み寺の甍みどりにうるほひ

_____________________________________

 幼時から寺が好きだった。寺に親類縁者がいたわけでもなく、熱心な門徒でもなかったのに、寺には好みを持っていた。もう少し正確に言えば、建築物としてのお寺が好きだった。それに反して、お寺の「営業内容」にはとんと興味がなかった。ただ、御講というものには、なんだか賑わいがあったりして、その時にはなかに入り込んだりしたが。

 大学一年の夏休み、石川県のある寺に本を抱えて、数日間の宿泊を重ねた。持参した本はほとんど読まず、ひねもす無為に過ごしたという、恥ずかしくも愚かな経験がある。この寺の娘さん(今は住職婦人か)が京都遊学時代、おふくろの住んでいる家に下宿していた。可愛いお嬢さんだった。おふくろの実家は能登中島、この寺の門徒だったし、陋屋(寓居)はその寺の隣にあったので、そこで生まれていたぼくには格好の遊び場だった。能登では名のある寺だといわれた(浄土真宗東本願寺派本浄寺)。

 二十歳前のこの夏、ぼくはすんでのところでお釈迦になっているはずだった。どう考えても不思議なことだが、ぼくはかすり傷一つ負わずに息をしていた。寝ぼけていたのか、生意気にも酔っていたのか(お寺の奥さんからお酒をふるまわれた)、縁側から中庭の池に向かって転落し、踏み石でしこたま頭や顔面を打ち付けていたのだ。住まいの様子がわからない寺の、真夜中の出来事だった。今から思っても、だれかに助けられたとしか思われない、奇怪な体験をしたのがこの寺だった。このことはだれにも話したことはない。五十数年前の夏のことだった。

(この寺の境内で撮った写真が何枚か残されている。寺の大屋根や、門構えの雄姿を映した写真を探したら、セピア色の古いのが出てきた。ここに出そうかと迷ったが、兄弟姉妹(あるいはぼくだけが)、今見ると「サルか人間か」定かじゃないので、止めることにした。確かにサルから人間に「進化」したんだね。この点で、ぼくは進化実体験派だ。(上の写真は法隆寺とその回廊)(20/07/04)

______________