教育は強制ですか(承前)

 学校は一つの制度である。この点についてはいくつかのポイントを押さえなければならないが、それについては後に触れる。ここでは「教師=教える人」と「生徒=教えられる人」という役割分担が自明の前提になっている組織であるということだけをいっておこう。「教師vs.生徒」の関係は反転しない。

 さらに急いで付言しておくが、このエッセイまがいの駄文ははホルト論ではないし、学校教育の是非を述べるものでもない。それは現役で店を張っている研究者や教育者がやるべき仕事であり、このぼくは、他には観衆がほとんど見られないうらぶれた外野席、それも球場の外にあるような原っぱにぽつねんと座している「学校・教育」の部外者であり、門外漢であると告白しておきたい。「部外者は立ち入り禁止」という張り紙が目に入るが、入ろうとしなければ、部外の者には無関係。とまあ、告知だけはしておこう。ぼくが願うのはことに当たって、すべからく部外者であり続けたいという姿勢だ。外から球場内の試合をただ見するつもりもない。入場料を払ってまで見る価値があるかどうか。ぼくには判断できないが、たぶん金は無駄にしたくないという貧乏根性に身を任せるにかぎる。学校内や教室内でどんなことが行われているのか、まんざら知らないでもないし。

 ホルトに戻る。ジョン・ホルトは大学を卒業して小学校の教師になった。熱心な教師であった彼は、だんだんと「学校改革」にエネルギーを注ぐようになった。「<学校>をなんとか変えなければ?」「子どもが生き生きするような学校はどのようにしたら作れるか?」信じられないが、こんなことをまじめに実行しようとするのだから、「マジで」と腰を引きたくなる。「魚屋で大根を求める」の類だったと思う。彼にはとてつもない経験になったはず。手にした一本のスコップで大山を掘り崩すような難行だったろう。だが、かれは賢明であった。「学校は変えられない」、それなら「自分を変えよう」と「脱学校」「非学校」を図ったのだ。

 そしてついに「学校(教育・学習)に代わるもの」を求め続けた結果、全米でも屈指のホームスクーラーの先陣を切る人となっていく。1970年代から80年代ににかけてのことだった。彼の立場はじつに明確である。「物事を成し遂げる、すなわち、主体的で目的に満ち、意味に溢れた生活および仕事」というものと、「教育、すなわち、脅しや褒美、恐怖や欲望の圧力下で行われる、人生から切り離された学習」とはまったく別物だという視点を実践や理論の核心にすえた。どうでもいいことなら教えられるが、人生にとって肝心なところはまず無理だ。

 かれは教職にありながらたくさんの著書を出版し、そのどれもがミリオンセラーになった。それだけ教育や学校に関りや関心をもつ人々がかれの主張に耳を傾け、その実践活動に参加したということだと思われる。さらに彼はハーバード大やUCLA大(バークレイ校)の招聘教師になったが、大学からはたいして支援を得られなかった。それは当然で、当の場所(学校)におりながら、自分のよって立つ足元を切り崩そうとする人間に好意を抱く学校関係者はいないだろうから。大学教授に何ができるか、できたか。かれは自らを律したともいえる。

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dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)