古事記伝兵衛と山桜花(20/03/19)

 この地上にコロナウイルスの生息しない地はわずかたりともないといわぬばかりに、目に見えぬ「微少だが、手強い敵」が猛威を振るっています。世界同時不況も加速度的に進行しています。なんだ、科学だ医学だといって大手を振って「人智(サイエンス)」の旗を掲げて闊歩していたのに、それは人間界の一隅にしか通じなかったのかと、いまさらのように驚いています。未知の生物がどれくらいいるのか、「未知数」と言うばかりです。既知の何倍も存在しているだろう、ぼくはそう考えることにしている。

 ウイルスであることは判明しているが、いままでに罹患したことのないものだけに、つける(のむ)薬がないらしい。免疫細胞という薬いらずの機制が人体内にあって、多くは自然治癒という摩訶不思議な治り方(ホメオスタシス)をしますが、今回ばかりはさまざまな事例がありすぎて、病症の正体が杳(よう)としてつかめない。人類は細菌との絶え間ない戦争を闘ってきたという専門家が多い。それならば、第何次かはわからないが、現在は「対細菌戦争」の最中であるというわけです。人智はただ今、苦戦中。

 三十数年前にも同じような経験をした。不要不急の徘徊や屯(たむろ)は禁じられ、歌舞・音曲、芝居や映画も自粛から禁止へと統制一下、今回もまた同様の(要請の名における)「禁止」一本槍が放たれようとしています。外食にも大きな影響が出ています。先はまだ見えない。前回とは「諸般の事情」は異なりますが、庶民にとっては不自由を託(かこ)つという不便さは変わらない。いのちは他人にあずけてはいけない。

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 季節は弥生も下旬、年に一度の桜花匂う待望の時節到来です。いつにない暖冬のせいもあって、花は満開を待ちきれなかったのだ。昨年来、この島では無粋極まる、悪臭すら漂う「季節外れのサクラ」問題が喧(かまびす)しく囃(はや)されてきましたが、いまこそ本物の「サクラ」「桜」「櫻」です。ぼくは本当に「桜好き」人間で、これを見るためなら千里の道も遠しとせずと、少年のころから近郊遠方を足しげく通いつめました。「惚れて通えば千里も一里ながい田んぼもひとまたぎ」

 桜好みはいつの時代にも、どこにでもいたはずです。ここで紹介したくなったのは江戸時代、伊勢は松坂の人。この人は学者であり、かたわらで仁術(内科と小児科)をもって身を立てていた、「二足の草鞋」を履いた賢人でした。彼は文学研究者でもあり、古事記や源氏物語研究では一派を築いた先学でもありました。また、国学なる新境地にあった領域を一挙に開拓した人でもありました。「もののあはれ」という心情の発見だった。その後の影響は時代を降るにしたがって勢いを増し、例に出すのはよくありませんが、まるで現下の見えざる菌のごとくに猖獗をきわめた。日本を「どん底に陥れた」のはその人の責任ではありません。でも、彼に「カブレた」数多の右側通行主義者、「古代」妄想家は、いまなお大音声で海内に「しき嶋」は「まほろば」だと妖しげな「賛歌」をしきりに合唱中です。波紋はまだまだ広がりを見せるのでしょうか。

 ぼくは右でも左でもなく、真ん中(中庸)であります。ひたすら注意深くありたいというだけの中庸です。己の位置をどこかに固定するのは嫌でアリンスという朴念仁であります。桜に「大和心」や「大和魂」を感じたこともなければ、感じようとしたこともないのです。「カブレ」ようもありませんよ

 桜をこよなく(熱)愛し、医は忍術を実践した人とくれば、この人を筆頭に挙げなければならないでしょう。

 「しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」

 六十一歳「自画自賛」像に「賛」として、謳われた。

 賛または画賛。「 画中に書きそえた、その絵に関する詩句」とされます。

 「これは宣長六十一寛政の二とせといふ年の秋八月にてづからうつしたるおのがゝたなり、/ 筆のついでに、」と添えて、「しき嶋のやまとごゝろ」を謳うのです。還暦を過ぎた「自画像」を書いてみた。ほんのついでに、という乗りで、好きな山ざくらを謳ってみたよ。左の掛け軸です。

 誰あろう、鈴屋(すずのや)の大人(うし)、本居宣長(1730-1801)です。(この項、以下に続く)