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時あたかも大正自由主義(大正デモクラシー)の最も盛んな時期でした。今に至る、この島の多くの「私立小学校」は、この時期に創立されています。第一次世界大戦後の、束の間の華やぎがあちこちで見られたことでした。湛山氏の足跡などを年表風に並べます。明治四十四年(1911)一月、東洋経済新報社に入社。その前年には「韓国併合に関する日韓条約調印」。大正三年の日記には「(将来的には)政界へ出る」と記述しています。同年七月、第一次大戦勃発。翌月には日本が参戦。大正四年一月「対華二十一ヶ条要求書」提出。大正八年(1919)二月、普選期成同盟会結成、参加。本邦最初の普選要求デモに副指揮者として活躍す。六月には「ベルサイユ条約」調印。十月、ロシア革命が起こり、社会主義政権成立。大正十二年九月、関東大震災により、鎌倉にて被災。時に、湛山は三十九歳でした。
彼は忙中の閑を慰めるかのように、「小評論」というコラムでのびやかな筆を振るいます。以下は、そのうちの一篇です。些事を究めて、大事を射抜く、それが湛山の真骨頂であったと、ぼくには考えられてくるのです。「毒薬」も「神経衰弱の薬」も、言い得て妙というか、あるいは肯綮に中らなくもないといえそうです。(出題者の意を汲み、それへの忖度というのなら、試験の答案としては十分ではないでしょうか。この様に答えればマルをもらえるという心理は生徒のものであると同時に、教師のものでもあるようです)
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レニンは毒薬 東京市は、此頃、全国の小学校教員の中から、東京市の小学教師たらんと欲する者を募集した。其選抜試験にレニンとは毒薬の名、デモクラシーは神経衰弱の薬と答えた者があるそうだ。尤も此奇抜な答えをしたのは女教員だと云うことだが、併し男女を通じ百七十七名の受験者の中、レニンの名を知らなんだものは、なかなか多かったらしい(男約半数、女は殆ど全部と新聞は書いておる)。そこで東京市の当局は、師範教育を受け、多数の児童を預る教師が、斯んな没常識では困る、当局は、東京市の小学校教員で銀座を知らぬ人があると聞いて、全然信用しなかったが、今回の試験に依って、或は実際かと疑うようになった云々、と語っている。
知らぬが当然 併し吾輩に云わせると、小学教師で、レニンや、デモクラシーを知っているのは間違いで、識らぬのが当然である。と云うは外でない。我社会は小学教師に対して、斯る種類の知識の獲得を絶対に禁止しておる、若し間違って、そんな知識を頭に入れ、又は入れようとする教師があるならば、彼はさっそく危険思想家として、排斥せられねばならぬからである。鎌倉に在る神奈川師範学校の一生徒は、昨年、何かの雑誌に出た大杉栄氏だったか、山川均氏だったかの論文を読み、其難解の個所の質問を、筆者に発したとか、発しようとしたとかで、大問題になった。而もそれは新聞中の新聞を以て任ずる『時事新報』が、革命の陰謀でも嗅ぎ付けたかの如き勢いで書き立てたので問題になったのであった。斯んな有様で、仮令(たとい)レニンの名を知り、デモクラシーの意味を解していたとして、之を知らず解せぬ顔をしていねば、身が危いのだ。余程物好きな大胆な教師でなければ、そんな無用の危い知識を獲得しようと努むる筈がない。百七十七名の小学校教師の大部分がレニンとは何かと聞かれて、正当の答えをなし得なんだのは、けっして驚くべきことではない。
小学教師ばかりか 併し吾輩は茲で一つ聞いて見たいことがある。それはレニンとは何か、或はデモクラシーとは何かと聞かれて、之に正当に答え得ぬ者は小学教師ばかりかと云うことである。成る程レニンが露西亜の過激派の首領である位いの事は知っていよう。併し今日の堂々たる政治家、官吏、軍人、実業家、或は小学以上の教師で、レニンは毒薬だ以上の知識を持っている者が、果して幾許あろう。実際彼等の多くは、何等の研究もせず、斯く信じ、斯く云い触し、而して此態度で露国に対しておるのだ。吾輩は、レニンを毒薬の名なりと書いた女教師は、えらい皮肉屋ではなかったかと思うほどである。若し左うでなかったら、之は偶然の大皮肉だ。デモクラシーに就ても亦其通り、神経衰弱を直す薬なら結構だが、神経衰弱にする薬位いに心得ている者が、世の常だ。小学教師を笑えた義理でもあるまいと思う。(大正一〇年一〇月一日号「小評論」)
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およそ一世紀前の、若い日の湛山の「筆による慰み」というと語弊がありますが、何を教えてはならぬ、かにを読んではならぬというべからずばかりの権力の横暴を前に、社会主義にカブレるなと抑圧をくわえられた教師たちの縮みあがった根性がやんわりとですが、活写されています。自由主義、社会主義、自由教育などという言葉だけでも忌み嫌われていた時代があったというのは、にわかには信じられません。要するに、権力の禁じたものには近づくな、赤色思想に染まっては断じてならぬという、驚天動地の権力行使がまかり通っていたのです。それもある日突然に禁じられたのではなく、真綿で首を絞めるかのように時間を追って強化されたのでした。苦しさも痛さも、少しも感じないままでゆっくりと「思想信条の自由、学問の自由」は死に追い立てられていたのです。
「真綿で首を絞める」という経験もなければ、「絞められる」経験も持たないぼくには、レントの如く、緩やかに「自由行使(人権)」の範囲を狭められるという感覚がわかりません。ある日を期して「断固として禁止」と言われれば、如何に鈍感であっても気づかないわけにはいきません。湛山さんは、斯かる閑話の類にも、危機意識を外していません。権力は腐敗するとさかんに言われますが、腐敗臭を撒き散らさない限り、その程度ならいいではないか、と油断するのでしょう。ぼくたちの鼻に「腐敗の臭い」が届いていないでしょうか。
「学術会議」自体にも問題ありだから、会員の五人や六人ぐらいの「任命拒否」に何か問題があるのですか。そんな「権力寄りの臭い」があちこちから漂ってきます。やがて学校教育に「権力の傲慢さ」が必ず押し寄せてきます。いままでも「真綿の類」で「首(自由)」を絞められてきた。これを教えろ、それは教えるな、という教育の骨格がすでに、相当の長期にわたり、かなり深刻に侵されてきました。教師も縛られきっている。でも、それに抵抗する勢力は、ゆっくりと「真綿のやさしさ」で骨抜きにされ、すっかり調教されてしまいました。教員の組織である組合も、今では息の根を止められてしまったといっても批判されないでしょう。当節、教師もまた孤立や孤独を託っているのではないでしょうか。

「レニンは毒薬」「デモクラシーは神経衰弱の薬」と解答した教師を笑っているうちに、自らが「毒薬」にされ、あるいは「神経衰弱」にならぬとも限りません。物言えば唇寒し、この時代。かなりの教師たちが、すでにそう(神経衰弱)なっているとぼくには感じられてなりません。この先に明るい展望があるのでしょうか。地に足を着けて、方向を見過たないように、ゆっくりと進みます、子どもたちといっしょに、あるいは親たちとも手を携えて。(2020/11/20)
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