伝兵衛さんは何者?(20/03/20)

 しき嶋のやまとごころを人とはば朝日ににおうやまざくら花

 この歌は人口に膾炙した。猫も杓子も(とは、ちょっと大げさですが)、山桜は大和心だという具合で、始末に負えないほどの歓迎ぶりだった。宣長さんが作った当時から受け入れられたのはたしからしい。いかにも朝日に山桜の花が匂うがごとくに、「麗しい」というところが甘美だったからでしょう。「うるはしきよしなりと、先師いひ置かれたり」(本居大平(たいへい)=宣長の門人、のちに養子になる。宣長の息、春庭の病のために本居の家督を継承)「大和心がうるわし」だったのか「山桜がうるわし」だったのか、よくわからないが、それがまた「敷島」の良さというものだというのですかね。変なの。

 以来、連綿と「受容」は継承されてきた。いまでは「✖✖そーり」までもがこの歌を引用しています。といって、ゴーストライターが作文するのですが。「そーり」にそれほどの知識や理解力があるとは信じられません。もっといえば、山桜を見たことがないものまでがこの島のシンボルだと言いはる始末です。あるいは「大和心」が「男心」であると錯覚している。マイク片手に「大和魂」なんぞと喧しい。「男ごころに 男が惚れて意気がとけ合う 赤城山♪」と歌うのは東海林太郎さん。ヤクザ(国定忠治か)礼賛の歌謡曲でした。

「敷島」

 敷島(しきしま)は奈良県桜井市。その「敷島」がどんなに流行したか、日清戦争後、イギリステムズ鉄鋼造船所で作られた海軍の戦艦名に。さらには紡績会社(敷島紡績・シキボウ)、ぼくにはなつかしい「敷島」というたばこの銘柄。今でもありませんか、「敷島パン」屋さん。埼玉県志木市は「敷島」とかかわりがあります。「敷島神社」も同市にあります。前橋市にもゆかりの場所は多くあります。その他、もろもろ無数にありそうです。「敷島」は「大和・日本(大和)」と直結していたし、いまでも変わりないのでしょう。「やまと」は「倭(やまと)」であり、「日本(やまと)」であります。「日の本」、つまりは「日イズルクニ」からきています。中国から見て東海の地です。「日ボッスルクニ」といまもなお係争中。

「敷島」煙草

 ダラダラと筋のない駄弁はやめにします。敷島と列島と桜(山桜)と大和魂(心)の結びつきが今日においても衰えないのは、(学校)教育が大きな力を持ってきたからです。明治以降の学校のモデルは軍隊(主として陸軍)でした。「学制(学校教育法)」は明治五年に発布。帝国陸軍が創設されたのは明治四年。両者は並行して時を経てきました。まさに「同期のサクラ」。義(偽・戯)兄弟です。

一 貴様と俺とは 同期の桜 / 同じ兵学校の 庭に咲く

  咲いた花なら 散るのは覚悟 / みごと散りましょ 国のため

二 貴様と俺とは 同期の桜 / 同じ兵学校の 庭に咲く

ぼくは観ていない

  血肉分けたる 仲ではないが / なぜか気が合うて 別れられぬ

 三 貴様と俺とは 同期の桜 / 同じ航空隊の 庭に咲く

   仰いだ夕焼け 南の空に / 未だ還らぬ 一番機

 四 貴様と俺とは 同期の / 同じ航空隊の 庭に咲く

   あれほど誓った その日も待たず / なぜに死んだか 散ったのか

 五 貴様と俺とは 同期の桜 / 離れ離れに 散ろうとも

   花の都の 靖国神社 / 春の梢に 咲いて会おう  (作詞:西城八十、作曲:大村能章。昭和13年)

パンです

  ぼくはこの軍歌も嫌いだし、大村能章氏も。ことに西城八十氏はまったく好まない。「歌」は世に連れ、世は歌に連れ。この歌詞はパーフェクトでしょう。歌がマスコミだった。桜と軍隊と学校(劣島の学校の校庭にはサクラの木が必ず植えられています)の三点セットで「大和・日本・大倭」のシンボルにさせられてきたのでした。「歌詞」のグロテスクさは言いようもありません。

 細かいことは省きますが、宣長さんの和歌と劣島の「精神」「心」とはたぶん、まったく関係ありません。結びつくはずもなかったのに、強引に関係づけたのが軍隊と学校、この両者の教育の「賜物」でした。ぼくは「軍隊教育」と「学校教育」をこの島に限定して比較しながら調べたことがあります。まず、双生児(日本ハムじゃない)ですね。矯正(強制)教育は人間をよくも悪くも改造します。この場合は改悪でした。(大和魂と大和心についてもどこかで触れておきたいですね。これは男衆の情念などではありません、その逆で「大和なでしこ」の「たおやかな心持ち」を表した言葉でした、平安時代からずっと。宣長さん流に言うと「もののあはれ」)

 香川みどりさんの「大和心」も桜のはかなさを謳うかのようです。「桜さくら 咲き誇る」「桜さくら 散り急ぐ」「桜さくら 舞いあがる」と。どうしてこうもまた「桜さくらの悲しさよ ああ はかなさよ」なんでしょうか。ぼくにはすこしも理解もできず、感じ取れもしません。桜好きにもいろいろな面があるのですかね。近間の花見に、出かけてこよう。花は静かに愛(め)でるに限ります。ヤマトダマシイとは、ぼくに限っては直結しない。桜そのままが目に映えるんだ。

 ひが事をいふて也とも弟子ほしや古事記伝兵衛と人はいふとも

 この戯れ歌の作者は?まことに悪口雑言のいい放ちです。「ひが事」は間違い、でたらめ。いい加減なことを言っても欲しいのは弟子。「古事記伝兵衛」とは「古事記伝」を表した宣長さんを指す。古事記を「乞食」に掛けて、物貰いのごとくで卑しいと宣長をなじった。

(この戯れ歌の解説には「間違いをならべてでも弟子の欲しいことだ。…物欲から、弟子をもとめると人に悪評されても」(岩波古典文學大系56)とあります。宣長先生 顔色無し)

 「古事(ふること)をしいてとくひとあり。門人を教への子と云(う)て、ひろく来たるをあつめられし人あり。やはり此人も私の意多かりし也。伊勢の國の人也」(「桜花」が散り終わる前までに「完」にしたいね。つづく)