夕空晴れて 秋風吹く

 本日から「霜月」(「霜降月」)です。なにもしないうちに、ということではありませんが、何ごとも成し遂げたという実感もないままに「時は過ぎ行く」という気分です。内外多端といいます。防ぎようのない事件や事故の多発に遭遇して、消えかかるわが心も痛むばかりで、洋の東西を問わず、失われた命(いのち)の無念さに哀悼の思いを禁じえません。昨日の朝でしたか、ラジオから懐かしい唱歌が流れていました。「故郷の空」と、いかにも弾んでいました。(「明治唱歌 第一集」・明治二十一年発行)原曲はスコットランド民謡で作詞は大和田建樹(1857-1910)。「正調」よりも替え歌がよく知られているかもしれませんね。「誰かさんと 誰かさんが 麦畑(「ドリフターズ」のテーマソング」)」その唱歌との連想で、「旅愁」と「故郷の廃家」が聞きたくなった。他にも、聴きたい曲はまだまだありますが、今回はこの三曲に限定します。本当は歌いたいのですが、歌ったつもりで、記録されている音源を辿ろうと思います。ぼくは、学校で唱歌を習った記憶はまったくない。唱歌に限らず、学校時代のあらゆる記憶が、忽然と、あるいは決然と消滅しています。小学校時代に関しては、三回も転校しましたので、なおさら、記憶は消されてしまったのかもしれません。

 しかし、どこで覚えたのか、自分でも判然としませんけれども、唱歌の多くが記憶の襞(ひだ)に刻まれていました。歌詞も覚えている。なぜでしょうか。唱歌に限らず、「歌」はメロディとともに記憶されるので、忘却の淵に落ち込まなかったのでしょうか。または、小さい頃の記憶だから、一層深くかつ鮮明に記憶されているのかもしれません。記憶の古層に支えられて、ぼくたちは年輪を重ねているのです。

 秋の空や雲や風、あるいは冷たい朝露の玉に触れるにつけ、きっと遥かの昔の曖昧な、有無定かでない「情景」に、ぼくは引き戻されるのです。懐かしいと言えば、ぼくは、まっすぐに七十年以上も昔に馳せ参じるのです。以下に挙げた三曲、いずれも、言わず語らずに「父母」が歌われている。いくつになっても、ぼくにとって「父母」は無性に会いたくなる人でした。今でも、両親を想うと、いたたまれなくなります。誰もそう言うかもしれないように、母親にはたまらない懐旧の情が湧いてきます。親父とは、少し距離があった、いまだって。早くに親と別れたり、死別したなら、なおさらに「恋しくも」「懐かしくも」想われてくるのでしょう。八十歳の手前を生きていてさえ、その思慕の念は募るばかりです。こういうことは、ほとんど他人に語るべきではないと考えてきたし、言ったこともありません。遥かの昔に誘われた魔の機会に、言うべくもないことを綴りかけています。(余計な無駄話は止めておきます)(選んだ三曲について、多くの方々が歌われています。その中から、単にぼくが好きであるという理由だけで以下の音源を)

 言うまでもなく、ぼくにも生まれた土地はあります。でも、それを「生まれ故郷(現石川県七尾市)、「古里(故里・旧里)」であるというだけの勇気(素直さ)はありません。そこで「生きていた」という実感が、ほとんどないからです。十歳前には京都に移り住みます。最初は堀川中立売、そこには一学期分だけいたように覚えています。あるいは勘違いかもしれませんが、きわめて短期間だけそこにいました。ついで嵯峨の広沢池近くに越してきました。ここでもほんの数年で、嵐山に近いところに移転します。中学校に入る前だったかもしれない。そこから高校卒業まで住んでいましたが、卒業式直後に東京に出ます。以来、幾年月、ぼくの「(腰掛け)(宿借り)人生」は終わりを迎えようとしています。腰を落ち着ける暇もないような、慌ただしい移り住みの繰り返しでした。一体、ぼくには「古里」と称するものがあるのだろうか、そんな宙ぶらりんの状態で、往時に聞いた、歌ったいくつもの「唱歌」の世界を自分に取り戻していったというのが実際ではなかったかと思う。

 室生犀星ではありませんけれど「ふるさとは 遠くにありて 思ふもの」だったようにも想われるし、近くに住んでこそ実感できるものでもあったような、じつに中途半端な感情でしか受け取られないものになっていました。

小景異情(室生犀星)                                                  ふるさとは 遠きにありて 思ふもの                                                       そして悲しく うたふもの                                                           よしやうらぶれて 異土の乞食と なるとても                                                                帰るところに あるまじや                                                           ひとり都の ゆふぐれに ふるさとおもひ 涙ぐむ                                                       そのこころもて                                                                 遠きみやこに かへらばや                                                     遠きみやこに かへらばや

