月日過ぎただ何となく彼岸過ぎ (風生)

2023年6月
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 本日は三月ニ十一日、「彼岸の中日」です。「彼岸会(ひがんえ)」の略。春秋の二回、この日の日没が真西に当たることから、「西方浄土」信仰を旨とする仏教の教義に合致したとして、盛んに行われるようになったのは平安時代以降。ぼくのような罰当たりは、「西方浄土」に関わりなく、この習慣(慣習)はお寺さん主催の春秋の祭典(稼ぎ時)のようなもので、それはまるで春・夏の「甲子園(高校野球)」の祭典で、劣島人は誰彼なく、高校球児の一挙手一投足に熱を上げる年中行事に瓜二つの催しに映ります。とても信心深い人なら「お寺参り」をするのでしょうが、多宗教派は、この「彼岸」にはせいぜい「お墓参り」で済ませるでしょうし、ぼくのような無信心者は、それさえも億劫に思ってしまう。だからこそ、風生さんの句境に相似るのでしょう。忌日からは遥かに隔たれば、この日は普段の一日に変わらない、休日「春分の日」となるのです。敗戦までは「春季皇霊祭」(皇室における皇祖皇霊を祀る「大祭」)と称されていたが、戦後に「春分の日」として「祝日」に指定されたもの。(祝日と祭日は、その内容が異なります。皇室の行事(だった)かどうか、です) 

 朝から曇天で、今にも降りそうな気配があります。つい先程(六時半頃)、ゴミ出しに行ったら、すぐ近くの一本の木に、白い可憐な花が咲き誇り、その花々にウグイスが十羽ばかりも集まっていました。後ろを振り返ると、少し大きくなったソメイヨシノが開花して明るい雰囲気を作っている。白い花の木の名前を直前まで覚えていたのですが、ウグイスに気を取られている間にド忘れしてしまいました。多分「すもも(李)」だったと思います。それにしても、たくさんのウグイスが寄り集まって、木にいる虫を啄(ついば)んでいるのでしょう。鳴くことを忘れて忙しそうでした。俗に「梅に鶯」といいますが、実際にはそれは「メジロ」だそうです。我が庭の老梅に「ウグイス」が止まっているのを見た記憶がない。ウグイスと言えば、ホトトギスを自称していた、正岡子規(1867.10~1902.09) にも「ウグイス」を詠んだ句がいくつかあります。「子規」は「杜鵑(ホトトギス)」の別名・異称でしたから、まるでホトトギスがウグイスを詠みこんだみたいで、なんだか可笑しい気がします。

  ・人もなし鶯横町春の雨

  ・我病んで鶯を待つ西枕

  ・根岸行けば鶯なくや垣の内

 いかにも徘徊の味がします。けれども、ぼくたちは子規居士の短命(早逝)を知っているがゆえに、そこはかとなく裏悲しい風情が漂うようでもあります。彼は三十五歳で人生を「卒然と去って」いきました。「卒」には「とつぜん」、あるいは「終わる」などの意味があります。「業を卒わる」の季節は続いています。

 春の弥生(三月)は「卒業(業を卒わる)」シーズンです。何事によらず、終わりのときですね、終わりというのは、変わり目であり、「始まり」をも意味します。フランス語で「卒業」は「commencement」で、それはまさに始まりを表現する言葉でもあった。始まりがあれば終りがあるのは、いのちそのもので、ぼくたちは、年々歳々、その生涯の「始めと終わり」を練習しているようなもの。始まりがあれば、ついには「もうこれっきり」という最期の最後が来ます。でも、その「最後」は今生の終わりであって、彼の世たる「彼岸」での明け暮れの始まりを意味するでしょう。とすれば、此岸(しがん)の生を終わり、来世(彼岸・ひがん)の生を始めるのは、「此岸」に残されたものではなく、「彼岸」に旅立った人です。それ故に、取り残された人たちは「送り人」となるわけですね。友人・知人やその関係者で、「旅立たれた人」はこぞ(去年)には、十人余を数えていました。それぞれの縁者に当たる人に遅れ馳せの「ご挨拶」状を出したのも、いつも通りでした。

 これまでにどのくらいに卒業式に遭遇してきたことか。自分の卒業式の記憶はほとんどない。多くは、ぼくが教師まがいになって以来の、職業上の(強制された)参加でした。それにはきわめて消極的な姿勢で臨んでいたようです。余計なことは言わないでおきますが、何にせよ「儀式」が大嫌いだったのです。「式目」などという決まりきった形が嫌でした。(「式」は法式、「目」は条目の意) あるいは「格式(きゃくしき▶かくしき)」などという「法規」「条例」など奈良や平安の時代からの遺物でしょうが、それがいまなお「格式」を重んじるなどという、嫌味な風潮がみなぎっているような、逆に寒々しい雰囲気をも感じてしまう。大学の「卒業式」の始まりは、一説では東京帝国大学創立初期のもので、明治天皇が「臨席」されたことから。「賞状・証書授与式」は、それ故の表現でした。つまりは、今もって「格式」だけがが重んじられる所以でした。反対に、だからこそ、中身がないということにもなる。

・たはやすく教師忘らる卒業後 (能村登四郎)

・卒業式劇の仕種に似て寒し( 宮坂静生)

・卒業の窓に垂れたり糸桜 (山口青邨)

 ともあれ、少子化の世のそれぞれの「卒業式」です。それはまた、新たな展開・場面の「入学式」でもあります。「一難去って、また一難」でしょうか。あるいは「天気晴朗なれど波高し」でしょうか。とどのつまりは「人生の卒業式」、それにもまた、粋にも思える、「はなにあらしのたとえもあるぞ『さよなら』だけが人生だ」と井伏鱒二さんはハナムケの言を吐く。さらには、「月に叢雲(むらぐも)花に風」となるのかもしれぬ。それぞれの「生き方の流儀」を失わないで歩かれることを、未知の方々に向けても、ささやかな心持ちでいうのですが、せめてもの「はなむけ(餞)」としたいですね。

・生きいそぐ旅にもあらず春の路(無骨)

 (余談 「彼岸の中日」に、切(拙)なる想いは巡ります。恥ずかしながら、我ら「割れ鍋に綴じ蓋」コンビは、今生の契りを誓って五十年目です(昭和48年3月21日、都内で婚姻)。いささかの「敬意」を互いに失わないでと、そればかりを肝に銘じてトボトボ・ヨロヨロと歩いてきたのでした)(2023/03/21)

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