「又此古言をしいてとく人あり。門人を教への子と云(う)て、ひろく来たるをあつめられし人あり。・・・古事記を宗として、太古をとくとせられしとぞ

ひが事をいふて也とも弟子ほしや古事記伝兵衛と人はいふとも」(『胆大小心録(五)』)
古言を強引に解釈するひとがある。門人を教え子といって、多く集めようとしている。「古事記」を核として大昔のことを大いに説こうとするのである。自分(秋成)は口が悪いので、
間違いを並べてでも弟子がたくさんほしい。それを世間は「古事記伝兵衛」というけれど、というのは上田秋成(1734-1809)*です。
*「江戸中・後期の国学者・歌人・読本作者。大坂の人。本名、東作(藤作)。号、和訳太郎など。俳号、無腸。紙油商上田茂助の養子。高井几圭(1687~1760)に俳諧を学び、また、八文字屋本の作者として気質物かたぎものを著す。のち、加藤美樹に師事、万葉集や音韻学に通じ、たびたび本居宣長と論争した。著「雨月物語」「春雨物語」「胆大小心録」「癇癖談」「藤簍冊子」など。(大辞泉第三版)

秋成は生来ということもなかろうが、性はなかなか癖があり、世間に対しても大いなる批判を持っていました。いわば、狷介孤高の士であったかと思われます。そして、宣長とは大げさに言えば国学者として「不倶戴天の敵」視したきらいがなくもありません。伊勢在の宣長を田舎者と難じるなどは、秋成の都会(商都)育ちがいわせたセリフだったと思われます。
宣長との論争については、「(国学は)古代の日本人の心である古道をあきらかにしようとする学問である。本居宣長、上田秋成ともに国学者の学統に連なる。宣長は漢意(からごころ)を否定し、日本人の心を明らかとし、人間解放への道を拓き、国民的倫理の確立を真面目に希求した。同時に粗雑な皇国思想を主張したため都市のブルジョワ文化サロンの一人であった秋成が「臭み」として批判、ここから論争に至った」((Wikipedia)
「胆大小心」の引用を続けます。
「い中人のふところおやじの説も、又田舎者の聞(い)ては信ずべし。京の者が聞(け)ば、王様の不面目也。やまとだましいと云(ふ)ことをとかくにいふよ、どこの国でも其国のたましいが国の臭気也、おのれが像の上に書(き)しとぞ。

敷嶌のやまと心の道とへば朝日にてらすやまざくら花
とはいかにいかに。おのが像の上には、尊大のおや玉也。そこで「しき嶌のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花」とこたへた。「いまからか」と云(う)て笑(ひ)し也」(同上)
田舎おやじの言説も田舎者が聞けば信じるかもしれぬが、都人が聞けば天皇に申し訳もないほどだ。なんだかんだと「やまとだましい」をさかんに言うが、どこの世界でもその国の「たましい」とされる「臭気(欠点)」というものがあるのに、それを自画像の賛に添えてに書くとは、いやはや。
敷嶌のやまと心の道とへば朝日にてらすやまざくら花 (宣長の本歌とはことなるのはどうしてか。あるいはこれも秋成の諧謔のせいであろうか)
しき嶌のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花(これこそ、秋成の揶揄の下心が透けて見えるようです)
宣長と秋成の「うろんな」争いをここで述べるつもりはありません。「やまとごころ」「やまとだましい」とはなんでしょうと、問われたら「朝日に匂う山桜花」と答えるよ、というのは宣長でした。それにたいして秋成はなんだかんだと「やまとごころ」について「ほざく」人もいるものだなあといった、それだけの話です。桜について、余計なことを言わぬがいいという人と、花のうるわしさはまるで「やまとごころ」そのものであるといいたい人がいたというそれだけの話です。(蛇足 「やまとだましい」は紫式部、「やまとこころ」は赤染衛門と両人がすでに解読・解釈しています)

後世畏るべし、ということか。「花は桜木、人は武士」などと優れものを並べて言う時代もありました。「菊は栄える、葵は枯れる」という歌もありました。花や植物にさまざまな象徴の意味を持たせるのはいつの世にもあることですから、とりたてて目くじらを立てることもありません。
ただ、「山桜花」のみは「ヤマト」と結びつけられて、それこそ島全体に拡張・強制されたという歴史、その歴史は戦争の惨禍と密接不離であっただけに、ぼくには「結びつき」を、そのままに受け入れることはできないというほかありません。桜は日本のシンボルと感じる人がいてもいいし、そうじゃないと思うのもいいんじゃないですか。遥かな昔、田舎の小学校の校庭の桜を描き、さらには嵯峨の釈迦堂(清涼寺)の五重塔を桜を背景に描いた記憶がよみがえってきます。(ぼくの幼心にも「朝日に匂う山桜花」が植えつけられていたのだろうか)
「山桜」とは以下の如し。

(① 山にある桜。山に咲く桜の花。山の桜。⇔家桜。《季・春》 〔享和本新撰字鏡(898‐901頃)〕※古今(905‐914)春上・五一「山ざくら我が見にくれば春霞峰にもをにも立ち隠しつつ〈よみ人しらず〉」② バラ科の落葉高木。本州の宮城県以西、四国、九州の山地に生えるサクラの一種。高さ一〇メートルに達する。樹皮は暗灰褐色。葉は長楕円形、縁にはするどい二重鋸歯(きょし)がある。若葉は赤褐色。春、葉と同時に淡紅色で径二~三センチメートルの五弁花を開く。果実は小さく暗紫色に熟す。北海道、本州北部を除く各地に野生する代表的なサクラ。《季・春》 〔重訂本草綱目啓蒙(1847)〕③ 紋所の名。②の花を図案化したもの。④ 明治三七年(一九〇四)、専売制実施の最初に発売された四種の巻きタバコの一つ。※東京二六新聞‐明治三七年(1904)六月二二日「煙草が官業になると共に、紙巻に敷島、大和、朝日、山桜の四種が出来るさうだ」)(精選版 日本国語大辞典)

今春の桜花は盛りを過ぎようとしています。桜前線はどこまで北上していったのか。ウイルス禍に見舞われて、島全体が揺れている(のかどうか)。ぼくはごく近間の桜花だけを何度か見るだけでしたが、それでじゅうぶんでした。風情という言葉はどこで使うのかぼくにはわかりませんが、雑木林の中に一本の山桜がみえるだけで堪能するのです。風情とは風景なんですね。だれ一人いない野道を歩き、ふと目をあげると向かいの森の色が少し華やいでいる、そこにはきっと小さな桜が人知れず咲いている。風情はまた、「ようす」です。「大和心」だなどと言う必要がないくらいに、花として美しいと思う。(その花の美しさは桜だけではないのは言うまでもありません。山躑躅、海棠、牡丹、その他、一年を通じて咲く花々のどれもが独自の美しさを誇っているのです。これは好きだが、あれは嫌いとぼくは言わない。これまでにもっともたくさんの木や花を見た、それが桜でした。これからはどうなりますか)
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