

蛇笏から五句ばかり 雨に剪る 紫陽花の葉の 眞青かな たまきはる いのちともする すずみかな 月見草 墓前をかすめ 日雨ふる みじか夜の 夢をまだ追ふ 浪まくら 寺にみつ 月のふるさや ほととぎす

● 飯田蛇笏(いいだ・だこつ)=明治-昭和時代の俳人。明治18年4月26日生まれ。早大在学中に早稲田吟社で活躍。高浜虚子(←)に師事するが,明治42年郷里山梨県境川村に隠棲(いんせい)。虚子の俳壇復帰とともに句作を再開,「ホトトギス」の中心作家となる。俳誌「雲母」を主宰,山間の地にあって格調のたかい作風を展開した。昭和37年10月3日死去。77歳。早大中退。本名は武治。別号に山廬(さんろ)。句集に「山廬集」「椿花(ちんか)集」など。【格言など】芋の露連山影を正しうす(「ホトトギス」巻頭句。大正3年作) デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説」
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ひそかにひそかに蛇笏の驥尾に、つくもつかぬも話にならぬ。まじめさを欠いているのだから、駄句の山は致し方ありません。けっしてお披露目などという、恐ろしいことはできないのです。上手な句ではなく、拙でも構わない、正直な心持をこめた、句ができないかと呻吟しているうちに、残すところわずかになりました。(ずいぶん昔、蛇笏集を読んでいたら、「巨泉」という人の句に出会いました。あっ、大橋さんだと一驚したのでした。
惚れ具合からすれば、蛇笏先生にまず指を屈する。格調の高さが言われますが、それは無論のこと、自然に溶け込む、空気が透明であることが感じ取れる句形の佇立するさま、姿がいかにも山中の木立の如くに、清々しいのです。ぼくは初めは龍太さんからでした。びっくりするような句に遭遇したことを、その時の自分の息づかいとともに記憶しています。その上に蛇笏さんが師、さぞ大変な重圧を龍太氏は感じなかったか。ぼくは虚子にも親しんだし、その親分にも魅かれ続けてきました。だから、好き嫌いの順番をつけるのは無意味なんですね。でも、やはり蛇笏氏だな。芭蕉は別口。ようするに、なにとなにを比べるというのはいい趣味ではないということです。
夏の到来と、幼時は喜びに浸ったが、今では遠い昔の彼方。梅雨も初夏もあったものではありません。季語は存在していても、それに見合った現実世界はすでに破壊され、汚染され、収奪されすぎています。もはや、芭蕉の世界はおろか、はるかに後世の蛇笏の生きた境涯もまた、見る影もありません。蛇笏よ甦れ、というのはありもしない空想だ。だからこそ、蛇笏を追想するのでしょうか。
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