私がスパルタクスです(20/06/02)

 

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

        

 民主主義に連なる anecdoteとして

 辺見庸さんの著書『愛と痛み 死刑をめぐって』(毎日新聞社。08年)からの引用。「紀元前七三年から七一年にかけて共和制ローマで剣闘士・奴隷の反乱が起きた。反乱の指揮者のスパルタクスに逮捕状を出したローマ官憲は奴隷たちを集めて問うた。『スパルタクスはどいつだ?』。剣闘士・奴隷たちはどうこたえたか。

《「スパルタクスはどいつだ?」と問われたとき、剣闘士・奴隷たちはこうこたえました。

 黙秘するのではなく、また、問われる前に注進にいくのとはまったく異なる精神がここにある。個を発現してしいく。個を突出させていく。個が名乗りをあげる。そのありようを私はかたりたい。

 「私がスパルタクスです」

 長い間、二千年以上の歴史の彼方にこのような個の芽生えがあったのです。それを誇りにしてきたものと、誇りにしてこなかったもの。私たちは個をできるだけすり減らして生き、沈黙することがせいぜいの良心だったのです。

 すべての奴隷が「私がスパルタクスです」とこたえ、みずからを差しだした。このような個のありようが本質的な愛につながり、世間という世界に類を見ない文化をもつ個の国の日常のなかで、死刑を根絶するための礎になっていくのではないでしょうか。だから私はスパルタクスの問いを決して手放したくない。

 …スパルタクスの反乱は鎮圧されてしまう。反乱軍に加わったおよそ六〇〇〇人の奴隷は捕虜となり、カプアからローマに向かうアッピア街道に沿って奴隷たちは生きたまま十字架に磔にされてしまうのです。イエス・キリストに似せられた無数の奴隷たちの磔、これは悲劇的な壮観です。支配者たちは彼らが遺骸となった後も決して地におろしてはならないと命じる。そののち何年にもわたって街道を通る者は累々と並ぶ死体の列をまじまじと見つめたことでしょう。ここに死刑の、徹底的に見せつけて恐れさせるという本質の一端があるのです。この本質は二〇〇〇年後の現在も変わってはいないでしょう》

*スパルタクスの反乱=剣闘士(グラディアトル)の反乱とも。前73年,南イタリアのカプアに起こった。指導者はトラキア人の剣闘士スパルタクス Spartacus。各地の奴隷も加わり一時は約7万人の勢力となり,ポー川の平原にまで北上したが,前71年クラッスス,ポンペイウスらによって鎮圧された。)(マイペディア)

++++++++++++++++

 世間(全体)に同化・同調することにかけて、この島社会はきわだって機敏・過敏であるのはなぜか。島グニ根性などと揶揄されるような言い草は間違いだ。そんな卑しい根性は伝来のものではないと思われます。いつか作られて、「自然」であるかのように装われ、飼いならされたのです。近年は、いつでもどこでも「正義と悪」(賛成と反対)の二つの立場が究明(糾明)され、すくなくとも「自分」は「正義」の側に立とうとする、立つふりをする。この場合、マスコミは「自分」であり、「自分」は世間であると思い込んでいるのです。でも、こんな偽装はもはや崩壊過程に入って久しく、いまや壊滅寸前です。

 自分を巧みに隠して(無意識のうちに)、世間(全体)はしたり顔をする。「存在への疑いを手放さず」、です。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>