。何事にも意味があり、歴史があるという好例だが、このメダカを絶滅危惧種にしてしまったのは、やはり人間界に横溢している傍若無人な生存欲だった。

 その「メダカの学校」が創設された経緯はよく知られている。創立者で初代校長は茶木滋氏(1910-1998)である。横須賀出身だった。製薬会社勤務中に「めだかの学校」を生んだ。晩年は千葉の船橋に居住されていた。一度お会いしたような気もしている。学校創立は1950(昭和25)年。それには「みなさまのN●K」も一枚かんでいた。(詳細は省く)この学校の校歌が「めだかの学校」で中田喜直氏(1923-2000)作曲。人口に膾炙したのは「だれが生徒か先生か みんなで元気に遊んでる ♪」というくだり。中田の父は章氏(1886-1931)で「春は名のみの風の寒さや」で始まる『早春賦』の作曲家。ぼくはこの歌が大好きだ。(勝手にしろよ)

 だれが生徒でも先生でもない。階級分化などしていないと評価されたというのだ。あるいは「わたし教える人」「あなたは教えられる人」という役割分担がない、たがいが教え、学びあう。まさに平等の関係が謳われている。ほんとうにそうか。メダカの習性に照らして、そのような平等尊重の精神(?)などが考えられるのか。ぼくのところにも小さな人口池(つまりは水溜まり)があり、だれか知らないうちにメダカを何匹か入れておいてくれたのが、五年も六年も生きている。もちろん同一個体じゃない。ときに観察(授業参観)してみることがあるが、たがいに教え学びあっているとはとても思えない。想像以上に生存競争は激しそうなのである。こんどゆっくりと彼や彼女にインタビューしよう。(つづく)

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dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。