教育は強制ですか

 Teach Your Own. ― アメリカのホームスクール(または、学校解放)運動の推進者であった John Holt(ジョン・ホルト。1927-1985)のもっとも重要な著書のタイトルです。(1981年刊。邦訳は『なんで学校へやるの』1984年刊、一光社)このタイトルに留意したい。「自身を教えなさい」とでもいうように、「自分の教師は自分なんだ」というのだ。「習うより、慣れろ」といわぬばかりに、他者から「教えられる」という学校にあってはお定まりの姿勢をはげしく否定した。世に「ホームスクール教育」「ホームスクーラー運動」と呼ばれるようになった嚆矢である。「学校」にも「学習」にもかれは見切りをつけた。

 《「学校」を変革することは可能か?―という問いに、「否」の答えを返す前に、私はより根底的な疑問を抱くようになりました。「学校」とは、たとえそれがうまく運営されるとしても、一体全体、なくてはならないものなのか、と。「学校」は学習の場として最善のところではないのではないか、と否定的な見解を持つようになったのです。ある特殊な技能教育の分野を除けば、「学校」などたいして存在価値がないのではないか、と》

 《私自身の胸に聞いてみても、現に私が知っている知識の大半は、「学校」で習ったことではないのです。集会、ワークショップ、セミナーなど、いわゆる「学習環境」とか「学習経験」という言葉で総称される場所なり機会のおかげで身につけたものでも全然ないのです》 

 《時間が経つにつれて、私の疑いはさらに深まり、「学習(ラーニング)」という言葉それ自体にも、ある種のうさん臭さを感じるようになりました》(以上、邦訳『なんで学校へやるの』(大沼安史訳)から)

 ホルトが没してから35年以上が経過した。ぼくは若いころさかんに彼の著書を読んだ。折しも日本の学校は狂乱期(「受験戦争」と称される反教育とそれが生み出した「学校・教育」の目を覆いたくなるような荒廃)にあたっていたと思う。70年代からの十数年のこと。学校は改革できると元気な老や若たちは意気込んだが、ぼくはそうじゃなかった。学校が変えられるとは思いもしなかったし、また変わってほしいとも考えられなかったから。言ってみれば、それは必要悪として飲み込む、やり過ごすものだった。学校でなにかを教える(学ぶ)なんて、ありえないと心底思っていた。それはぼくのいやな、しかも厳然として負わされた小・中・高校時代の苦々しい経験から「学んだ」(反語的にいえば)事柄だった。不幸なことであったが、学校や教師にはいつしか不信感を隠さなくなった。そしてこれまた荒廃のさなかにあった貧寒たる都市の大学に入ってから(あるいはそれ以前からも)、いずれ郷里に帰って山村の学校教師にでもなろうかと漠とした妄想を思い描いていた。そんなときにホルトに遭遇した、まさにencounter。

 最初はHow Children Fail.(1964年)。さらにHow Children Learn.(1967年)。辞書を片手におぼつかない読解力だったけど、懸命に読んだことを今でも覚えている。彼の主張は一貫していたというか、いや教職経験の積み重ねに応じて、大きく変化していったというほうが正確だろう。「学習の場として、学校は失格だ。それにはたいして価値などないのだ」と、ここまでは多くの人も言うことだが、かれはさらにその先を求めた。それを鮮明にしたのが、Teach your own. だった。学校制度からの解放(脱学校)宣言であったと思われた。

 ホルトはアメリカを襲った経済恐慌時代直前のニューヨークに生まれ、そのあとに二人の妹がつづいた。やがて一家はニューイングランド地方に移住し、そこで学校教育の洗礼を受けた。学校はかれにとってけっして快適な場所でもなければ、どうしても行かなければならない聖地でもなかった。生きることに必要な物事はまず学校では教えられもしなければ、学ぶこともなかったというのだ。大学(Yale Univ.)を43年に卒業し、その後、海軍に入隊。戦後の46年に除隊し、いくつかの経歴を重ね、53年にコロラド州の私立学校の教員になった。それを勧めたのは妹たちだったという。どうしてだったか。「にいちゃん、小学校の先生になるといいよ」と言われた兄は、その通りにした。

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