 若い頃に、ドイツ語で言う「ハイマートロス(Heimatlos)」という観念に取り憑かれたことがありました。他愛もない話でしたが、「故郷喪失」、あるいは「自分の足場を持たないこと」のように考えていたのだと思う。自分が生まれた土地はあるが、それが直ちに「古里」ではないという訝しさがついてまわったし、京都時代もいわば点々と「宿借り(ヤドカリ)」のような生活を送り、東京に来ても、本郷に十年、千葉に移住して三十年の間に四回も引っ越しを重ね、そして遂に五回目で、小さな丘のような辺鄙なところにたどり着いた。遠くにあっても近くにあっても感じられる「古里」、ぼくは、それを持たないままに、ここまで来てしまった。文字通りに「故郷喪失者」だったというほかありません。だからこそ、唱歌と言えども、「故郷」を懐い、我が人生は「流転」「無常」であり、まるで休まる場所を持たなかった「旅の仮宿」、それがぼくの「存在しない古里」だったのでしょう。

 だから、「古里」(「故郷」)は、ぼくにとっては言葉の中にあり、その言葉を口にするたびに、ぼくの胸に去来する、以上述べてきたような「空想の根拠地」を、我が根城にしていたという、じつに頼りない仕儀になるようです。「心の故郷(古里)」という言い方は大嫌いです。だから、ぼくには根拠とすべき足場としての「古里」はなかったし、ある具体的な場所や空間をさしていう「故郷」もないも同然です。その「故郷喪失」感を埋め合わせる役目を果たしてきたのが「唱歌」だったとは言えるでしょう。(御託を並べるのは止めておきます。興味はある方は、それぞれの好みに応じて、それぞれの「故郷」を感じ取られればいいのでしょう)(作詞者・作曲者・刊行年など、細かいことはいずれ、この駄文集録のどこかでまとめて出す予定です)

「故郷の空」                                                                        (1) 夕空はれて あきかぜふき つきかげ落ちて 鈴虫なく
おもえば遠し 故郷のそら ああ わが父母 いかにおわす                                                              (2) すみゆく水に 秋萩たれ 玉なす露は すすきにみつ
おもえば似たり 故郷の野辺ああ わが兄弟(はらから) たれと遊ぶ

*「故郷の空」(https://www.youtube.com/watch?v=ep_Ob4t99wg

 「旅愁」(原曲:ジョン・P・オードウェイ 訳詞者:犬童球渓)                                                      (1)更け行く秋の夜 旅の空の  わびしき思いに ひとりなやむ
恋しやふるさと なつかし父母  夢路にたどるは 故郷の家路
更け行く秋の夜 旅の空の  わびしき思いに ひとりなやむ                                                     (2)窓うつ嵐に 夢もやぶれ  遥けき彼方に こころ迷う
恋しやふるさと なつかし父母  思いに浮かぶは 杜のこずえ
窓うつ嵐に 夢もやぶれ  遥けき彼方に こころ迷う

*「旅愁」(https://www.youtube.com/watch?v=3WMal21ujL4)(https://www.youtube.com/watch?v=AtRGZyUb8nI

 「故郷の廃屋」                                                     (1)幾年(いくとせ)ふるさと 来てみれば  咲く花 鳴く鳥 そよぐ風
門辺(かどべ)の小川の ささやきも  なれにし昔に 変らねど
あれたる我家(わがいえ)に  住む人絶えてなく                                          (2)昔を語るか そよぐ風  昔をうつすか 澄める水
朝夕かたみに 手をとりて  遊びし友人(ともびと) いまいずこ
さびしき故郷や  さびしき我家や

*「故郷の廃家」(https://www.youtube.com/watch?v=-vxStDnGWKg)(https://www.youtube.com/watch?v=77rHwaoeqrg

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 感傷に浸るという趣味は、ぼくにはありません。兼好ではありませんけれど、「長生きすれば、恥多し」という実感に慌てふためくでもなく、後悔の念に打たれるでもなく、とにかく、「馬齢を重ねてきた」という重い過去の「残存物・遺物」に圧倒されているのです。もっと別のことができたのに、そんな懐いはみじんもないと言えば、「嘘ばっかり」と、まるで中島みゆきさんのような科白が出てきます。しかし、後悔は先に立たずという知恵もまた、ぼくを導いてきたのです。人生、どう生きても、五十歩百歩であるという感覚は、若い頃からありました。だから人と競争はしないと自らに戒めたし、あの人ができるなら、ぼくにだってという、「人間の能力」に対する信頼・確信もまた、同じようにありました。若い頃によく読んだデカルトだったと思います、「どんなに新しそうな表現(物言い)も、かならず誰かが、すでに言っているのだ」という趣旨の言葉に驚愕したし、それ以降は、これがぼくの姿勢や態度の根底に居座ってきたのです。

 霜月の初日、寒い日になりそうな、そんな朝が明けました。本日は、午前二時半前に猫たちに起こされて、それからゴミ出しから戻った六時半まで、いろいろなよしなしごとを愚考していました。雑感の雑感としかいいようのない駄文で、あまり見栄えのしない、霜月朔日の挨拶です。「秋の朝」「秋の夕べ」「秋の暮」「秋の夜」と、秋こそ、ものの「懐かしけれ」です。島の内外に「惨劇」や「衝撃」を齎(もたら)す事件や事故が引きも切らずに生じています。無理をしないで、人とは争わず、群衆にくくり取られないように、細(ささ)やかながらも、有無判別し難い「個人性」「個別生」を保持していきたいと、今日も祈るばかりです。(2022/11/01)

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