非合法傾向愈(いよい)よ深刻化せんとす

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 昭和六年九月、「満州事変」始まる。戦端は「嘘から」開かれた。当時の在満州関東軍は、九月十八日、満州占領を意図して奉天郊外の柳条溝付近の満鉄線路を爆破、関東軍司令官は中国の仕業と、総攻撃を仕掛けたのです。時の関東軍参謀は板垣征四郎、石原莞爾らで、この事変では主導的な役割を担った。(機会があれば、両人についても言及したい。無駄話の類です。指揮者の小澤征爾さん、父君の開作氏は歯科医で、満州では板垣や石原らとは昵懇の間柄。板垣の「征」と石原の「爾」から長男の名前を貰ったという)

 自らがしかけて「中国軍」の仕業と強弁し、攻撃の糸口を作った。「嘘から、国家的な事変は始まった」のです。実際は戦争でしたが、「宣戦布告」をしなかったがために「事変」と誤魔化し続けた。ぼくは、この島の政治・経済・社会の骨組みやシステム、さらには役回りなどのすべてが、この「満州事変」で生み出され、以来、その満州遺産がこの島を乗っ取って来たという思いが濃厚にあります。いずれ、時間があれば、それらについても言及してみたいと考えています。第二次大戦で再起不能状態に至るまでに崩壊しなかったがために、満州体制は「天皇制」とともに温存されて、戦後社会に息を吹き返しました。いまここに、喉元まで出かかっているのですが(電通などの問題)、後日にします。政官財という「悪魔のトリオ」は満州事変で生み出されました。「悪魔のトリル」はタルティーニでしたが、それに劣らず、可憐な調べではなく、「地獄の沙汰も金次第」という、不協和音に満ちた競争曲をつくって、それはいまなお響き渡り、人民を苦しめています。

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 事変に際して、湛山は矢継ぎ早に筆法鋭く「反満州事変」論を展開する。

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 「去る十八日夜突如として奉天付近に勃発した日支軍隊の衝突は、逸早く張学良氏の満州支那軍に対する無抵抗主義言明を見、我内閣も亦急遽事件の拡大防止を決議声明せるに拘らず、事変は恰も枯野原に火を放ちたるが如き勢を以て、全満州から間島方面に亙って拡大悪化した。我国民中には之を以て或は満蒙問題の根本解決に到達する最も善き機会なりと考うる者もあるらしいが、果して、左様に楽観が出来ようか。記者は残念ながら見解を全然異にする。」(「内閣の欲せざる事変の拡大」昭和六年九月二十六日号「社説」)

 このように書きだして、軍部の圧力に屈する若槻礼次郎内閣のていたらくを叱咤した。つづいて、翌月の十日号(「満蒙問題の根本方針如何」)ではさらに筆先は鋭くなる。その一部のみを引用。

 「併しここに問題は、若し我国民が此際真に満蒙問題の根本的解決を希望するならば、其目的を達するに足るだけの、先ず十分の覚悟を以て臨まねばならぬと云うことだ。蓋し我国民にして従来通り、満蒙に於ける支那の主権を制限し、日本の所謂特殊権益を保持する方針を採る限り、如何に我国から満蒙問題の根本的解決を望むも、其目的は到底達し得ぬこと明白であるからだ。我国としては、或は満蒙に於ける我特殊権益を確立し、再び支那に兎や角云わせぬ情勢を作り得れば、それを以て問題は根本的解決を遂げたりと満足するかもしれぬ。併しそれでは支那の政府と国民とは納得しないに極っている」

 「戦の要道は、敵を知り、我を識るにあると云われる。之は平和の交際に於ても同様だ。然るに我国民の支那に対するや、彼を知らず、我を知らず、唯だ妄動しているのである。それでは支那と戦うにしても、和するにしても旨く行きようがない」「併し、満蒙は、云うまでもなく、無償では我国の欲する如くにはならぬ。少なくとも感情的に支那全国民を敵に廻し、引いて世界列強国を敵に廻し、尚お我国は此取引に利益があろうか。其は記者断じて逆なると考える」

 と、彼我の状況をよく知ることからしか、道は開けてこないと、諄々と説くのです。

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 満州事変の帰結がどのような事態をこの島にもたらしたか、ご承知の通りです。戦争を仕掛ける発端から「嘘」が吐かれてきました。たった一人の「嘘」ではなく、帝国軍隊そのものが「嘘の塊」となっていたのです。この戦争が経過する中で、誰か一人でも「嘘の塊」から脱出することが出来たら、と言っても始まらない。嘘をつくならとことんつく、地獄の沙汰も嘘次第です。嘘は雪だるまの如くにでかくなりますが、雪だるまのように「溶けてなくなる」ことはありません。戦史は、一面では「嘘史」です。有名になりましたが、戦時には「大本営発表」あり、平時には「関係筋発表」あり、事態は少しも変わらず、ぼくたちは、敵前逃亡もできずに、何回目かの敗北に突き進んでいるような気がします。

