人間は間違える葦である

「…難しいことがあっても、すぐに何でもかでも脇の人に聞いて解決するというやり方は、決して推奨できる仕方ではない。他人に教わったのでは難儀の一時逃れをしたようなものだ。必要なのは考えることだ。しかも辛抱強く考え尽くすことだ。難問の巨岩に出くわしたなら、そのとき精神はその岩に食いついて動かすのだ。あっちの隅っこを掘り、こっちの隅に梃子をつっこみ、そして少しずつ動かすのだ。どんな巨岩でもやがてころがり出すものだ。人間は自分で捜し求め、発見したことしか好くは知らないのだ。知識は教わって覚えた場合と、考えて獲得した場合とでは精神の成長の点からは全く異なっている。

科学の勉強のときには特にこのことは大切だ。大体科学の本は解くべき謎の連続のようなものである。謎は鍵がわかってしまうと、何でもない当たり前のことでしかない。他人に一つの謎を教えて貰ったら、も一つの謎に出くわしたとき、また教えて貰わねばならない。反対に最初の謎のとき解く鍵を苦心して捜し求め、発見したのであったら、精神はすでに訓練を経ているので、第二の謎を解く鍵を発見する準備ができている。他人に鍵を聞いたのではこの訓練が精神に欠けているので準備がないといえる」(山田吉彦『ファーブル記』岩波新書。1949)

独学で知識の砦を築いたファーブル(1823-1915)の学習方法がどんなものであったか、山田吉彦(きだみのる)さんが明かしてくれている。そして、この山田さんはどんな人生を歩いたか(放浪したか)。彼はみずからの履歴を次のように述べています。
「私はどの大学も、どの研究所も出ていない。中学以上の卒業証書は持っていない。本を出すとき巻末に著訳者の経歴を記す習慣があったころ、編集者は言ったものだ。
― 慶大経済学部、慶大文学部、パリ大学文学部、パリ上級研究所社会学部、みんな中退ですか。一つくらい卒業と書いときましょうよ。

多分そのときの本には何処かが卒業と書いているかも知れないが、中退だ。
私の青春の頃はこんな考えだった。
勉学の途に卒業なんてあるわけはない。それは一生歩かねばならない道だから。私はそれ故、卒業証書の力ではなく、その時の私の力でメシを食うことにしよう。
この考え方は、中学時代に私が二年ばかり引き取られて住んでいた叔父は大学を苦学して出た法学士だったが、家には本がなかったのでその反動として生まれたのであろう」(「生のジャングル」「人生レポート」所収)きだみのる自選集第四巻、読売新聞社刊。1971)

● きだ・みのる(1895‐1975)小説家,エッセイスト。本名山田吉彦。奄美大島生れ。慶応大学理財科中退。パリ大学でマルセル・モースに師事。《気違い部落周游紀行》(1948年)で毎日出版文化賞受賞。東京近郊の村落共同体の持つ日常的な論理を描くことによって,特異な文明批評の観点を確立した。翻訳にレビ・ブリュール《未開社会の思惟》,ファーブル《昆虫記》(林達夫と共訳)などがある。(マイペディア)
若いころ、ぼくはきださんに相当にイカレていました。どういうところにだったか、とにかく固まらない、のびやかさと、ぼくの目にうつった部分にぼくは憧憬の念を強くいだいたと思う。「定住」じゃなく「漂泊」の人生に。今回、この駄文を書くために何年ぶりかできださんと再会したような気がしますが、やはり物事にとらわれない彼の生き方は(真似られないだけに)、じつに鮮やかだという印象を強くしたのでした。(他人の気も知らないで、というぼくの勝手な思い込みがあるのは確からしい)
「勉学の途に卒業なんてあるわけはない。それは一生歩かねばならない道だから」というのがイカスでしょ。学歴を誇るのではなく、学歴病を峻拒する姿勢(態度、つまりは思想)は若いぼくを感電させたのだ。ぼくには誇るべき「学歴」も「学校歴」もない。幸いなるかな、だね。