 戦時と平時といいますが、平時にも「戦時」はあり、戦時にも「平時」ありです。今現在は、何が戦時で、何が平時でしょうか。ぼくたちは、我が政治や政府と絶え間ない戦いを強いられています。下手をすれば、あるいは油断をすれば、寝首を掻かれ、ときには縊り殺されます。隙を見せるわけにはいかない。「戦争は嘘から始まる」という、とんでもない見本がのうのうと息を吸っているではないですか。

 ところで、海自のトップ連中が集団で感染しました、と(時事・12/21)。「テレワークで任務に影響なし」とはなんと幸いな、平和なことか。この島ではどこかと戦争なんてする気がないという証明ですね。「専守防衛」さえできないとすれば、少々どころか、大いにヤバいですが。以下は、素人考えですよ、どうして韓国や中国と「話し合う」機会を徹底して持とうとしないのか。「嘘から戦争がはじまる」、そして「肩ひじ張って、自己主張(相手非難)」という手法は、満州事変時代と瓜二つ。嘘をつかない人間が育たないと、戦争(大小取り混ぜての)は尽きないから。(島社会の海軍幹部が集団でコロナ感染、非常事態が発令されて、いったいだされが「指揮を執る」のでしょう。自宅だか私説に隔離されていますが、テレワークもできますし、携帯で「「指揮・命令」できるから、安心してほしいと、いうのも馬鹿だし、誰が信じます。いっそうこのままの「海自幹部」でいてほしい。更迭があるのでしょうか。防衛大臣の言やよし、「配慮が足りなかった」と。君がか、足りなかったのは。兄弟で「亡国の徒」とは美しい。

 「海自のトップ、送別会で飲酒」「幹部、コロナ集団感染」という報道は、軽く見られているようですが、実はそうではないという話。今から七十九年前の十二月、対米戦争不可避という危機的状況に置かれた帝国は、起死回生の大博打に出ます。「奇襲真珠湾攻撃」でした。当時も今も「宣戦布告」を出して開戦するのが国際ルール(殺し合いにルールというのも、なんだかね)でした。今でも国際法を無視して戦争(攻撃)するのはいくらでもある。一応ルールに従って帝国は、アメリカに「宣戦」を布告するためにワシントン大使館に電報を送った。現地時間で七日の深夜、日曜の早暁。日本では八日。現地大使館員は前夜、同僚の送別会とかで本国からの電報を確認するのが遅れ、翻訳が間に合わず、真珠湾攻撃は開始されてしまった。米側に「布告」が伝えられたのは開戦の二時間後だったとか。物量ではまず勝てない相手に対して、「だまし討ち」「鼠だまし」という奇策は通じるはずもなかったのです。しかし、「嘘」には人を以上に引き付ける力があるのか、なkなか政治においても止まない「嘘」でした。

 「卑怯な日本」というレッテルはかくして確定したのでした。嘘から始まる戦争や、飲み会で幹部が留守をしている間に敵国から攻撃を受ける。(具体例はないのかあるのか。それに近い例はいくつかありそうです)これは、本邦戦国時代からの常套「兵法」になっている感があります。仇や疎かに「嘘」を弄んではならないのですが。現下、それは一向に止まないし、政治家や官僚の「集団会食」「集団感染」も止まない。いずれ劣らぬ、「亡国の徒」というほかない。

 「歴史はくりかえす」のではなく「人間が(過ちを)くりかえす」んですね。湛山さんが書かれたものを読んでいて痛感するのは、軍人はもちろん、政治家や官僚も驚くほど視野が狭いし、己の身の回りしか見えていないという「全員が視野狭窄症」に罹患している構図です。これは、時代を経ても変わりませんね。「今(生きているうち)だけ・金(名誉・地位)だけ・自分(身内、仲間)だけ」主義(あるいは近視眼教)が社会を滅ぼすんですね。こんな「滅亡と再生」を何千億回繰り返してきたことか、人間(人類)は。

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 「我国の最近の有様を勘(かんが)えるに記者は、或は経済問題に就て、或は外交問題に就て、表面恰も一色に塗抹せられておるかの如く見ゆる新聞や雑誌や演説や決議に高唱せられておる所の思想と主張とが、我総ての国を憂うる学者や評論家や識者の抱ける思想と主張とを表しておるとは断じて信じ得ない。或左翼の評論家は之を評して「殆ど総ての真理は、そして当面最も必要な真理は、真理ほど論壇から駆逐され排除されてゐる。…言論に於ける外観だけのブルジョア・デモクラシーすらが、今や現実に消え失せた」と云うておるが、記者も亦正に我国の現況は然りと思う」(「真に国を愛す道 言論の自由を作興せよ」(昭和六年十一月十四日号「社説」)(左上写真「柳条溝(湖)事件」、リットン調査団)

 「自己の信ずる所を憚る所なく述べ、以て国に尽すの勇気」が著しく欠けていると嘆き、「此狂瀾を既倒(きとう)に廻(めぐら)す方法は、若しありとせば、唯だ自由なる言論の力のみだ。然るに其自由なる言論が、或力に圧伏せられて全く屏息(へいそく)したのでは国家の前途を如何せんである」と論じるのです。(2020年12月27日、記)(つづく)

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